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八月二八日の仁田塚の夏祭りは、毎年恒例の阿諏訪山麓仁田神社、仁田塚町縄手地区藤明寺合同主催の大祭である。
祭会場が窓向こうにも近付いて見えてくるにつれて、各停車駅からさらなる雑沓が電車に乗り込んでくる。この雑沓の目的地である仁田塚町は、数年前まで母が務めていたスーパーマーケットも所在する、県内では現状中核的商業街であるが、その歴史の古くは建武新政期に所縁があると言ってもよい。
この地は建武新政にまつわる一連の争乱によって戦死した、鎌倉崩しの大武将の戦没地であり、江戸時代にその遺物である兜鉢が発掘されたというくだりから現在に至る。もとはこの武将の鎮魂のために始まった大祭の会場は、町内を南北に四五キロ貫通する仁田塚通り沿道であることから、まるで支流河川のように細長い的屋や催し物の行列のかたちになり、また実のところ喜子がそうであるように、同日に県南で大規模な花火祭りが重なることもあり、その中で人の流れは案外滞ることなくスムーズである。