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フレズヴェルク



 無事に九つのギムレーを巡り終わる。予定よりもずいぶんと時間がかかってしまい、とっぷりと日は暮れていた。ユグドラシルの空に、微かな星光りが浮き出す。第一ギムレーには、点々と続く常夜灯のやわらかな光が灯されていた。


 迎えを寄越そうとしたリーヴが通信をする前に、イズンはリーヴの腕にそっと触れた。そして、あの、と上擦り気味な声を上げる。


「スラシルから、聞いたの。好きな場所があるんだって……」


 俯いていたイズンは、少し顔を上げて上目遣いにリーヴを見た。連れて行ってほしいの、というイズンの頬は常夜灯の光でもほんのり色づいていることがわかる。スラシルの、好きな場所。思い当たる場所は一つだった。


「……わかった」


 それが最後の視察だなと言うと、イズンは目を細めて笑い、頷いた。




 スラシルが好きな場所というのは、展望台で間違いないだろう。時間を見つけては度々展望台に上って、ギムレーを見渡している。第一ギムレーは九つのギムレーのうち一番高い場所にあり、見晴らしは非常に良かった。


 中庭を通り、展望台行きのエレベーターに乗りこむ。すっかり大人しくなってしまったイズンは、黙したままリーヴに続いた。


「着いたぞ」


 エレベーターが開き、壁面が全面ガラス張りとなった展望室に到着する。第一ギムレーにやってきた時と同じように、イズンは歓声を上げた。前へと進み出て、景色を見下ろす。


「……綺麗ね」


 リーヴは呟くイズンの横顔を見た。スラシルの瞳は、暗闇の中でも暗視モードで淡く発光する。大きな瞳は、眼下のギムレーの輝きを取りこんで揺れていた。


 そうだな、と返答するリーヴの電子頭脳には、数日前のスラシルとの会話が蘇っていた。おれたちが守ってきたこの場所をようやく人に見てもらえる。スラシルはそう言って、嬉しそうにしていたのだ。今、イズンの瞳を輝かせているのも、間違いなくスラシルが守った希望の光である。スラシルの喜びの姿を、自分の実感としてリーヴは上書きした。


 時の流れを忘れ、二人はじっとギムレーの明かりを見つめていた。だが、何かを思い出したかのように、イズンはきょろきょろと周囲を見回し始める。どうした、と問うても「んー……」という曖昧な返答しか返ってこなかった。


「あっ、これね」


 探しものを見つけたらしいイズンは小型のフットライトの明かりを頼りに壁沿いに進み、点々と続くライトの丁度真ん中あたりに腕をかざした。ぴぴ、という認証音に続いて、壁の一部が円形に凹むと横にスライドしていく。人一人ならば優に潜れそうな通路が壁にぽっかりと口を開いた。確か、屋根のメンテナンス用の専用通路だったはずだ。


「どうしてお前がそんなものを……」


 思わず呟いたリーヴに対して、イズンは肩を竦めて見せた。


「スラシルの一番好きな場所は、この先よね」


 イズンは躊躇うこともなく、しゃがんで通路の中へと入っていった。やれやれと思いながら、リーヴはその後を追う。ただ体を貸し出しただけかと思いきや、スラシルとイズンにはそれなりに交流があるらしかった。


 短い梯子を上れば、屋根の上に到達する。緩やかなカーブを描いている屋根には柵などはなく、縁に少し足場となりそうな平らな部分があるだけであった。振り向けば、普段よりもより巨大に見える戦艦が聳えていた。



「……フレズヴェルク……」



 戦艦を見上げて、イズンがぼそりと呟く。


「これが、あの……。こんなに近くで見たのは初めてだわ」


 圧倒された、という様子に「だろうな」とリーヴは頷いた。


「大量殺戮の兵器だ。誰も好んでは近づかないだろうさ」


 ただ一人、スラシルを除いては。だがスラシルの場合も、フレズヴェルクと呼ばれる大型戦艦兵器を好んでいるわけではない。


 ふらりと引き寄せられるように足を踏み出したイズンの手を、リーヴは掴んだ。


「あまり近づかない方がいい」


 お前のその機体で、という言葉は言わないでおいた。突然手を握られたイズンは、はっとした様子でリーヴを振り返り、こくりと頷いた。わずかに目が泳ぎ、口元はきゅっと引き結ばれる。リーヴは手を離した。


