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たとえ狂信的であれ背信的であれ、もし人間が一度でも神や仏のような上位物の存在を認識したとすると、その時点で、私たちは上位者の支配する・入口も出口もない・色も形もない・領域すらも確かでない重厚に敷かれた檻に囲まれた、でまかせの世界の中に平等に囚われているのではあるまいか。
いつのまにか私たちの思想や行動は、それ自体の意味を失って、もはや不毛であることに気付くこともなく、まるで機械のように坦々と独り歩きするようになってしまうのではないか?(六歳の子どもがこのように考えるのはあまりに創作じみたことだろうか? 確かにこれは私の後年の解釈の一つに過ぎないかもしれない。だが同時に解釈が子どもの感情の言語化を助けるなら、その解釈はまた私の経験した事実の確かな写像の一つには違いない)
御堂の広間の仄暗がりに奇妙に幽りと、それ自体が弱光を放っているかのように(もしくは私自身の放つ弱々しい感情を照り返すかのように)輝く絵画に圧倒され、驚愕し、密かに怯えた私など知らずに、住職と両親の会話の内容は今日の参拝にかけた本題へと移っていた。