本当の思い
6、本当の思い
「なあ、裕太……、今日さあ、裕太の変な噂聞いてんけど、言っていい?」
真面目に話を切り出した。
少し笑いながら、冗談っぽく言うこともできたが、それは止めた。
裕太の顔を見たが、暗くて分からない。
「どんな噂?」
「なんか、裕太が、変な宗教勧誘してるっていう噂……」
そう言いながら、すぐに裕太の顔を再び見たが、やはり暗くて顔がはっきり見えない。
しかし、裕太が驚いているのだけは、はっきりと分かった。
車内が一瞬で凍り付き、シーンとなった。
世界中のすべての音が消え去ったかのような無音。
長い……この一瞬が信じられないぐらい長い。
この瞬きほどの時間で、今まで仲良くしてきた裕太が、見知らぬ他人になってしまったかのように遠くに感じられた。
……この空気の重さ、それだけで答えがなんとなくわかった。
「えっ、なんで?」
「いや、俺の知り合いが教えてくれた」
「なんて?」
「吉川裕太っていう人が、宗教勧誘しているって言ってきた。ホンマなん?」
「うん……」
嘘を付くことも、開き直ることもしない。
あっさりと認めた。その態度に、驚きと怒りを覚えた。
「なんで? なんでそんなことするん? 絶対アカンやろ」
裕太は、沈黙した。
僕が、もっと問い詰めようとすると
「豊、神様を信じてる?」
突然そんなことを言ってきた。
「分からへん……」
「俺は、神様を信じている。そして、神様に従うことで、幸せになれる。たくさんの人に幸せになってほしいから、みんなを勧誘している。豊も、神様を崇拝して、それに従えば、必ず幸せになる。俺は豊にも幸せになってほしい。豊も、一緒に来てよ」
一瞬にして、あり得ないほどの恐怖が襲ってきた。僕は、その恐怖で、この車内から飛び出したくなった。そんな気持ちを何とか抑えて、横に倒していた車のシートを起こし、仰向けになっている裕太を見た。平然としている。裕太は本気で言っているのだと確信した。
「俺は、神様とか、そうゆうのは信じてない」
「今から変わればいい。豊も、神様を崇拝して、神様の言うという通りにしたらいい。そしたら、必ず幸せになれる」
どう返答すればよいのか分からなかった。
このとき、「何思うかは個人の自由やけど、やってはいけないことは止めるべきだ」ということを言うべきだった。それだけを言えばよかった。
しかし、僕は、裕太が周りから危ない奴と思われていることが自分のことのように思えて悔しかった。
だから、裕太に変わってほしかった。
裕太に僕の考えを押し付けようとしたのだ。
人が他人によって影響され、考えを変えることなど、ほとんど起こりえない。
そんなこと奇跡に近い。そんな奇跡を起こそうとしてしまった。
僕は、今までどんなにつらくても「神様なんていない。自分次第」という考えで生きてきた。だが、それは間違いだったと裕太に言われて、自分の今まで生きてきた人生が全否定されてしまう。そんな思いも湧いたのかもしれない。
「必ず幸せになれる方法なんてないで」と言い返す。
「神様を信じて崇拝している人は必ず幸せになれる」
「そんな訳ない。俺は、神様なんてどうでもいい」
「なんで。だから不幸になる」
「神様なんて、この世に存在しても、どうせロクな奴じゃない。存在してても、しなくてもどっちでもいい。そんな関係ない」
「じゃ、なんで今、豊は不幸なん? それは神様を信じてないから。何か不幸なこととかつらいことがあったとき、神様が僕に与えてくださった試練やと思ったら、乗り越えられる。僕たちを作ったのは神様で僕たちは神様によってすべてを与えられて、生かされている」
「そうじゃない。自分がなんで今、生きていてこんなにつらいのか。苦しいのか。そもそも、なんで生きているのか。そんなん誰も分からへん。分からへんけど、それでも、俺は生きてるやん。今をはっきりと生きてる。それは自分で選んだことやと思う。今、裕太が喋っているのも、神様が与えたことなん? 違うやろ。自分で選んだことで自分で決めた結果やん」
「それも、神様が僕らに与えた出来事」
「そうやとしても、神様を崇拝して何になるん? そんなことしても、結局何も変わらへん」
「神様を崇拝するれば、神様は僕たちをずっと見守って下さる。そしたら、幸せになれる」
「そんなんで、幸せにはならへん。神様に祈っても、つらい修行をしても何も変わらへん。なんか、夢みたいなこと言ってるけど俺は夢で生きてない。はっきりと今を生きてるねん。俺は、死にたいと思いながら、死ぬことができずに、絶望するときもあったりするこの日々を必死で生きてんねん。不安なときや、死にたいと思うときもあるけど、大学でいろんなこと学んだり、裕太と仲良くなったり、そんな日々の中に確かな手ごたえがある」
とっさに出てきた言葉だったが、自分自身で一番、納得することができた。
自分がなぜ生きているのか。死ぬことができないから生きているだけだと思っていた。しかし、僕は、このつらい日々の中にも、知らず知らずに確かな手ごたえを感じていたのかもしれない。神様を崇拝することにで、現実から目を逸らしている裕太の考えに触れることで初めて分かった。