六日目
あの騒動があって一日が経った。フェリシティは朝からずっとウィリアムの側にいた。ウィリアムはまたフェリシティが逃げ出さないようにずっと近くにいる。
「今日は外に行こうか」
昨日逃げたのに今日そう提案するウィリアムに驚いてフェリシティはあんぐりとする。
「気晴らしにどこか行こう。そうした方が君も鬱憤を晴らせるだろう?」
ウィリアムなりの気遣いだった。フェリシティは逃げ出した自分にも優しくしてくれるウィリアムに嬉しく思うのと同時に申し訳なく感じた。
「そうだな……。ヴァネッサの湖はどうだろう」
ヴァネッサの湖はここからそう遠くにない。自然豊かな場所で多くの動物の憩いの場でもある。また、名前の通り、蝶がたくさん飛んでいることで有名だ。
普通の令嬢はそんなところに行かないし、行こうとも思わない。令息も行こうとはしないだろう。
しかし、今のフェリシティはうさぎなので、ウィリアムは動物仲間が出来るかもしれない、いるかもしれないと思って提案したのだろう。事実、フェリシティは何度かそこに行ったことがあり、うさぎ友だちが何匹かいる。
(ヴァネッサの湖……。行きたいわ!)
近頃は社交界デビューのために行く時間がなかった。また、以前からフェリシティを襲ったあの盗賊たちの事件もあって、行くのを躊躇っていた。
ウィリアムはキャメロン伯爵で、モンロン男爵よりも優れた騎士を雇っているだろうから、多少なりは安全だろう。数日前に“世間を騒がせていた盗賊逮捕”という新聞記事も見たので、大丈夫だ。
フェリシティは何度もウィリアムのズボンの裾を引っ張り、行きたいアピールをした。うさぎの顔は人間には無表情に見え、行きたいかどうか分からないからだ。
ウィリアムはフェリシティの気持ちに気づいたのか、ヴァネッサの湖に行くことが決定した。
久しぶりに来たヴァネッサの湖は、以前来たときと何ら変わりなかった。所々に木が植えてあり、太陽の光でキラキラと輝く湖は美しい。その上に舞う蝶も一休みしている動物もいつもと変わらない。
しかし、普段ここに人間が来ることはないので驚いた動物たちが一斉に木陰へと隠れた。中には獣の姿をした獣人もいる。
ここは滅多に人が来ることもないので獣人たちの穴場になっている。ここでは獣の姿の獣人と情報交換をしたりする。
こそっとフェリシティとウィリアムの様子を見つめる者もいれば、勢いよくこの場から離れる者もいる。
彼らはずっと人間のウィリアムばかり見ていたが、その横にいるフェリシティを見て、少しだけ警戒心を緩めた。動物、或いは獣人の彼らには分かるのだ。フェリシティが獣人だと。
獣人は幼い頃から人間は敵だと教えられるものだ。フェリシティのように人間と獣人のハーフの子と会う機会もなく、バレたら終わりだということだけ学ぶ。
モンロン男爵家は普通の獣人に比べたら人間に対して恐怖は薄いのかもしれない。と言っても、その事実は他の人は知らないのだが。
だから彼らは獣人のフェリシティを見て、人間といるのは何か弱みを握られているのではと勘違いする。そして、助けてあげなければいけないとも。
勇気ある動物のリスがちょこまかとフェリシティに近づいた。
『オマエ、ダイジョウブカ』
フェリシティは質問の意図は分からず、首を傾げた。そうすると、リスが再び喋り始めた。
『コノ男、ソバニイル、ナニカ弱ミヲ握ラレテルノカ』
思わぬ質問にフェリシティはあんぐりとした。フェリシティがウィリアムの側にいるのはペットとして飼われているからだ。いつかはモンロン男爵邸に帰りたいと思うが、今はそのときではない。
フェリシティは助けてもらったのにウィリアムに何も恩返ししないで昨日去ろうとしていたことに気づいた。なので、せめて何かしてから帰してもらおうと考えていた。
『そんなことないわ。ウィリアム様は私を助けてくれたのよ』
リスは訝しげにフェリシティを見つめた。
そうしていると、離れていた動物たちがフェリシティに近づく。
『ホントウニ? ニンゲン、キケン……』
『ソウ言ワサレテイルノカ?』
『ニンゲン、信ジチャダメ』
口々に人間は危険だと訴えた。けれども、どれもフェリシティには響かなかった。ウィリアムはとても良くしてくれている。それはもう、逃げてしまったことに罪悪感を持つほどに。
『そうよ! 私はこの前、人間に叩かれたわ!!』
一人の猫の獣人がそう言った。どうやらそのことを思い出したようで、プンプンとしている。
『すごく良い格好をしていたから貴族よ! 貴族は人間の中でも信じちゃだめよ!』
そうは言われても、フェリシティはウィリアムを信じないという方が無理な話だった。確かにウィリアムは人間で貴族だ。しかし、常にフェリシティの好物を与え、甘やかした。ペットというよりも、一人の家族のように接してくれた。
まだ一週間も経っていないが、単純なフェリシティはすぐにウィリアムを信じてしまった。
「何か話しているのかい」
困ってると、ウィリアムがそう尋ねた。人間であるウィリアムには獣の会話が聞こえない。
「それにしてもフェリシティの周りにはたくさん動物がいて、人気者だね」
動物の表情を読み取れない人間が見れば、仲よさげに見えるのかもしれない。が、実際は人間の危険性を動物たちが語っているだけだ。
『何があるのかは分からないけど、何かあったらまた来てよ』
そう猫の獣人を落ち着かせながら、彼女の姉らしい猫の獣人がそう言った。
『そうするね。多分、何もないと思うけど……。ありがとね、えっと』
『私はマーガレット。で、この子は私の妹のクララ』
マーガレットはとても落ち着いて、大人の雰囲気がある人だ。先程人間に叩かれたと言ったクララはマーガレットとは正反対で、明るく、元気な子のように見えた。
『私はフェリシティ。よろしくね』
『私たちはアトキンス男爵の娘ね』
『私はモンロン男爵だわ。今はこの男性の家にいるのだけれど……』
同じ男爵で、年もほとんど一緒くらいの二人に会えて、フェリシティは感激した。今まではバレたらいけないと人間の友達はいなかった。だから、同じ獣人の二人と仲良くなれたことが嬉しくて仕方なかった。
動物たちが人間は危険だと言っていたことなど忘れるくらい有天頂だった。
フェリシティは帰り道も終始、ご機嫌だった。その雰囲気を察したウィリアムがまたヴァネッサの湖に行こうと考えていたのは言うまでもない。