イズン
ヘッドパーツをつけ替えたことで、長いブロンドの髪が不規則に散らばる。バランサーを調整して履けるようになったヒールは、かつかつと高い音を立てていた。
合流して間もなく、お前に話がある、とだけリーヴは言った。そして、イズンが気合いを入れて施した化粧についても一切触れることなく、さっさと手を引いて歩き出してしまった。なんと失礼で、なんと不器用な男だろう、とイズンは頬を膨らませている。百年の恋も一時に冷めるというやつだ。実際は、半世紀分の夢を託した一夜の恋に過ぎなかったのだが。
後方を顧みることもなく、ずんずんとリーヴは進んで行く。少女の腕を引くとは思えない力強さが、すべての答えだった。
二人は再び、展望台の屋根に並んでいた。リーヴはようやく掴んでいた手を離して、大型戦艦フレズヴェルクの前に立つ。
「これを、知っているな」
イズンを振り返り、断定的にリーヴは問うた。心地良い風が吹く快晴であったが、屋根の上ではその風も少し強く感じる。スカートがはたはたと暴れるのを押さえながら、イズンは「ええ」と頷いた。
「この惑星を開拓する時、先住の生命体と戦った人類の切り札、でしょ」
ユグドラシル設立以前、この惑星には先住の生命体がいた。それらとの戦闘において、フレズヴェルクは大いに人類に貢献したのだ。人々は終末戦争とも呼べるその戦いの激しさから、フレズヴェルクと先住生命体との戦いを、ラグナロクと呼んだ。ラグナロクにより、人間はこの惑星を手に入れることができたのだ。
そうだ、とリーヴは頷く。
「……俺とスラシルは、その制御機能を担っている」
「……え?」
突然の告白に、イズンは目を見開いた。フレズヴェルクは人類の希望であると同時に、恐るべき兵器だ。この惑星全土を火の海に変え、たった数日で先住生命体のすべてを焼き払ったと言われている。そんな兵器の存在と、向き合っているリーヴ、そして機体を預かっているスラシルの存在は結びつかなかった。
「どういうこと?」
あまりに突拍子のない話で、イズンの声には混乱がありありと浮かんでいた。七年前、とリーヴは話を続ける。
「あるロボットが先導になって、人類抹殺のテロ事件が起こった」
唐突に飛び出した物騒な言葉に、イズンはついに疑問を口に出すのもやめた。半世紀もの間目覚めていたというのに、そんな話は聞いたこともない。
リーヴの話によれば、ビフレストの戦いと呼ばれるそのテロ事件は、人間の地上帰還を不要だと判断したロボットたちの暴動であったらしい。己の力で豊かな社会を築くことに成功した高度な技術を持つロボットたちの中には、そうした思想を持つ者が一定数いたのだと言う。
もちろん、リーヴたちロボットの基本理念は人類の補助である。人間を滅ぼすことなどできない、人間を守るべきだというロボットたちが、そうした反乱ロボットたちと壮絶な戦いを繰り広げることとなった。そして、抗争鎮圧のために人類代表が下した判断が、フレズヴェルクの起動だったのである。
「フレズヴェルクのメインシステムへのアクセス権はスラシルにある。俺はあくまでスラシルという制御機能を守るために存在する警護システムに過ぎない。だからフレズヴェルクの起動には、スラシルの第一セーフティ解除、俺の第二セーフティ解除、そしてもう一度スラシルによる第三セーフティの解除が必要なんだ」
イズンは顔をしかめた。
「もう少しわかりやすく」
待ったをかけるイズンに、リーヴは少し首を捻った。それから、「例えるなら……スラシルが『提案』だな。俺が『承認』で、最終的な『実行』もまたスラシルの権限になる」と顎に手を当てて答えた。フレズヴェルクを起動するには、三つの段階を踏まねばならないということだ。一つの答えで大きな力を振るわないための制限。そして最後の権限は、より深い思考を可能とするスラシルに託されている。
イズンは少しずつ頭が追いついてきて、自分はとんでもない相手の機体を借り受けているのではないか、と恐ろしくなってきた。スラシルとは、リーヴのこともあって会話の弾む友人のような間柄になったと感じていたのだ。スラシルは快くイズンを受け入れ、そして嗜好パーツまで埋めこんでくれた。真実を知った今となっては、罰当たりな、という言葉が浮かんでくる。
人類の希望とされた圧倒的な力。その制御を担う者。つまりは、リーヴとスラシルこそがフレズヴェルクであると言っても過言ではない。
そこまで思考が辿り着いて、イズンははっとした。二人がフレズヴェルクであり、反乱ロボットの鎮圧のためにそれを起動したということは。
「……テロ事件の主犯格は、俺たちと親しい友人だった」
ぽつりとリーヴに告げられた言葉を飲みこんで、イズンはまた、え、と目を見開いた。それはつまり、二人は人類のために。親しい友人を、人類のために。
導き出された答えにイズンが顔を青くさせて言葉を失っていると、少し焦ったようにリーヴは「違う」と口を挟んだ。
「違う。お前が気に病む必要はない。そんなことを言いたいわけじゃないんだ」
人類のために、友を殺した。それを、人間のイズンに告げるのは酷な話である。だが、リーヴはそうではないのだと首を横に振った。イズンは、俯きながらもリーヴが続ける言葉を待つ。壊滅的に彼は言葉選びが下手だから、どうか気を悪くしないでやってほしい、とスラシルに言われたことを思い出していた。
「お前と……イズンと過ごして、わかったことがある」
自分の内側を必死にかき集めて、それをようやく形にできたかのような、切実な響きがリーヴの言葉にはあった。イズンは沈黙でリーヴの言葉を促す。
「あいつは、スラシルのことが好きだったんだ。同じ目を、していた。イズンと同じ、誰かを愛する者の目なのだとわかった。俺たちが壊して、それでもあいつは最後までスラシルを見つめていた。だからスラシルは泣いていた」
敵対してしまった友人から向けられていた好意に、スラシルは気づいていて、わかっていた上で破壊した。だから酷く傷つき、嘆き悲しんだのだ。だがリーヴにはそれがずっとわからないままであった。快くはない。そう思うばかりで、明確に名づけてやることのできない蟠りを抱えていた。
それがようやく、イズンと過ごしたことで晴れたのである。イズンの瞳を、リーヴはまっすぐに見据える。
「お前は俺に、誰かを愛するということを教えてくれた」
陳腐な愛の告白のような言葉だった。だがリーヴはそれがありふれたものであると知らない。だからこそイズンを通して、奥深くまで届いていく。
「だったら、誰を愛しているの」
イズンとスラシル、どちらともなくリーヴに問いかけていた。風が、一段と強く吹く中、リーヴは口を開く。
「俺は、スラシルを愛している。ずっと昔から、愛していたんだとわかった」
陳腐でいて唯一の愛の言葉。大粒の雫が、両目からぼろぼろとこぼれていく。イズンは泣いていた。しかし続くのは、さっぱりとした晴れやかな声だった。
「違うの。スラシルの涙よ」
つけ替えた長いブロンドの髪が、不規則に散らばる。とめどなくあふれる涙は、化粧を台無しにした。偽りの少女の崩壊は、おはようと叫び出したいような、そんな心地にさせた。
⬛次回は、明日13時ごろ掲載予定です。
次で最後になります( ´∀`)