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黄金のカタリスト

作者: 哲学猫

「新しい補給の目途は立ちましたか?」

「第三星系からの輸送を急がせています。直近の通信では、第三星系の可採埋蔵量は当初想定の2倍という報告を受けています。これでしばらくは補給をまかなえるかと。」

 兵站長が状況を答える。淡々と答えているが彼も死力を尽くしてくれている。我々全員が最善を尽くしているのだ。そう思いながら私は語気を荒げた。

「それでは不十分です!我々の窮状は第三星系に伝えているのですよね。補給が途絶えれば近い将来、我々は滅びるのです!」

 このままでは戦争に負ける。エネルギー源である「黒い石」が尽きれば万事休すだ。莫大なエネルギーを生み出す「黒い石」は恒星や惑星のコアに大量に集積しているが、我々の技術で採掘できる量は僅かだ。既に我が第一星系からは採りつくしてしまった。今は同盟の星系からの補給が頼りだが、近いうちにそれも底をつく。

 私は最後の報告を促した。

「元素79について返答はありましたか?」

「星系内の小惑星や宇宙塵までくまなく調査させましたが、やはり元素79は存在しませんでした。あの星系は我が第一星系と同じ原始母星雲から誕生していますので、元素存在度もまったく同じです。」

「遠い星々には豊富にある元素が、我々の3連星系には砂粒ほどもないのですね・・・。分かりました。報告ありがとう。」


 元素79は「黒い石」を採掘する際に触媒となり、可採埋蔵量を飛躍的に増やすことができる。その反応が発見された時は戦局を逆転させると思われたが、実用化には元素79が大量に必要であることも判明した。我々の第一星系と同盟星系の第二、第三星系は互いを公転する3連星で、同じ原始母星雲から誕生した兄弟星だ。そして我々の3連星系には元素79がほとんど無い。「黒い石」のエネルギーで元素79を人工的に合成しようとする試みが続いているが、全て失敗に終わっている。元素79の合成には極超新星爆発と同等の高エネルギー状態が必要であり、「黒い石」のエネルギーをもってしても実現できないのだ。

 作戦担当官からの報告会を終え、私は執務室に戻った。これから第一星系議会へ提出する報告書をまとめなければならない。しかしこの状況を何と報告するのか。私の顔色を見た秘書官が口を開く。

「一等書記官殿、報告書の草案はできています。」

「報告事項を読んでくれ。」

「その1、第二星系からの定期通信は途絶し、既に増大した敵の勢力下にあると推察される・・・その2、第三星系からの補給量は期待を下回り戦線の崩壊は時間の問題である・・・その3、黒い石の採掘時に触媒となる元素79は第三星系にも存在しない・・・」

「100世代続いた戦線の維持が私の代で終わるとはな。」

「天が我らを見放しただけでしょう。第二星系は残念でした。しかし、いずれこうなることは分かっていました。」

「ああ、そうだな。無念だ。」


 その謎の「敵」に遭遇したのは第二星系が最初であった。当初、銀河系中心方向からの強力な恒星風として観測されたそれは、しかし恒星風ではなかった。その巨大な平行放射のプラズマ嵐は、ほとんど減衰することなく第二星系に迫ってきた。それが何なのか、未だに解明できていない。未知の自然現象、あるいは未知の宇宙生物。その暴力的な高エネルギーのプラズマ嵐に飲み込まれれば、惑星は蒸発してしまうだろう。救難通信を受信した我々は、これに対抗するためプラズマ嵐発生艦隊を建造し、そのエネルギー源となる黒い石と共に第二星系へ輸送した。黒い石はその質量と等量のエネルギーに容易に変換することができる。第二星系に到着した艦隊から強力なプラズマ嵐が放たれ敵と衝突した。これが我々の戦線であり、100世代にわたり第二星系の直前で敵を食い止めていたのだ。しかし最近になって敵のエネルギーが増大し、第二星系との通信は途絶してしまった。現在も艦隊は後退しつつプラズマ嵐の衝突面を維持しているが、艦隊への補給が途絶えれば敵を止めるものは無くなり、その進行方向には第一星系と第三星系が無防備にあるのだ。故郷の星系を放棄し、銀河外延部方向に脱出することも検討された。しかし我々の星系にある元素では亜光速航行に耐えられる脱出用の船殻材料を作ることが出来ず、敵に追いつかれるのは時間の問題だった。