「スラシルはね、こっちの縁の方に、腰かけるんですって」


 慌てたようにイズンは口を開く。そろりと屋根を降りて縁まで辿り着くと、足を投げ出すようにしてそこに座った。リーヴもそれに倣う。


 スラシルがぼんやりとここに座っているのを、リーヴも何度か見かけたことはあった。ある時は澄んだ空気と朝露の中で、ある時は滲んでいく夕暮れの中で、またある時は星の明かりだけを纏う頼りない暗闇の中で。その時ばかりは、スラシルを遠く理解し難いものに感じてしまうのだ。思えばこの場所に二人で並んで座るのは、初めてだった。


 今度はガラス越しではなく、直に瞳に光を宿しながらイズンは語る。


「実はね、私、眠っていないの」


 眠っていない、と復唱してリーヴはイズンの表情を窺った。彼女はまっすぐに夜景を見つめながらも、その瞳は記憶の中を覗いているようであった。


「コールド・スリープに入る前にね、お父様は『管理者として精神だけは電脳空間で覚醒しておく』と言っていたわ。肉体の時を止めて、精神だけは長い間目覚めておくんだって。でも、それってすごくアンバランスなことじゃない? 次に肉体が目覚めるまでどれくらいかかるかもわからないのに、ずっと起きて待っていなきゃいけないなんて」


 イズンは目を伏せて、すごく心配だった、と小さく息を吐いた。


「だから、私も起きていようと思ったの。お父様だって何年も何十年も娘に会えないのは寂しいでしょうし。眠っていた方が楽だとは言われたんだけど、そうはしなかった」


 コールド・スリープで眠らなかったとなれば、今まさにスラシルの機体に精神データをインストールしているのと同じように、肉体と精神の乖離を半世紀もの間行っていたということになる。リーヴやスラシルが記憶する稼働時間と同じかそれ以上の膨大な時を、年頃の少女が一人で受け止めきれるものだろうかと、リーヴは驚いてイズンをじっと見つめた。その視線に気づいたイズンはリーヴへと向き直り、ふふ、と軽い笑い声を立てる。


「だから、言ったでしょ? この日を楽しみにしてたんだって」


 代わり映えのない日々から、少女はようやく解き放たれようとしているのだ。目に映るすべてのものが真新しく、躍動に満ちて見えるのも無理はない。


 リーヴの方へと体を寄せたイズンは、そっとリーヴの手に触れて、それから指を絡めた。


「こうやって……誰かと触れ合うのも、本当に久しぶり」


 絡める指にぎゅっと力がこもる。リーヴの視線は一瞬ちらりとそちらへ傾いた。そしてそれを上げたタイミングで、イズンは唇をリーヴの唇に押し当てていた。しっかりと両目を閉じて、何かを必死に乞うような祈りのキスであった。だが、それは力強く、リーヴは驚きに目を見開いた。


 キスを、している。イズンと。しかしやわらかいと感じるのは、スラシルの唇だ。



 ――スラシルとキスをしている。



 思わずリーヴはイズンの体をぐっと後ろへ押していた。混乱から逃れるためにひとまず距離を取ろうとする。しかし、場所が悪かった。リーヴに突き飛ばされたことでイズンの体はバランスを崩して、ぐらりと揺れる。驚いた顔をして、ゆっくりと傾いていくイズンにリーヴは素早く手を伸ばしていた。


 どさりと、リーヴは屋根に背を叩きつけるようにして倒れこんだ。腕には、イズンを抱きしめている。屋根から突き落としてしまいそうになったイズンを咄嗟に掴んで、リーヴは自分の方へと引き倒したのだ。スラシルの機体は頑丈であるため、展望台の屋根から落ちたところで大した傷にはならないであろうし、イズンがうまくやれば着地も可能だったはずだ。それでもやはり、ひやりとした。焦りのせいで、強く抱きしめてしまう。


「……くふっ」


 堪えきれない、という風に腕の中でイズンは吹き出した。くふふ、と嚙みきれない笑いをこぼしながらイズンは体を小刻みに震わせている。笑いごとじゃないぞとリーヴは息を吐いたが、イズンの笑いはもう止められないようであった。ふふ、ふふふ、と笑い声を重ねながらリーヴの首へと腕を回す。


「ねぇもっと抱きしめて」


 リーヴの上に覆い被さって、イズンはそう言う。悪戯っぽく細められた目はひどく幸福そうだった。リーヴは腕に力をこめる。もっと、とイズンは言った。もっと、もっと強く抱きしめていて。好きよ。私、あなたが好き。好きだよ。


 まるで呪いのような祝いの言葉であった。スラシルの声で、イズンは囁く。恥じらうような舌足らずな言葉の響きは、親友と少女の境を曖昧にした。



 リーヴは少女を抱き、そして友の体を抱いた。




⬛次は、12月24日 20時頃掲載予定です。

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