一日目
(夢……じゃなかった……)
己のうさぎとしての感覚、目の前に広がるいつもとは違う風景、そして、何よりいつもはあるはずもないベッドの温かさがフェリシティを現実に引き戻した。
フェリシティは昨日、夢なのかと思い一日を過ごした。そして、夢でありますようにと願いながら、ウィリアムのベッドの上で寝た。
今日、目を覚ましてみて分かった。
これは現実だと。自分はうさぎとしてウィリアムという男のもとで生活するようになったのだ。
「おはよう、フェリシティ」
悶々とフェリシティがそう考えていると、ウィリアムも目を覚ましたようで、フェリシティを抱き締めた。フェリシティは男性にこんなことをされるのは初めてで、じたばたと暴れた。恥ずかしくて、早くこの抱擁から離れたかった。
「やっぱり、まだ馴れてないよね。ごめんね」
ウィリアムは、今まで馴れ親しんだ場所を離れ、ウィリアムと全く信頼関係を築けていないのに抱き締めてしまうのは早すぎたと感じたのか、すぐにフェリシティを離した。フェリシティは警戒し、一歩、二歩下がる。
「危ない!」
突然ウィリアムは叫び、フェリシティの背中に手を回した。
ちょうどその時、フェリシティは寝台から落ちてしまうところだった。危うく、頭から落ち、怪我をするところだった。
「ああ、良かった。怪我は……ないね」
ウィリアムはあちこち見て触り、フェリシティが怪我をしていないことを確かめた。が、はっとした顔になると、すっと手を己の体の後ろにやった。
(……悪い人じゃないのかも……?)
フェリシティはそう思ったが、まだ気を緩むのは早いと感じ、気を引き締めた。
一人決意していると、部屋の扉がノックされた。入ってきたのは白髪が目立つ年配の執事で、ウィリアムに許可されるとすぐに口を開いた。
「約束の時間となります」
「ああ、そうだったね。すぐに向かうよ」
こんな朝早くから客が来るのだろうか。フェリシティは不思議に思いながら、二人の顔を見た。
「フェリシティには話していなかったね。君の世話係の女性がここに来るんだ」
世話係が来る――ということは四六時中、フェリシティはその人に監視されるということだ。もし人間の行動を少しでも出せば、獣人だとばれるかもしれない。そうなればフェリシティに待つのは奴隷という運命のみ……。
(そ、そんなの絶対に嫌……!)
幼い頃から奴隷になったら自由はなく、食も十分に与えられないと教えられてきた。また、惨いこともされるそうだ。そして、大好きな家族にもう二度と会えなくなってしまうとも。
そう考えるだけでじわりと目に涙が溜まった。
「フェリシティ? どうかしたのかい」
ウィリアムは心配そうにフェリシティの顔を見た。静かに涙を流すフェリシティは一向に泣き止む気配はなかった。
「どこか痛いのかい? それとも苦しいのかい?」
ウィリアムはまさか泣く原因が奴隷になる将来を考えたからだとは思うはずもなく、なぜ泣くのかと思案した。そして、どうしたら泣き止むのかと考えた。
(奴隷になんて……やだ……やだよ……)
涙は止まることを知らず、溢れてくるばかりだ。
その時、そっとフェリシティの頭を撫でる手があった。その手は温かくて、少しだけ震えている。
「大丈夫だよ。大丈夫だからね」
言葉では力強く慰めるウィリアムだが、少しだけ手が震えていることにフェリシティは何だか可笑しく感じた。面白く感じると、自然と涙は止まった。
(魔法みたいだなあ)
こうやって泣き止まし、笑わせてくれるウィリアムが魔法使いのように感じられた。
フェリシティの世話係になるという人に会うためにフェリシティも応接室にいた。その応接室はフェリシティが住んでいたモンロン男爵邸の応接室の倍はあった。
(この人はすっごくお金持ちなのね)
交遊関係がそんなに広くなく、物覚えも良くもなく悪くもないフェリシティはあまり貴族の名前を覚えていない。さすがに王族や三大公爵の名前と彼らの自画像は覚えているが、それ以外は名前は覚えていても顔は分からないというのが大半だ。
(ファーストネームだけしか教えられてないからどこの誰だか全く分からないわ)
そうなのだ。ウィリアムは最初、ファーストネームしか名乗らなかった。フェリシティはうさぎの姿をしているから、ラストネームや爵位を言わなかったのだろう。ただそれでは、爵位の名前しか覚えていないフェリシティはウィリアムという人がどういう爵位を持つのか頭に入っていなかった。
「はい。よろしくお願いします」
フェリシティが一人考え込んでいると、いつの間にか到着した世話係が自己紹介をし終わっていたようだ。フェリシティは完全に聞いていなかった。
「フェリシティ様がより良い生活をできますよう精進させていただきます」
(あれ? この声って……)
フェリシティはこの声に聞き覚えがあった。毎日、聞いているような声だ。いつもフェリシティの近くにいてくれるあの――。
「フェリシティ、彼女が今日からあなたのお世話をするからね」
そこにはフェリシティの専属侍女であるアンナがいた。
これは右も左も分からず、不安でいるフェリシティへ神が授けてくれたものだと感じたフェリシティであった。




