08
ゼンの疑問はリサの一言で解決したので、一行は再び土と落ち葉に埋もれた石畳の古い街道を進み始めた。修繕が全くされていない遺跡の道とはいえ、森の中よりは随分歩きやすい。
「全く。俺みたいな貧乏人じゃなかったら大変なことになると思うんで、気をつけてくださいね」
歩きながらゼンがそう告げると、レイルは申し訳なさそうな表情を浮かべていることが横顔でもよくわかる。
リサはともかく、従者のレイルはしっかりしていなければならないのだから、気を引き締めてほしいものだ。会って数日の自分に言われるのも複雑かもしれないが、彼は素直に受けとめてくれている様だった。
気まずさからか、レイルはずれてもいない眼鏡を指で押し戻している。蜜色をした涼しげな目元はきりりと細められていた。
「今後気を付けますね、銃のことは特に」
「そうね。ゼンがいい人でよかったわ」
いい人。
その言葉はゼンの心にぐさりと刺さった。リサがそんな気なしに言ったことはゼンもよくわかっている。こちらの事情も説明していないのだから当然だ。
ゼンが踏み出した足を数秒止めた後で動かしたので、戸惑う声が聞こえてくる。そのまま踏み込まないでいてくれる方が有難いが、そうも行かなかった。戸惑った彼女は謝罪してくれる。
「ごめんなさい。何か気に障ることを言ったかしら」
「い、いや。そういうわけじゃないんです。俺がただ気にしてしまってるだけで」
「でも、それじゃあっ、きゃあ?!」
ゼンの斜め前で謝罪してくれた彼女を避けた直後、再度こちらへとリサが近寄った時だ。バキッという音がしたと共にリサの身体は傾いた。
「リサさん!」
足下に開いた大きな空洞へと、がらがらと石と砂が崩れ落ちていく。リサの腕をゼンとレイルが掴めたのでよかったが、そうでなければ彼女の身体はそこに落ちていただろう。
ぐっと力を入れてレイルと共に彼女の身体を無事な街道の上まで引き上げる。鍛えているレイルは顔色を少しも変えずに小柄なリサの身体を引き上げることくらいはできるだろう。
だが、ゼンはそうでもない、はずだった。二人がかりで少女を引き上げたにしては、呼吸も荒くなることはなく、力を込めすぎた反動で後ろに二三歩たたらを踏んでしまうほどだった。
「リサ様、ご無事ですね」
「えぇ。二人ともごめんなさい、ありがとう」
「これは前の研究チームが臨時で架けた橋でしょうか。一部が腐っていたんですかね」
戸惑うゼンのことには気が付いているのかいないのか。リサの無事を確認すると、レイルは大穴と抜け落ちた部分を覗き込んでいる。眼鏡は落とすまいとしているのか、つるを指で握りながら暗い大穴の底を注視していた。
その状態の彼に訊くのは止めておいた方がいいだろう。ゼンが気まずい気持ちでリサを覗き見ると、目が合った彼女はきょとんとした表情を浮かべている。
「何? また何か訊きたいことがあるの?」
話が早くて助かるとは思いつつも、苦笑するほかない。あぁだの、えぇだのと口ごもっていると早くしなさいと叱られてしまった。明らかに幾つか歳下のはずの少女に厳しい声を掛けられ、ゼンの背筋は一瞬で伸びる。
言い難い。再度彼女を見ると睨まれる。レイルはまだ穴の底に夢中な様子だ。
「ゼン、早くしなさい」
「はいっ。あの、なんというか……リサさん、体重はどのくらいですか」
「あんた、私が重いって言いたい理由……?」
一瞬で周囲の温度と重さが変わった様に感じた。引きつりそうになる表情を押しとどめて、ゼンは必死に両手と首を左右に動かし弁明する。こちらに注がれるじとりとした眼差しは一向に変わらなかった。
後ろに下がりたいが、後ろは先程リサが落ちかけた穴が口を開いて待っている。流石に成人男性の自分が落ちればリサの様に掴みあげることは難しいだろう。それに、リサが簡単に引き上げられたことは特殊なはずだ。
「ち、違います! 俺はその、逆で! リサさんが軽すぎるって思ったからで!」
「完全に取り繕ってるでしょ!」
リサの腕が伸びてきて掴みかかられると思った瞬間のことだ。
「どうやらリサ様、お手柄の様ですよ」
空気を読まずに入ってきたレイルの声は弾んでいる。口元は上向きに釣り上がっていて、ただ一人表情も明るい。
「レイル、あんたはちょっと黙ってなさい」
「大穴の奥、よくみたら舗装された壁と階段が見えました。微かに琥珀色も見えたので、下に何かあることは間違いないですね。で、リサ様にはその体重の軽さを生かして下まで降りて頂きたいんですよ」
「レイル、あんたまでそういうことを……あぁ、そうね。忘れてたわ。ゼン、ごめん」
「え、何がですか?!」
険がとれたリサの表情は一瞬だけ申し訳なさそうになり、すぐに引き締められたものへと変わっている。何が何だかさっぱりわからない。彼女の雰囲気の変わり具合に戸惑っていると、レイルが苦笑してリサの足元を指差した。
レイルに誘導されて彼女のブーツに視線を動かして、よくよく見ると踵の周りに小さな装飾が施されている。……まさか。
顔をあげてレイルに視線を合わせると、彼はいつも通りの穏やかな表情で肯いている。
「戦闘もありますし、普段から疲労が少なく済むからと自身の重さを軽くしているんですよ」
「……いったい普段から幾つ使ってるんですか」
「さぁ、幾つでしたか。あまり公表しない方がいい、と先程も伺いましたので」
意地悪い口調ではあるが、レイルは穏やかに微笑みを湛えたままだ。そういう職業なのだから、大量に持っていても不思議ではないんだ。あまり驚きすぎない様にしよう。そう思い直し、ゼンは息を深く吐き出した。