スノードーム
スラシルにとって、リーヴはずっと憧れの存在であった。稼働時間を同じくする、唯一の存在であり、どちらかが欠けることを許されない対の存在。それでもその関係を対等だと思うことはなかった。いつもスラシルはリーヴに守られている。彼の性質がもともとそういうものであることはわかっていたが、それでもスラシルは自分が甘やかされていると感じていた。
リーヴは常にスラシルのそばにいた。見守り、助け、支える。それが彼の稼働理由でもあるからだ。何でも話せて、何でも共有できると思っていた。互いが互いの唯一無二でいられると思っていた。
だがその温かな居場所は、昨夜の出来事で崩壊する。
まさか帰りがけ一番にリーヴに出会ってしまうとは思っていなかったが、自分でも驚くほどにスラシルは冷静でいた。右手に握っていた、紙袋の存在があったためかもしれない。それを買うまでに、たくさん考えて考えて、泣きごと恨みごとも何もかも腹の中にぎゅうぎゅうと溜めこんで、涙がこぼれないように堰き止めていたのだ。スクラップだらけになったおかげで、腹は決まっていた。
スラシルは、リーヴがイズンに買ってやった帽子を思い出す。星のない夜空のような、濃紺のキャスケット帽。無邪気で人懐こい笑みを浮かべる彼女には、可愛らしいあの服も帽子もよく似合っていた。自分には到底似合わない。外見は同じでも、中身が違えば似合う服も変わる。リーヴは、イズンのもたらすあの愛らしさに贈り物を買ってやったのだ。スラシルは言い聞かせるように目を伏せる。ずっと一緒にいるスラシルは、リーヴから贈り物の一つさえもらったことがなかった。
スラシルは、部屋の窓辺に置いてある、ゼンマイ仕掛けの玩具を大切にしていた。ゼンマイを巻けば、小さな音楽を奏でながらくるくると回るスノードーム。それは昔スラシルがジャンクショップを覗いた時に見つけたもので、買った時はぎこちなく回りながら、途切れ途切れに歌うガラクタであった。手先が存外器用なリーヴはそれを一度ばらばらに分解し、また組み直して、修理してくれたのだ。ぎこぎことゼンマイを巻けば、玩具は可愛らしく歌う。リーヴが直した、スラシルの宝物。
玩具が奏でるのは、旧式言語を用いた歌であった。人類がまだ地球にいた頃、言語の統一化以前に使用されていたものだ。同じ単語を繰り返すのが印象的で、歌の意味が気になってスラシルは一度調べてみたことがある。どうやらその言語には、相手に好意を伝える単語に、友愛と恋愛の明確な境界がなかったらしい。だからこそ「あなたのことが好きだけれど、あなたのことは好きではない」という別れの文句が完成する。友だちとしては好きだけれど、恋人としては好きになれない、と言いたいのだ。
もしこれが自分たちの共通言語であったとしたら、そんな文句でリーヴに断られていたのだろうかと、スラシルは考える。俺たちは親友で、恋人にはなれない。リーヴの声でやすやすと脳内再生できてしまうのが嫌だった。
リーヴに好かれる要素なんてない。理想ばかりが高くて、肝心な時に役に立たなくて、そしてたくさん殺してしまった。離れられないのは、この身にかけられた呪いのせいなのだと、スラシルはわかっていた。かわいそうなリーヴは、対の呪いによってどこにも行けないのだ。しかしイズンはそうではない。
リーヴの隣に大きな顔をして居座っていたけれど、それは彼の望んだことではなかった。そうあるべきと仕組まれていて、彼が意思を持って選んだのは、彼女だった。
泣き出しそうになるのを必死に唇を噛んで堪えながら、スラシルはそう結論づけた。だって彼女はたった一日で。たった一度きりでリーヴの一番深いところに触れてしまったのだから。
メモリーに焼きつけた昨夜の親友の姿を脳裏に浮かべる。性機能を持たないスラシルの体を、目覚めた時のままで何もカスタマイズされていない無機質な体を抱いた憧れの相手。きっと彼が抱いたと感じているのは、彼女のことだ。それでもスラシルは火照りを感じずにはいられなかった。どんな形であったとしても、好きな相手に触れてもらえたのだ。その感覚を、自分も知り得た。
机の上に置かれた紙袋を見る。次にイズンがやってくる前に、換装してしまおうと帰りがけに女性型の疑似生殖機器をその足で購入してきたのだ。こういった時の行動力の高さは自分でも呆れるほどである。
がさがさと紙袋から取り出し、箱を開けた。梱包材に包まれた、Y字型の機器をそっと取り出す。箱の割に、中身は案外小さい。少し安堵した。さっそくマニュアルのインストールしようと、首の後ろにコードを繋いでパソコンを立ち上げる。
簡易的な換装なら、部屋でもできるようにと工具等は一式揃えていた。ただ、場所が場所だけにうまくやれる自信がない。パッケージには「取り付けらくらく」という製品説明が印刷されていたが、実際にそうだった試しはなかった。お前が下手なだけだろうと、リーヴに言われたことを思い出す。
鏡か何かを見ながらやった方が良いだろうか、と周囲を見回しつつ、随分間抜けな恰好になるだろうなと思うと、少しだけ笑える余裕が生まれていた。循環液のパックもあった方が良い。メンテナンスルームから、持ってこよう。汚すだろうから、シーツを敷かなければ、と頭を埋めていく。
いざ行動に移そうと決まれば、気持ちがわずかに晴れてきた。立ち止まってしまえば、また余計なことを考えてしまうのだから、とにかく動いている方が良い。ショップでこそこそと商品を見ていた時は、見れば見るほど怖気づいてしまいそうだったが、ここまでくればもう後には引けないと、開き直っていた。
スラシルは、そっと自分の下腹部を撫でてみる。
やれるところまでやってみよう。少女のおこぼれにありつこうとしているのだから、もう今さら恥だなんだと言っている場合ではないのだ。
インストール完了の通知を受け取る。利用規約にざっと目を通して、それからマニュアルを読みこみながら、メンテナンスルームから循環液のパックを二つ頂戴し、換装時用の消毒済シーツをベッドの上に敷いた。
マニュアルに記載された手順をもう一度復習し、痛覚コードを切る。
スラシルは、シーツの上でメスを手に取った。
⬛次回は、本日21時ごろ掲載予定です。