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私の両親は二人とも、敬虔という言葉そのものが具現化したような人である。二人は私が産まれるより前から私の知らないものに帰依していて、日々の生活の中にすらその信仰心が強く表面化していたことは先に述べた通りである。この二人の過剰な信仰心の開花は、その一男一女の誕生という出来事に根差している。
二人は現代にありがちな、比較的晩婚の夫婦だった。二人は共に当時の勤め先のあった大阪で巡り会い、同い年で同郷であることも縁組に幸いして、将来は地元に帰って静かに暮らそうという都会の鬱蒼としたビル群の息苦しさからくる夢を語りながら、共に三十七になる年に式は挙げず籍を入れた。双方ともに子どもを望んでいたものの、晩婚ゆえか中々子宝を授からなかった二人は、様々な現代医学の力を借りて不妊治療までして懐妊を祈ったが、五年のあいだずっとその兆しはなかった。
手を尽くしはしたがやはりもう無理だろうとなったところで、二人がそれぞれの先祖へ悔恨と懺悔の帰還報告をしようと、大阪から墓参りに地元の菩提寺に寄った帰りの寒く凍えた冬の日の夜、母は絶望に暗む泥濘に沈む寝床の中で、仏の来迎の夢を見た。