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ここまで頑張って我慢してきたもののぐずぐずし出している喜子、そんな喜子のことが同じく子どもながら心配な私、自身の高徳を背景に信徒を率いるべき責任と権力を持つことを鼻にかけて熱弁を弄したであろう住職、自身がその説明に納得がいくくらい信心深いことに僅かにでも自負を持っているであろう両親、その各々が思い思いの想像を絵の世界に馳せているとき、少なくとも私には、住職と両親が思っているような生き生きとした鶴の姿を、襖の絵の中に見つけることはできなかった。
それは確かに美しく、きっと国宝級の価値があるのは間違いないと思った。だが私には、襖絵の鶴がこう見えた。