5.本当に、大切なこと。
「うーん、でも難しいな……」
アトリエにこもって、ボクは早速そんなことを呟いていた。
アーシャの母親――ミランダさんの体調を考えれば、一刻の猶予もない、と思える。しかし生半可な出来で提出したら、それこそ問題だった。
これは、一般的な修繕とは異なる。
祖父が言っていたような『思い出の修繕』に、違いなかった。
もちろん、他の依頼で手を抜いているわけではない。
ただ今回に限っては、勝手が違いすぎた。
「まず、元の設計が分からないから……」
そうなのだ。
このドレスの本来の形――すなわち、修繕の正解が分からない。
一般的に、修繕依頼というのは本来の形が分かる、という前提で持ち込まれる。リンドさんの時の剣のような例外もあるが、普通はお客様から情報を得られる場合が多かった。
ただ、このドレスの本来の形状を知るのは一人だけ。つまり――。
「ミランダさんに、訊かないといけない」
そういうこと、だった。
無理な話だ。だって、その人はいま生死の境を彷徨っている。
そんな状態の人に、このドレスはどんなものだったか、なんて訊けるはずがなかった。ボクはぶつかった壁の大きさに気持ちが急くのを覚え、深呼吸をする。
そして何か、正解に近付く方法はないかを考えた。
すると脳裏をよぎったのは、リンドさんが何気なく口にした言葉。
「この王都で、名うてとされた修繕師……?」
彼は言っていた。
かつてこのドレスは、名うての修繕師に直してもらっていた、と。
もしその話が本当だとしたら、手掛かりは――。
「意外に、近くにあるのか……?」
ボクはアトリエに雑然と積まれた、数多くの書類を見つめる。
そして、おもむろに立ち上がってそこを漁り始めた。
◆
「お母様。このドレス、どうして捨てないのですか……?」
まだ、ミランダが病に侵される前のこと。
アーシャは大切そうに仕舞われているボロボロのドレスを見て、母にそう訊ねたことがあった。彼女の問いかけに、ミランダは優しく微笑み答える。
「このドレスはね? お母さんにとって、大切な思い出なの」――と。
もう、見る影もないそれを撫でながら。
ミランダは、心の底から懐かしそうにそう話すのだ。
もしかしたら彼女の目には、昔のままのドレスが見えていたのかもしれない。しかし娘にとってはやはり、価値のないもののように思えた。
「大切な、思い出……?」
「えぇ、そうですよ。でもアーシャには、まだ少し早い話かも」
「…………?」
くすくすと笑う母に、娘は首を傾げる。
いったい、どういった意味なのだろうか。考えるが、分からなかった。
「だけど、いずれ貴女にもそんな人が現れます」
「そんな人……?」
「うふふ」
「むぅ……!」
さらに、そんなことを言われて煙に巻かれる。
そのことにアーシャは、やや不満げに頬を膨らした。すると、
「大丈夫よ、アーシャ。女の子なら、必ず経験することだから」
最後に、ミランダはそう言ってドレスを元の場所に仕舞う。
娘はやはり、その言葉の意味が分からないままだった。
◆
「う、ん……? 寝ていた、みたいですね」
アーシャは自分が眠っていたことに気付き、ふっと息をつきながら目を擦る。そして自分のいる場所が、自室であることを確かめた。
ベッドではなく、椅子に座りテーブルに伏せていたので身体が痛い。
少女は大きく背伸びをしつつ、夢のことを思い出した。
「お母様の言っていること、分かりません」
そして、そう呟く。
結局のところ、アーシャには母の言葉の真意が分からなかった。
だが母は、あんなにも嬉しそうにドレスを見ていたのだ。きっと自分には分からなくても、アレはとても大切なものに違いない。
だから、彼女はあの青年に修繕の依頼を――。
「……ん、どなたですか?」
そこまで考えた時だった。
彼女の部屋のドアが、強くノックされたのは。
何事かと思いながらもアーシャは、来客の話を聞いた。そして、
「え……!?」
血相を変えて、部屋を飛び出すのだった。