 血相を変えた秘書官から連絡が来たのはそれからしばらくのことであった。

「一等書記官殿、先ほど新たな知的生命体から発信された電波を観測しました。」

「発信源の距離は?」

 私はとっさに聞いた。

「距離は約12、方向は銀河外延部方向です。観測した電波の解析を進めていますが、現時点で文明レベルはおそらく1、初等的な生命と思われます。」

 秘書官は言葉を区切った。

「驚くべきことに、発信源の惑星が公転する恒星スペクトル分析からは、星系内に元素79の存在が認められます。我々とは異なる原始母星雲から誕生している単独の星系です。」

「文明レベル1か。初期の電波発信を捉えたわけだな。元素79があっても我々を助けてくれる能力は持っていないか。」

「おそらく、残念ですが。そして我々の戦線が崩壊すれば、いずれ彼らの星系にも敵のプラズマ嵐が降り注ぐでしょう。」

「そうか。しかし我々は助からなくても、彼らを助けることはできるかもしれない。最後の仕事ができたかな、秘書官君。」


♁        

 僕は、金属メーカーに勤めている。鉱石から金属を精錬するのが仕事だ。真面目に務めてきたおかげで若くして精錬事業部のグループリーダーになれた。今は工業用の高純度の金の精錬を専門にしている。そんな僕だが、子供のころは天文学者にあこがれていた。宇宙人に会いたいと本気で思っていたからだ。宇宙飛行士ではなく天文学者。ロケットでちょっと宇宙に飛んで行ったって、宇宙人には会えない。宇宙はとてつもなく広く、宇宙人とのコミュニケーションには電波天文学が必要なのだ。ところが受験勉強よりもSF小説や映画の世界にのめり込んでしまったので希望の専攻に進学できず、天文学者にはなれなかった。

 月のチコクレーターで発見された謎のモノリス。こと座α星のベガから届いた素数の信号。SF映画の世界では地球外知的生命との出会いはいつも厳かだ。彼らは人類を超越した文明を持ち、その政治、経済、科学技術は洗練され、病気や戦争とは無縁な社会を作り上げている。そして幼稚な人類は神のごとき存在の彼らを畏怖し、教えを乞うというのがお決まりのパターンだ。

 そういえばいつだったか、宇宙人に一つだけ質問できたらどんな質問をするかというアンケート結果を見たことがある。回答が多かった質問は「神はいるのか」と「生きる意味は何か」だったと思う。物理学者は「大統一理論は完成したか」、数学者は「リーマン予想は証明されたか」、政治学者は「民主主義より優れた体制はあるか」といった質問を挙げていた。僕は宇宙人に「生きるのが嫌になることは無いのですか」と聞いてみたい。僕は文明がいくら進歩した宇宙人でも、きっとこの世の生き辛さは変わらないと思っている。夢破れて大人になった僕は根が暗いのだ。ちなみに愛猫家の妻に聞いてみたら「宇宙に猫よりかわいい生き物はいますか」だそうだ。宇宙人が猫のかわいさを理解できるとよいのだが。


 僕はそんなことを考えなら三年前の出来事を思い出していた。その日、地球に届いた電波は間違いなく地球外知的生命からの信号だった。それは特定のパターンを持ったデジタル信号で、何より地球の公転軌道上に向けて正確に届いていたことがその証拠であった。海王星の近くを飛んでいた探査機からは観測できなかったのである。僕は宇宙人からのコンタクトという歴史的瞬間に、ただ傍観者でいるしかない自分が嫌だった。心の中では起きるわけがないと思っていたことが起きたのだ。

 最初にハワイで受信された信号は、その後地球の自転と共に日本、ロシア、中国、ヨーロッパ各国で順次観測され全世界が知ることとなった。そして各国政府が信号の解読をどうするか話し合っているうちに信号のデータは個人によってインターネットで公開され、世界中の暗号のプロ、アマチュアが競うようにその解読に取り組んだ。

