巣窟
この暑い中
部活動にいそしむという友人どもに別れを告げて、帰路につく。
時間通りに到着した電車に乗り、空いている席を見つけて腰を下ろす。
鳥肌が立つほどに冷たい風が肌をなでる。寒暖差で頭がおかしくなってしまいそうだ。
「さて……」
こうして電車に乗っている間にWebラジオを聞くのが、最近の私の日課になっている。
さすがに電車の中で、動画を見るのは少し恥ずかしい。
気にしないという友人もいるが、私にそこまでの豪胆さはなかった。
それにラジオ配信であっても、私にとっては十分に楽しめるから。
特にこれといって、好きなジャンルがあるわけじゃない。
何かの公式がやってるような、ちゃんとした放送も好きだ。
素人が、しどろもどろに話すような、ちゃんとしてない放送も好きだ。
「今日はどうしようかな……」
アプリを起動して、新着のラジオ一覧をざっと眺める。
私の好きなゲームやアニメの公式放送は……残念ながら、なさそうですか。
フォローしている配信者も……今日はやってないみたいかな。
それじゃあ少し、新規開拓をしてみましょうか。
配信中の一覧を確認する。
ネット上でもコミュ苦な私は、コメントなどするつもりもない。
だとすれば、録音でも配信でも同じじゃないか。と考えたこともある。
だけどなんだかんだ、配信中を一番に確認してしまうのは、臨場感を楽しみたいのだと思う。
平日の、まだ明るい時間だというのに、世に暇人は尽きることもなく。
スマホの画面には、数え切れないほどの配信中のタイトルが並ぶ。
配信開始時間順に並ぶそれらを、私は「えいや」と勢いよくスワイプし、高速で流れる一覧から、タイトルの確認もせずに、ランダムに一つを選ぶ。
『……れか、助けてくれ!』
Bluetoothで接続されたイヤホンに、男の悲鳴が響いた。
声質は、正直なところ嫌いではないのだが、正直こういう配信は、聞き手としては困る。
本当に事件に巻き込まれているとしたら、聞いているだけで関係者になってしまうから。
茶番であるなら問題ないけど、だとしても、配慮が足りない人の配信に居座る理由はない。
だから私は少し嫌な気分になりながら、すぐに『退室』のボタンを押した。
「まったく……何を考えているのやら」
息を吸い、長くゆっくりと吐き出しながら、思考を整理する。
もし本当に、助けを求めているのなら、配信などではなく、警察に連絡をすべきだ。
配信できる環境だと言うことは、まさかネットにつながらないなどとは言うまい。
つまり結局のところこれはいたずらで、こちらの反応を見て楽しんでいたのだろう。
だからといって、戻って話をしようという気にもならない。
聴者に受けないとわかれば、彼もきっと反省してくれるだろう。
二度と、軽い気持ちでそんなことをしないで欲しい。
気を取り直して、もう一度。
高速スクロールからの、無作為選択を。
『……戻ってきて、くれたのか? 頼む、俺を助けてくれ!』
悲しいかな、哀しいかな。
この声どこかで聞いたことがあるような……って、さっきの人かい!
心の中でツッコミを入れながら、仕方なく表示された画面を確認する。
タイトル欄は『雑談します』となっていた。
閲覧中の欄は『1人』となっている。
アクセス数の欄も『1人』となっている。
さすがの私も、ここで何も言わずに立ち去るのは、少し気まずいですね……
「『なにか、おこまりでしょうか』……っと」
コメント欄に入力し、送信ボタンをタップする。
ちなみにこれが、私にとっての初コメントだったりする。
さてどんな茶番が始まることかと変な期待をしていると、私のコメントがぼそぼそと読み上げられ……
『聞いてくれ! 信じられないかも知れないが、俺はこの世界に閉じ込められてしまったんだ!』
なるほど、そういうタイプの茶番でしたか……
殺人犯に追われているとか、そういう「実際にあり得そう」なネタだったら反応に困るところでした。
でもこれなら、私も気軽にロールプレイができそうですね。
「『それは大変ですね』……あと、何を聞きましょうか……いえ、とりあえずこれで送信!」
なんと答えるのが正解なのかはわかりませんが、とりあえずできる範囲で書き込むと、すぐにコメントが読み上げられました。
『そうなんです、大変なんです……もし良かったら、手伝ってくれませんか?』
「『良いですよ。私に何ができますか?』」
『ありがとうございます! ありがとうございますッ! 感謝、マジ感謝です!』
ラジオ配信なので相手の顔は見えないが、きっと彼は今、全身で感謝を表しているところなのだろう。
それを想像すると面白くもあるが、いつまでも感謝され続けていると、鼻の頭が痒くなってくる。
「『良いから、何をすれば良いか教えてください』……っと。ちょっと素っ気ないかも……」
『そうですね! ではまず、このサイトの一番下に、変なマークがあると思うので……』
「サイトの一番下? これかな? ……『ありました』。さて次は?」
『おお! 見つけましたか! では、そのマークを十秒間、じっと見つめてください……』
彼の声に従って、サイトの一番下を確認すると、そこには不思議な模様が描かれていた。
血のように赤いそれは、日本の家紋のようにも見えるし、そうでないようにも見える。
『いち、にぃ、さん……』
彼が優しく数を数える声が聞こえる。
なんだか、少しずつ頭がぼんやりしてきたような。
まるで、私の魂がスマートフォンに吸い込まれていくかのような……
『しぃ、ごぉ、ろく……』
急激な眠気が私を襲う。
手足の感覚が、少しずつ薄くなっていく。
身体全体が、うっすらと熱を帯びたような不思議な感覚になる。
『しち、はち、きゅう……』
「次は、○○駅〜○○駅です。忘れ物に注意して……」
っは?
いけない、もう降りなくちゃ。
こんな茶番に付き合って、降りる駅を逃すとかはあまりにも馬鹿すぎる!
あわてて画面を一番上まで戻してコメント欄をタップする
「『ごめんなさい、続きは機会があればで、また今度!』……っと」
私の身バレも怖いので、駅に着いたとかそういう情報は書き込まないでおく。
サイトにアクセスしたままのイヤホンを耳から外し、立ち上がって扉の前へと向かう。
『……ふざけるな! あとすこしで入れ替われたのに! ……俺をここから出してくれ!』
そんな声が聞こえた気もしたけれど。
スマホの画面を操作して、退席してから画面を閉じる。
そういえば、ユーザー名を確認していないから、もう二度と彼に会うこともないでしょう。