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私が生まれたのは、丁度そのような、伝統的小規模コミュニティーの規範の大崩壊が急速に明瞭化・膨張し始めた、またもはやそういう社会問題にしか人々の関心が向かなくなるくらい、日本人の精神が傾国の下り坂を緩やかに転がり落ち始めた、平成時代の中頃だった。
こういう故郷・時代の背景をもって、私が幼少の頃から経験した気に食わない・反感を抑えがたい伝統、風習、出来事は数多かったが、その中でも特に、しばしば経験した家族ぐるみの参拝行事にも、私は内心、常にどことない奇異の眼差しと反目な苛立ちに付きまとわれていたということを述べておかねばならない。
私の本名は『善生(善く生きるという意味らしい)』と書いて、『よしき』と読む。もっとも私が特に幼いうちは、名前を明らかに呼びやすいように、家族や身内は私の名前のひらがな三文字のうち、真ん中の一文字だけを抜き出して『しーくん』というニックネームを付けて、私を仔犬や仔猫の鳴き声のように甲高い・綿菓子や飴玉のように甘い声で呼んでいた。