ヴェルンド
「お前はバカなのか?」
この下手くそ、とスラシルはメンテナンスベッドの上で古い友人であるヴェルンドに罵られていた。返す言葉もない、とスラシルは大人しくベッドに横たわって目を細める。
換装は、何とか完了していた。無事とは言い難いものの、Y字の機器はスラシルの下腹部に収まっている。しかし、部屋は酷い有様であった。循環液で真っ赤に染まったシーツは、ちょっとした事件現場のようだ。
スラシルの機体の形状記憶型ナノマシンは、太陽光をエネルギーにして自己修復を行う。縫合した皮膚の修復のために、陽光を浴びようとスラシルは思い立った。それには例のお気に入りの場所が丁度良いと、重い体を引き摺ってふらふらと通路を歩いているところをヴェルンドに発見されたのだ。貧血で青い顔をしているスラシルを見て「何してんだお前!」とヴェルンドはスラシルをメンテナンスルームへと運んだ。
「いくら丈夫だからってな、無茶していいってわけじゃねーんだぞ」
ほぼ専属メカニックとも言えるヴェルンドは、てきぱきと無駄のない動きでスラシルがジグザグと縫い合わせた下腹部をもう一度さっと開くと、内部を点検した。まったく、あのままじゃオーバーヒートするところだ、はめこみも甘いし、こぼれた循環液の拭き取りも充分じゃない、と叱られる。ごめんなさい、とスラシルは謝るしかなかった。お前ってヤツは、とヴェルンドは呆れかえりながらも、鮮やかな手つきで切開した皮膚を綺麗に縫合し直した。循環液もきちんと補充される。
「何で自分でやろうなんて思ったんだよ。嗜好パーツだろうが何だろうが、言ってもらえりゃ引き受けるってのに」
目を泳がせながら答えに窮するスラシルに、ヴェルンドは深いため息を吐いた。
「……リーヴか」
ヴェルンドは大まかな察しがついたらしい。スラシルは沈黙で肯定を示した。ヴェルンドは、スラシルがリーヴに対して特別な感情を持っていることを知る数少ない相手なのである。
機材のセットアップに、ヴェルンドはコンピューターを操作しながら「昨日の今日なんだ。地上視察と何か関係があんだろ」とスラシルの様子を窺った。今まで必要ないとしていた疑似生殖機器をいきなり、しかもこそこそと換装したのだから、何でもないは通用しない。スラシルは観念して、ことの顛末をぽつぽつとヴェルンドに話した。誰にも相談できずに抱えていた想いは、一度堰を切るとなかなか止まらなかった。かろうじて涙は流さなかったが、唇が何度か震えていた。
「……お前、それでいいのかよ」
あらましをスラシルの口から聞いたヴェルンドは、顔をしかめてそう問うた。そんな情けのない話があるか、とヴェルンドは言う。
良いわけがない。けれどどうしようもない。
「……仕方ないよ」
スラシルは目を逸らして、ぼそりと返した。
「おれなんかより、彼に相応しい相手はたくさんいる」
ヴェルンドはしかめ面を崩さずに、またお前はそうやって、と渋い声を上げる。
「自分を卑下し過ぎなんだよ。一度でも本当の気持ち、言ったことあんのか。アイツはお前が思っている何倍もバカなんだぞ。言わなきゃきっと、あと百年あってもわからない」
うん、とスラシルは小さく頷いた。確かにリーヴは他者の考えや感情の変化というものに鈍感だ。だがそれを、己の筋が一本通っている証拠だと思って、スラシルは羨ましく思っている。周囲の意見や誰かの想いに敏感に反応して、流されそうになってしまう自分とは大違いだ。
あと百年か、とスラシルは思いを馳せる。本当はおれは君のことが好きで、イズンとしたようなことをおれとしてほしい、と言ったら、その百年はどうなるだろう。お前にそういった興味はない、と距離を置かれてしまったらどうしようか。親友という足場を崩してしまったら、今までのように気安くいられない。それならば、文字通り少女の身代わりとなったこの体の、一時の幸福だけを噛み締めて、大事に大事に想いをしまいこんで、親友として変わらずにありたかった。百年もその先も、リーヴとともにいられるのならば。
「またくだらないこと考えてるな」
呆れた様子でヴェルンドはスラシルの頭を叩いた。物事をややこしくするのが特技なのかと言われて、スラシルは苦笑した。それには自覚がある。
「俺にとっちゃどっちもフレズヴェルクの半身に違いねぇ。ガラじゃねぇが、運命づいていると思ってるよ」
セットアップが完了し、機器が作動し始めたらしく、ヴェルンドは立ち上がりながらそう言った。彼の口から運命などという言葉が出るのは珍しい。恥ずかしいのか、コンピューターを操作してそっぽを向いていた。
フレズヴェルクの半身。その呼び名はリーヴとスラシルのどちらにも相応しかった。ベースの中央で眠る大型戦艦フレズヴェルクの、二体で一つの鍵となる。
「痛覚コードを接続する。多少違和があると思うが、正常に起動してるぜ。もし何か不調があればすぐにここに来い」
ふらふら出歩かずに、部屋で安静にしていろよと、スラシルは釘を刺された。はい、と素直に従う。痛覚コードが戻っても痛みはなく、そっと起き上がってみるとヴェルンドが言った通り、少しだけ下腹部に違和感があった。少し張るような、重いような。だが、自分で換装した時よりもその違和は小さく、縫合した部分も綺麗に繋がり始めていた。
さすがだね、ありがとう、と礼を言うと、当たり前だろとヴェルンドは胸を張った。複雑でブラックボックスの多いスラシルの機体を、本人以上に彼は理解している。
「どんな心配をしてるのかは知らねぇがな、アイツはお前が思っている以上にお前から離れられない性質だぜ」
メンテナンスルームを出て行くスラシルに、ヴェルンドはにやりと笑って声をかけた。リーヴとヴェルンドも、スラシルと同じく付き合いが長い。彼にそう言ってもらえると心強くて、ありがとう、とスラシルは笑った。
部屋に戻って、あの事件現場を片さなければ。そうしたら、イズンに連絡を入れよう。
幾分か顔色の良くなったスラシルは、口を引き結び、ぐっと拳を握って歩を進めた。
⬛次回は、明日13時ごろ掲載予定です。