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もっとも私が信心浅いのは、私の両親が、特別裕福でもないのにもかかわらず、一族の菩提寺に多額の献金までするほど信仰心の篤い夫妻だったことも大いに関係している。
月に二度と決まっていた家族の寺参拝での賽銭箱へ投げ入れる額には、私と、その三歳下の妹には、決まって最も少額の千円札が握らされた。このお金でもっと沢山の役に立つ絵本や漫画やDVDでも買ってほしいと願いながら、賽銭箱の前で手を擦り合せて祈ることだけが、私が唯一真心を込めることのできる仏に対する心業だった。
私はまだ算数や漢字もろくに扱えない頃から、寺の子でもないのに読経を強いられ、家にいても外に出ても常に重い数珠を手錠させられる習慣は小学生の高学年のある時点まで続いた。小学校に上がると、悪知恵の働く同級生にそのことで度々馬鹿にされ、基本的に穏便な性格の私でも、それがあまりにも酷い時は、遂に我慢ならなくなって、クラスで大騒ぎして殴り合い蹴り合い器物破損に及ぶ数々の問題を起こしたために、私の成績表のうち素行・態度の項目は、必ず最低評価の劣等生の烙印を担任教師の決めつけで押されたのだった。