 信号の発信者は神か、悪魔か。世の中はその話題で持ちきりだった。ある宗教家は、信号は神の言葉に違いないと断言したが「どこの神か」についてSNSが炎上し、サーバがダウンする騒ぎとなった。信号が50光年離れた3連星系から発信されていたことから、信号はヒンドゥー教の3大神からのお告げであり、その内容はヒンドゥー教徒しか触れてはならないと主張する者もいた。またある国の政治家は信号を解読した瞬間に宇宙人がワープして地球に攻めてくると真面目に主張した。オカルト掲示板ではこの仮説に関していくつものスレッドが立ったが、SFの読みすぎだというのが科学者の見解であった。第一それができるなら彼らはもう地球に来ているだろう。しかしこのとき核保有国は軌道上に攻めてきた宇宙人に核ミサイル攻撃を行う場合に、同士討ちにならないようその手順を話し合っていたそうだ。

 信号の解読はいくつかの技術的な問題解決と言語学的なひらめきを要したが、半年ほどであっけなく終わった。詳しい方法は僕には理解できなかったが、1+1=2、1+1≠3といった等式と不等式で数と真偽を定義し、元素の周期律表や光速度といった共通の物理法則を言語として世界を記述しているようだった。また抽象的な概念を含む文章、例えば利益と損失、喜びと悲しみなどはドイツ語と英語でも記述されていた。後でわかったことであるが、彼らは地球からのTV放送の電波を受信していたのだ。そんな具合に信号は複数のアプローチで解読できるように工夫がされていた。まるで早く読んでくださいと言っているようだった。


 解読されたメッセージは神の福音でも、悪魔の宣戦布告でもなかった。それは隣人からの警告であり、来るべき脅威に備えよというものだった。彼らトリムルティは(3連星系に住む彼らはトリムルティと名付けられた)、正体不明の宇宙プラズマの脅威にさらされており、あと100年も経たずにそれに飲み込まれて絶滅してしまうという。そしてその宇宙プラズマは数百年後には太陽系にも襲い掛かる。人類はそれまでに科学技術を発展させ、「黒い石」を採掘し、宇宙プラズマに対抗する兵器を完成させよ・・・という内容だ。僕は地球に危機が迫っていることよりも完璧な存在であるはずの宇宙人が絶滅の危機にあることに衝撃を受けた。

 「黒い石」とは人類には未知の素粒子で、物理学では暗黒物質と呼ばれていた謎の質量のことであった。トリムルティの説明によれば暗黒物質はその質量の100%をエネルギーに変換することができ、それがあれば宇宙プラズマに対抗できる強力なプラズマ発生兵器を作れるということであった。そしてなんと暗黒物質は太陽や地球の内部にも存在しており、彼らの技術で採掘することができるらしい。だが彼らの星系には暗黒物質の採掘時に触媒となる原子番号79の元素、つまり金がほとんどなく、間もなく可採埋蔵量を採り尽してしまうという。

 人の体を構成する酸素や炭素、窒素、鉄などは恒星内部の核融合で生成され、星の一生の最後に宇宙空間にばら撒かれて次の世代の星の材料になる。だが金などの重い元素は極超新星爆発といった超高エネルギーな環境でしか生成せず、宇宙のどこにでもあるわけではないらしい。地球にあるこれらの元素は、太陽ができる前に別の星の爆発で生まれたのだ。それにしても暗黒物質を集めるのに金が触媒になるとは!触媒(カタリスト)とは、それ自体は変化しないが反応速度を飛躍的に高める物質のことだ。

 解読されたトリムルティからのメッセージは、人類への慈愛に満ちていた。

「あなた方地球人は文明の開花期にいます。科学技術は未熟で戦争や環境汚染、経済の不完全性といった脅威にさらされ、危うい状況にあります。しかし同時に豊かな文化を持ち、豊かな物質社会を築いています。あなた方の太陽系は多様な元素から構成されています。我々の星系には鉄よりも重い元素である金やプラチナ、鉛、ウランなどはありません。あなた方の太陽の原始母星雲は、これらの元素を作った超巨大質量星の爆発を起源に持つのでしょう。」

