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ただそれでも、そもそも幸福というものは、先だった外見的特徴を持つわけではないのではないかと考えて、そうだやっぱりそうに違いないと信じ込むことくらいが、私に唯一事態を楽観視させる要素なのかもしれなかった。
即ち幸せとは不定形な被感受的物質の集合体の一変異形式に過ぎず、この集合体はそもそも幸福だけでなく、その反対の不幸の形式すら取り得るおかしな変異性を持つのである。もしかしないまでも全ての感情の底知れなさは、或る不定形物質の観測結果による演繹法をもって、そういった特異性に集約され結論されるのだろう。そして集合体の変異を決めるのは間違いなくそれを感受する人間だ。
つまり何かと接したとき、それを一方的に幸福だと思い込む触媒作用を人間自身が自覚すれば何事も幸福になり得るのであり、そういう意味で私には如何なる模倣や仮装も不要であり、そうして私は幸福に関するすべての精神的心理的束縛から解放されるのだ。
他人の目、それと何事にも自分自身を卑下するに事欠かない私自身の厳しい目を気にしながら、幸福の意味だとか価値だとかその結果得られるものだとかに悩むことなどには一様に無関係に、私にはただ、『誰が何を言おうと自分は今幸福であると思い込む事実』だけが必要なのである。