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生きる自殺志願者  作者: かいせい
2/10

現状

2、現状


 そんな思いを抱いているのに、僕はなぜ生きているのか。

それは、死ぬ勇気がないからだ。自殺ができないからだ。

だから、ずっと死にたくて生きている。

もっと言えば、死ぬ気で生きている。

もちろん、ここで言う、死ぬ気とは、一生懸命という意味ではない。

本当に、死ぬ気でずっと生きてきた。自殺する勇気がないから生きてきた。


 自殺とは、ほとんど殺人だ。

容疑者は自分、被害者も自分。

僕は、被害者になりたいだけで容疑者になる度胸がないのだ。


 ふと、バイクを運転しているとき、車に引かれたいと思うことがある。

いつも、大学に行くとき、母に「気をつけていきや」と声を掛けられて

僕は「ん、いってきます」と返事をする。

でも、気をつけていくときは稀だった。

むしろ、今日は引かれて死んでもいいと思っていたときがある。

もちろん、わざと信号無視して車に引かれて死ぬことはできない。

僕は、被害者でありたいのだ。

信号を無視して、引かれるには、信号を無視するという時点で、自分で自分を殺す意思がどうしても必要だ。


――できない


簡単なことなのに。信号が赤のとき、僕の目の前を通り過ぎる車に向かって一歩踏み出す。それだけで、死ねるのに。

でも、それをするには、まず、自分が自分を殺す容疑者にならなければならない。それは、どうしてもできない。


――誰かに優しく殺されたい

それが僕の思いだ。

だから、僕がもし車に引かれて死んだとしても、引いた運転手を責めない。

迷わず、その運転者に向かって「ありがとう」と思うだろう。


 こんな思いを持った僕だから、Twitterなどで、

「死にたい」と呟いている人の気持ちもよく理解できる。

彼らは助けを求めている。生きていてつらいから。

未来が不安で、絶望しているのだ。

――でも、死ねない。

自分で自分を殺すことができない。だから、「死にたい」と呟くのだ。

僕が、自分で自分に「死にたい」と言っているのと同じだ。

生きることがつらいのに、自分で自分を殺すことが怖い。

生きることに絶望しているのに、死ぬ度胸もない。

ひとえにそれは、地獄より地獄かも知れない。

拷問や、火炙りなんかとはまた違ったベクトルの地獄だ。

そんな中で僕は生きている。



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