「我々の持てる技術と知識の全てを提供します。金を触媒とした採掘法を確立すれば暗黒物質の大量精製が可能です。あなた方の現在の技術では採掘法の開発まで長い時間がかかるでしょう。でも間に合うと信じています。迫りくる敵のプラズマ嵐に備えてください。そして願わくは敵を撃退し、我々の意思を引き継いでください。我々を超え、持続可能な文明を築いてください。」

 トリムルティのメッセージには金を触媒とした暗黒物質の採掘方法だけでなく、人類を超越した科学技術と知識が凝縮されていた。3連星系でそれぞれ独自に誕生して進化したという彼ら自身の3つの生態系やその文明の姿。生命の起源や暗黒物質と暗黒エネルギーの秘密。中にはリーマン予想の“反証”も含まれていて数学者が頭を抱えた。科学者達がこれらの情報を完全に理解するには100年はかかると言われた。また特定の物質を効率よく選別する技術(これは環境汚染の復元に大いに役立った)や水素を用いた核融合炉の理論など、すぐに実用化可能な技術も多く含まれていた。暗黒物質の精製には核融合炉が不可欠なのだそうだ。


 国連安全保障理事会はトリムルティの警告を全会一致で対処すべき脅威と認定し、核融合炉を用いた暗黒物質の採掘実験にゴーサインが出された。そして今世界3か所で実験が行われている。僕は実験所の一つがあるアメリカのアリゾナ州に単身赴任していた。

「あなたがプロジェクトのメンバーになるなんて、開けてびっくり玉手箱ね。」

 妻は時々おもしろい言い方をする。

「まったくだね。でも僕が担当している触媒グループは割と知っているメンバーだよ。この業界は狭いからね。」

「でもそのリーダーでしょ。立身出世じゃない。“宇宙では魔法のような奇跡も起こる”、でしょ?」

 妻が笑いながら僕の口癖を言う。

「それで、実験は順調なの?」

「採掘装置のほうは僕にはちんぷんかんぷんだ。触媒に使う純金の膜はなんとか精錬できそうだよ。」

 それは簡単ではなかった。1回の実験に使う金は100トンもの量で、99.9999%まで純度を高める必要があったのだ。しかも逆に不純物として0.0001%のネオジムを均等に入れなければならない。どういう理屈か分からなかったがそれがトリムルティの指示だった。

「じゃあ、もうすぐ帰って来られるの?テロのニュースは聞いているでしょ。」

「ああテレビで見たよ。空港が閉鎖されたら君をこちらに呼べないな。何もなくてなかなか良いところだよ。」

 近頃、シヴァと名乗っているテロ集団がニュースになっている。トリムルティのお告げである神聖な実験を異教徒の国で行うことは許されないと主張し、実験を行っている国を攻撃すると声明を出していた。

「そんなことより自分の心配をしなさい。金の精錬がうまくいったらそこにいる必要はないんでしょ?」

「いや、実験は続くよ。金の膜を核融合炉へ取り付けて機能するか確認しないといけないからね。」

「あなた、なんだか活き活きしているね。」

 実際、楽しかった。こんな気分になったのはSF小説を読みふけっていた少年のころ以来かもしれない。


☆       

「一等書記官殿、地球人はうまくやれるでしょうか。」

「分からない。彼らの文明レベルでは五分五分といったところだろう。」

「初期に受信した彼らの電波放送からは深刻な内戦状態がうかがえました。希少な放射性元素92を爆弾にして自傷行為をするとは、なんと愚かなのでしょう。我々のメッセージに込めた技術情報は彼らの手に負えないのではないでしょうか。」

「ああ。黒い石のエネルギーで自滅してしまうかもしれない。だが我々は託したのだ。我々の意思を、未来を、彼ら異星の子に託したのだ。」

「はい。」

「我々が滅びる前に返事が来るとうれしいのだがね。」

「第二星系の惑星は蒸発し、恒星大気も剥がれつつあります。プラズマ嵐発生艦隊はさらに後退して健在ですが、戦線の崩壊は予定より早いかもしれません。」

「最後のその時まで敵を食い止めよう。それが我々の責任だ。」


♁       

 それから2年が過ぎたころ、世界3か所の実験所が同時に爆発した。核融合炉が暴走し、周囲数キロを吹き飛ばしたのだ。僕はたまたま出張で街に出ていたから無事だったが、実験所に詰めていた研究仲間は全員亡くなった。アリゾナでは人的被害は実験所のみに限られたが、中国の実験所は山を一つ吹き飛ばし、その先の町を一つ消滅させてしまった。テロリストグループのシヴァから犯行声明が出たが、その真偽も検証できないまま時間だけが過ぎた。

