生きるということ
7、生きるということ
お互いに言いたいことを言った後、車内に気まずい空気が流れた。
少しの間、沈黙が続いた。
沈黙を嫌った僕は、裕太について気になることを質問した。
「いつから、その宗教を信仰するようになったん?」
「大学生」
裕太は、答えにくそうにした。宗教のことを詳しく聞かれるのが嫌なのかもしれない。しかし、裕太のことについてもっと知りたいと思う好奇心が止まらなかったので、続けて質問をした。
「なんで?」
「今まで、つらいことがいっぱいあったから」
この一言ではっとさせられた。もう詳しく聞くのはを止めようと思った。
何があったのかは聞かない。僕も、つらいことがいっぱいあって、それを聞かれたら言いたくない。
裕太も同じだ。裕太がどんなつらいことがあったのかは分からない。
しかし、裕太が宗教を信仰するようになった理由が何となく分かった。
不安、絶望、劣等感、生きていくうえで苦しいことがたくさんあり、
自分を見失い、迷っていたとき、人生の答えを宗教に教えてもらったのだろう。
神様を崇拝することで、自分はどのようにして生きていけばいいのか、自分はこの先生きていけるのか、そんな不安を取り除いているのだ。
だから、裕太は僕とは違い自分を持っていたのだ。
不安を取り除き、偽りの安心を手にしたから。
悲しい……
裕太は、僕より人として立派な部分や尊敬できるところがたくさんあると思っていたが、僕と同じだった。違うところは、裕太は宗教から人生の答えを学んだのだ。
それが正しいかどうかは別にして。
僕は、もう聞くのは止めようと思ったが、最後の質問を投げかけた。
「宗教を信仰するようになって楽になった? 」
「うん。神様が僕を導いてくれて、人生の答えを教えて下さる」
「そうか。俺とは違うな。どうやったら毎日楽しい日々を送れるようになるのか、どうやったらこの不安が無くなるのか、そんなん分からへん。必ず幸せになる方法も、人生の答えも分からへん。でも、そんなこと分からなくていいし、はっきりさせなくてもいい。きっと俺は何となく、幸せになってくと思う。この不安の中、なんとなく幸せになっていく。つらいし、苦しいけど俺は、このまま生きていくわ」
宗教によって偽りの安心を手にした裕太は不安から解放されこの日々を本当の自分で生きている。
僕は、不安、絶望が付きまとうこの日々を偽りの自分で生きている。
僕たちの生き方は全く違う。
どっちが正しいかなんてどうでもよかった。
ただ……
二人とも生きている
それだけは確かだ。
もう帰ろうとなり、裕太がまた僕の家まで送ってくれた。
黒のセダンは、前回と同じく二人を乗せて走っている。
一人は、宗教を信仰して生きている人。
もう一人は、不安になり絶望しながらも、生きている人。
車の中にいるので、もちろん風は感じない。
前のように、自分は何でもできると感じた錯覚にも陥らない。
車は町の街灯を頼りに走る。
辺り一帯の暗闇。どこまで続いているのか分からない。
その中にある薄い光。着いたり消えたりを繰り返している。
……生きていくとはそういうことなのかもしれない。