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眩いとまでは到底言えない、どこか心許なさを覚える弱さでワイヤーケーブルは輝いている。存在を主張するにしては密やかすぎるが、橙と黄色が混ざり合う光は誘う様に明滅していた。
事実、先に下りているリサに誘われていることは間違いない。既にレイルは近くの樹木へ固定したケーブルを何度か試して強度を確認すると、手袋を装着し直している。
これを先程のリサと同じ様にして下りていくのだろうか。いや、それしかないことくらいゼンにも分かっている。そうでなければ、レイルはきっと縄ハシゴくらいとっくに出しているはずだ。持っているかどうかは見ていないのでわからないが、彼なら持っていそうだ。
視線をずらして穴の中を覗きみて、ゼンの口の端はひくりと動いた。先程リサが軽快に下りていく姿は見ていて心地よさを覚えもした。けれど、それはそれだ。
あれは何らかのアンバーを使っているリサだから、あんな身軽に動けたのだろう。そうでなくても訓練を行っている人間だから出来たに違いない。自分の様な一介の料理人が出来る技ではないだろう。
何度か頷いて少しずつ無意識の内に穴のそばから離れていると、ゼンの肩に手が乗った。ぽんと軽い調子で置かれたはずなのに、やけに重く感じるのはゼンの感情からだろうか。流石に顔は向けられなかったのだが、
「お気持ちは察しますが、もしどこかで琥珀を手に入れたとしても、ここまで来て下りられない様な人は駄目だと思いますよ」
溜息混じりのその言葉は、ぐさりと刺さった。手入れができていない歯車の様に、上手く首が回らない。ゼンの首が動ききってやっとレイルの顔を見えた頃には、彼は苦笑していた。
「まぁ、無理にとは言いません」
「いや、下ります。下りますので、地面にべしゃりと落ちようがやりますから」
「意気込みは何よりですがその場合は私達が面倒なので、こうしましょうか」
にこりと微笑んだレイルが告げた内容は彼からすれば名案のつもりだったらしい。名案というよりは妙案であり、できれば遠慮したい類のものだ。
しかしゼンは従うしかなかったので素直に頷きはしたが、内心は複雑だ。吐き出せない文句が渦巻いている。
楽ちんではあるし、安定感や安心感はある。自分一人で下りていけと言われなかっただけましだ。
「おっと」
了承し行動に移してからも悶々と考えていると、ケーブルと共にレイルの身体がぐらりと揺れた。同時に彼にしがみついて自分の身体もつられて揺れる。思わず力をこめると、背負ってくれている彼の表情は見えないが苦笑したことは伝わってきた。
「すみません、蹴った壁が崩れたらしく」
「い、いえいえいえ……! お気になさらず!」
「どうも地質が変わっている様ですね。もっと明るければじっくり地層の確認もしたいところです」
「今は、早く下りましょう!」
「そうですねぇ、リサ様もお待たせしてしまってますからね。それなら急ぎましょうか」
え、とゼンが一言洩らした直後だ。レイルは壁を強く蹴りあげると、身体を宙に浮かせた。先程までならすぐにまた壁に彼の足が着くはずなのに、今はシャーッという軽い音が響くばかりだ。冷たい風が次々に頬へ当たる。ここで落ちたらたまらない! ゼンに出来ることといえば、レイルの背中に必死にしがみつくことだけだった。
どうか早く終わってくれ。心からそう願っていた時間は思ったよりも長かった様な短かった様な、曖昧な長さだった。目を瞑っている間に気がつけばふわりと何故か浮遊感が身体を包んで、レイルの身体と共に穴の底へと下り立っていた。
「ゼン様、もう大丈夫ですよ」
そう柔らかな声音のレイルの声に恐る恐る目を開けようとした時、ゼンの耳に耐えきれないと言わんばかりに噴き出した音が届いた。誰がなんて考えるまでもない。
それに、予想はしていたのだ。下りていった先で待っているリサが目を丸くした後、今の様に腹をよじる様にして笑い転げることくらい想像は簡単だった。