 しばらくしてトリムルティの陰謀説が巻き起こった。例のワープ攻撃説を唱えた政治家が世論を煽った。トリムルティのメッセージは人類にいかがわしい装置を作らせ、自滅させてやろうという悪魔の所業だと言うのだ。今回は小規模な実験だからよかったものの、トリムルティの設計図通りの採掘装置を稼働させたら地球が消し飛ぶだろうと主張した。

 アメリカは、トリムルティのメッセージは信頼に足るものであり、彼らの善意に応える責任が人類にあると国連安全保障理事会で力説したが、中国が拒否権を発動し、実験の再開は凍結されてしまった。大統領は実験に伴う莫大な出費で世論の批判を浴び、辞任に追い込まれた。

 僕はテロの容疑をかけられ1年も拘束された。帰国してからは職場にも戻れず家に引きこもった。

「あなたが生きていただけよかったのよ。宇宙人や500年後の地球の心配より、今の生活が大事よ。」

 と妻は言った。僕はそうだなと思った。何もする気力が無かった。


 それから何年か経って(そのころの記憶がはっきりせず、どれくらい経ったか本当に分からない)、街をふらふらしていると中国人風の男に話しかけられた。

「金とネオジムの精錬についてお話を伺いたい。」

「あんた公安か?CIAか?その話ならしただろう。自白剤付きでな。」

「そうではありません。我々は民間組織ですが各国政府から資金援助を受けてプロジェクトを進めています。あなたに専門家として協力いただきたいのです。」

「プロジェクト?何の?」

「金をトリムルティに送るのです。」

 この男は何を言っているのだ。

「お前、シヴァとかいうテロリストの仲間か。」

「いえ、失礼しました。こういうものです。」

 男の名刺には広報部長と書かれていた。言わずと知れた大手多国籍企業だ。

「これから一緒にオフィスに来てくれませんか。リーダーがお待ちです。」

 こいつは何の陰謀だろう。だが頭が疲弊しきった僕はどうとでもなれと思いタクシーに乗った。

 到着したのはその企業のオフィスに間違いなかったが、通された階の案内板には社名が表示されていなかった。僕は会議室でリーダーを名乗る男から説明を受けた。

 現在軌道上で建造中の3つの宇宙ステーションは、実は金をトリムルティに運ぶための宇宙船である。僕がアリゾナの実験所で精錬したものと同じ金を作ってほしいということだった。

「宇宙船で金を運ぶ?50光年先まで一体何万年かかるんです。トリムルティの3連星はあと数十年で宇宙プラズマに飲み込まれてしまうのでしょう。」

「はい。しかし宇宙船を光速の90%まで加速させれば、約57年でトリムルティの元に金を届けられます。ぎりぎり間に合うのです。亜光速での航行に耐えられるよう、船体はタングステン合金で、強力な磁場発生装置で宇宙塵の衝突を避けます。船体の保護と加速には莫大なエネルギーが必要ですが、動力には暗黒物質を使います。爆発事故の前にアメリカ政府がアリゾナの実験所から運び出したものです。」

「実験は成功していたのか!」

「はい。偶然ですが。アメリカ政府は暗黒物質を独占しようとしたのですが、事故が起きてその計画は凍結されました。軍の施設に保管されていたものをNASAに流したのです。」

 安保理決議のあと各国政府は表向きは何もしなかったが、裏会計で資金を集め多国籍の民間企業グループがプロジェクトを担っているということだった。

「我々は情報管理を担当しています。暗黒物質をエネルギー源とするプラズマエンジンの開発チームには、NASAの技術者に加えて複数の企業が協力しています。他に医療チームにも民間の技術が結集されています。」

 医療チーム?何の話だ?

