102/204
102
私がこのように時に饒舌になる対象は、往々にして全く本心から来るものではないことが重要だった。
いや『本心』というよりは、『真の本心』と二文字付け加えるべきかもしれず、つまりある程度本心であっても、より深い場所、心の深淵に触れないまでの本心が状況良く発揮されるとき、私は私らしさを忘れて、何か強烈な美酒に酩酊したような気分で饒舌さを極めるのである。
私の中には常に二重三重の相矛盾しないように工夫された本音が幾つも予め備蓄されていた。これを都度見極める技術に長けているがゆえに、本音を繋ぎ合わせたまかない品を提供することが、私にとっての無為自然となるのである。
「……やっぱり善生くんに話して良かった」
囁くように都琉の小さな呟きを、しかし未だ酩酊のさなかにある私は、さも嬉しそうな野蛮な微笑をもって聞き逃したふりをした。
「ん、何?」
「ううん、なんでもない。じゃあ今書いてるところまで話そうかな。えっとね……」