彼女が盛大に笑う度、手に持っていたランタンが揺れている。揺れた光が時折暗さに慣れていないゼンの目に入り眩すぎるので、光源はもう少し安定させてほしい。
すぐにレイルの背から下りて礼を告げても、リサの笑いは一向に収まらない。ゼンが一息ついても問題はないだろう。案の定、少し離れたところでさっと辺りのゴミを払って腰を下ろし、水筒の水を飲んでいてもまだ続いている。
「あっ、はははは!」
「リサ様、笑いすぎですよ」
「だっ、て……! いい歳した大人の男二人が、おんぶだなんて……! もっと明るいところで見たかったぁ!」
「これしか手段が無かったんですよ」
「ゼンが一人で下りたらよかったじゃない。あぁ、そうか怖かったみたいだものね」
「リサ様。それに、リサ様をお待たせしてしまうことも申し訳ないので」
「ん、まぁそうね」
ちゃんと納得した素振りを見せながらも、彼女は目尻の涙を拭っている。そんなに笑わなくてもいいじゃないか。リサのことを見ると、彼女は目を丸くしてこちらを見た。
「何でしょうか」
まだ笑われる様なことがあっただろうか。思わずジト目で見てしまったが、お荷物の身ではあるがこのくらいは許されたい。
「えぇ、その……そこ骨が落ちていたはずなんだけど」
思わず立ち上がって座り込んでいたところをゼンが見ても、暗くてよく見えない。いや、この場合は暗くてよかったのかもしれないが。一歩二歩とそのまま後ずさりすると、何かにぶつかった。
跳ね上がりかけた身体を抑えて首を回すと、こちら、というよりはゼンが座り込んでいた先を覗き込んでいるレイルの顔が見えてほっと息をついた。ふむ、と呟きながら彼が明かりを向けようとしたので慌てて場所を譲って視線を逸らした。
「リサ様、こちらまとまって落ちていましたか?」
「いくつかはね。この場所にうっかり落ちて亡くなったものみたい。形が残っている物も同業者らしいものがなかったし、大体骨折してるようだから」
「なるほど、一先ずこの場は安全ですが……奥にはまだまだありそうで」
すっとレイルが手に持つランタンを掲げた先には、細く暗い通路が伸びている。舗装された石畳の先はどこまで続いているかはわからないが、石畳のおかげでここは既に遺跡なのだということだけはゼンにもわかった。それと、先程何気なく払ったものが人骨かもしれないということも。
思わずそちらに向けて祈りを捧げ終えると、リサが咳払いをした。何か言い難そうにしている彼女の言葉を待つと、更に息を吐き出される。
「あのね、気持ちはわかるけれど、これから先はそんなことしないでよ」
「しませんよ」
「やるなら遺跡の確認が終わってから、外へ出て全部まとめてやるわよ。どうせこれからも見つけるでしょうし」
これからも? 聞き返すよりも早く、リサは「休憩終わり。さ、行くわよ」と一言告げると身体を反転させている。
細く、暗い通路を先程森の中を歩いた時同様に、レイルを先頭に進んでいく。進んでいくごとに否が応でも先程のリサの言葉は理解せざるを得なかった。
踏み進める足に当たる軽い何か。最低限の明るさしかないので足元をどうしても見てしまい、嫌でもそれは目に入ってくる。主に泥で汚れてしまっているが、他に落ちているものからしても人骨で間違いないだろう。
それでも、先程ゼン達が下りてきたところの数が一番多かった。先へと進む度、皮肉なことだが歩きやすくなっている気すらする。
やはり遺跡の中だから、だろうか。しばらく使われていないとはいえ、人が作ったものだから歩きやすくても当然なのかもしれない。上の道ですらそうだった。素人ながらゼンはそんな感想を抱いていたのだが。
「あぁ、これは――招かれてますねぇ」
唐突にレイルが呟いた。不穏な内容の割に口調はにこやかなもので、普段と何一つ変わらない。
ちぐはぐ過ぎないか。そう思ってレイルの横顔をよく見ると、彼の表情は想像していたものとは全く違う。口元はいくらか弧を描いていても、眼差しは真剣そのものだった。