「なぜ暗黒物質の採掘実験をやめ、金をトリムルティに送ることになったんです?」

「義を見てせざるは勇無きなり。ドゥ・ザ・ライト・シング、ですよ。」

 男は笑った。

「いや本当のところは、金を触媒とした暗黒物質の採掘は技術的な課題があり過ぎて実用化にはまだ何十年もかかるでしょう。もしかしたら無理かもしれません。でも一握りの暗黒物質があれば金をトリムルティに届けられるのです。彼らが金を得れば我々が暗黒物質を採掘したり、プラズマ兵器を開発したりする必要は無くなります。これは彼らも思いつかなかったかもしれませんね。」

 そのとき僕は狐につままれたような顔をしていただろう。

「船体とプラズマエンジンは完成しています。残る問題は金とネオジムだけです。あなたに協力いただきたい。」

 宇宙船?金を送る?宇宙人に?

 僕はぼんやりした頭で考えて答えた。

「・・・いいでしょう。でも条件があります。宇宙船は“有人”ですよね?」

        

 極微量のネオジムを混ぜた金を積み、3隻の宇宙船が地球を旅立った。

 トリムルティの3連星までの距離は50光年。宇宙船は地球の重力と同じ加速度1Gで加速を続けると、約1年半で光速の90%に達した。あとはそのまま慣性で飛んでいき、目的地に到着する前に約1年半かけて1Gで減速する。全行程は57年だが、僕が感じる船内時間では半分以下の25年だった。相対性理論により時間が縮んだのだ。医療チームが開発した人口冬眠装置は快適で、僕らは25年のほとんどを眠って過ごした。

 僕と妻は宇宙船の一つに乗っていた。金の精錬に協力することを条件に搭乗員に入れてもらったのだ。この旅は片道切符で、しかも向こうに着いたとしてどうなるかも分からない。陰謀論者の言うようにトリムルティに殺されてしまうかもしれない。別にそれでも構わなかった。

「あなたの夢でしょ。構わないわ。一緒に行くわよ。」

 と妻は言ってくれた。

「あなたの製錬した金が、トリムルティを滅亡から救うかもしれない。すごいじゃない。知ってる?金融市場では、カタリスト(触媒)は相場の流れを大きく変えるものという意味があるの。あなたやこのプロジェクトに関わった人たちは、この騒動のカタリストなのよ。」

「それに、私もトリムルティをこの目で見てみたいしね。」

 トリムルティからのメッセージには彼らの生態系や文明の詳細が書かれていたが、唯一彼らの姿かたちは不明だったのだ。なぜそのことだけ秘匿したのだろう。


 トリムルティの3連星系に到着した僕らが見たのは、漆黒の宇宙に輝く3つの太陽だった。そのうちの一つ、彼らが第二星系と呼ぶ星は宇宙プラズマに覆われていたが輝きは失っていなかった。不謹慎だが、雲に隠れた夕日のように美しかった。

 トリムルティは宇宙船の搭乗員を手厚く迎えてくれた。これだけのネオジムと金があれば、宇宙プラズマを押し戻すのに十分な量の暗黒物質が採掘できるということだった。僕らは魔法のような奇跡を成し遂げたのだ。


 僕と妻はトリムルティの外交官である「一等書記官」と面会する機会を得ることができた。僕らは第一星系の赤い惑星を見下ろす軌道上の部屋に通された。赤い色は植物の色で、第一星系の太陽の波長の関係で赤く見えるのだそうだ。よく目を凝らすと、翼の生えた赤い生物が大気圏を漂っていた。

「あーどうしましょう。緊張するわ。あなた、何を聞くの?」

「え、そうだな。やっぱり・・・人生は楽しいですか、とかかな。」

「もう、何それ!もうちょっと気の利いたこと聞かないと承知しないわよ。」

 部屋に入ると、床に空いた扉から彼が入ってきた。僕らはあっ!と声を上げた。白いしっぽが見えた。


 「一等書記官」は椅子に“乗る”と、こちらをじっと見つめた。沈黙の後、妻が口を開いた。

「はじめまして!一等書記官殿。宇宙に貴方よりかわいい生き物はいますか?」

「ニャーオ」

 と小さな外交官が答えた。


 宇宙では魔法のような奇跡も起こるのだ。

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