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僕の頭の中で開かれる定例評議会で繰り返し議論される、この平和への恐怖が僕に死の願望を抱かせるのか、それとも実は僕には生れついた潜在的な死への渇望――悪魔のような何かが備わっていて、それが僕に平和を恐怖させ憎悪させるのか、という命題には未だに決着の様子が見えませんが、ただそれでも今一つだけ確かなことは、やはりひょっとしたら僕自身こそが、あの固く閉ざされた扉へ至り、悪魔そのものになりかねない存在だと強く危惧する意見が議論の優勢でいて、そのマジョリティこそが、ならばいっそ僕自身の意志によって、この世から僕という天性の魔の素質を消し去りたいという衝動に、精神も肉体も正直にさせたのかもしれません。
いや、だれど、自殺の理由をこうもでまかせな複雑化に任せて結論するのは、やはり僕にとっては、少し都合が良すぎるかもしれません。なぜならば僕は、もしかしたらもっとずっとシンプルに、僕自身の愛のために死ぬからです。僕は僕自身のエゴイズムに従って死ぬからです。この世界に僕の愛の居場所など何処にもないからです……。