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三度のコール  作者: つっちーfrom千葉
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*中編*

 私はすっかり絶望して立ちすくんでしまった。今さら誰に電話をかけても、こんな状況から自分を救えるとは思えなかった。どんなに多くの仲間を呼んでも、この堅固な要塞の前ではかえって犠牲者を増やすだけになりそうだった。この監視人が言うようによほど劇的な手段を思いつかなければ私は助からないだろう。しかも、グズグズはしていられない。こうしているうちにも、また世界の各地から余計な電話がかかってきて、私の重要な権利を台無しにしてしまうかもしれないのだ。こんな焦った気持ちで素晴らしいアイデアなど思いつくはずもなかった。顔面からは血の気が引き、手のひらにはぐっしょりと汗をかいていた。今なら判決を受ける直前の死刑囚の気持ちがよくわかる。


「そうやってグズグズと考え込んでいてもいいが、電話を放っておいて大丈夫なのか? こうしている間にもおまえが我々の組織に捕らえられたという情報は世界を駆け巡っていく。今のおまえの状態を心配した親族が、あるいは先ほどのように、この事態に興味を持ったやじ馬がここへ電話をかけてこないとも限らんのだぞ。おまえが電話を躊躇するほどにその危険は高まっていく。あと数秒後にその電話の呼び出しベルがなるかもしれない。そうしたら、おまえはますます追い詰められることになるのだ」


 衛兵は私が苦しんでいる様子を見て、それを楽しむかのようにそう言った。しかし、彼の言うとおりだった。私に残された時間は少ない。早く善後策を思いつかなければ、あと数時間後、いや、数十分後にも私は処刑されてしまうかもしれなかった。弱りきった私は一つの結論を出した。

「わかりました。今から実家の近所にあるラーメン屋に電話をかけたいと思います」

「それは一向に構わないが勝算はあるのか? その店におまえを救い出せるアイデアを持った人間が勤めているのか?」

衛兵は冷静を保ちながらも不思議そうな様子でそう尋ねてきた。

「いえ、勝算など全くありません。その店には私が好きな女の子が働いているんです。どうせ誰にかけても助からないのであれば、最後に好きな女の子と話をしようと思ったんです」

「おまえに与えられた権利をおまえがどう使おうが勝手だ。それはそれで構わんぞ。過去にもおまえと同じような選択をした人間がいなかったわけじゃない」


 私は悲壮な決心をして受話器を取った。頭でその子の店を強く念じると、ルルルと呼び出し音が鳴りだした。どうやら繋がったようだ。ガチャっと受話器を取る音がして女性の声が響いてきた。

「もしもし、こちらラーメン屋『グース亭』ですが」

「もしもし、繋がって良かった! 君かい? 僕だよ、常連客のTだ! 今、ちょっとだけ話ができるかい?」

受話器の向こう側では、馴染みの店員の娘の少しだけ驚いた声が響いた。

「ええ! 本当にあなたなの? 今時分どうしたの? 今どこからかけているの? 最近、店にも顔を出さないじゃないの」

「それが……、これから僕が言うことを落ち着いて聞いてくれ。僕はこの数週間、海外を旅行をしていたんだ。ところが、ふとしたことから砂漠で道に迷った挙句、悪の組織として名高い『プリエミネンスエプ』に捕まってしまったんだ」

「何ですって! 旅の途中で悪の組織に捕らえられてしまったというの? 本当に驚いたわ。まさにオーマイゴッドね。それにしても運がない人ねえ。私も新聞でしか知らないけど、その組織に捕まって助かった人はほとんどいないと言うじゃないの。今どうしてるの? まさか乱暴なことはされていないでしょうね?」


「それが、組織の本部に連行されてしまって、彼らが言うには僕を助けることはどうしてもできないと、でも、一つだけチャンスをくれて、それによると、ここから三回電話をかけて自分を助けだして見せろ、ということらしいんだ」

「まあ、それで私のところに電話をかけて来たってわけね?」


「そうなんだ。いや、電話をかけた理由はそれだけじゃない。今だから言うけど、君の店のラーメンはお世辞にも美味しいとは言えない。晩飯時になっても店の中はいつもガラガラだろ? 周囲の店の喧騒と比較してもそれは歴然だ。そんな魅力に乏しい店なのに僕が足繁く通っていた理由がわかるかい? 僕だって我慢して通っていたんだ。ああ、今だから決心して言うよ。僕は君のことが好きなんだ。だから、下手なラーメンも我慢して食えたんだ」

「まあ、ラーメン自体に興味があったわけじゃなくて私の魅力に惹かれてうちの店に通っていたと、そういうわけね?」


「その通りさ、実は近々君に求婚しようと思っていたんだ。なあ、君の目から見て、僕のような男はどうだい? この苦境を乗り越えてそっちに帰ることができたら、僕と結ばれてくれないだろうか」


 勇気を振り絞って告白したのだが、彼女からはしばらく返事は来なかった。こんな状況であるから、通話が途切れることは出来るだけ避けたいのだが、とにかく数分の間、彼女は返事をしなかった。よもや、このまま受話器を降ろされてしまうのではないかと思い始めた時、彼女はようやく返事を寄越した。


「ああ、ごめんなさい。今、お客さんの相手をしていたの。だって、今来てるのが、ちょっとおかしなお客さんなんですもの。タンメンと担々麺の区別がつかないんですって、自分で看板を見てラーメン屋に入っておきながらそんなの変よねえ。担々麺を注文したつもりなのに全然辛くないから驚いたんですって。私は注文を受ける時、明らかにタンメンって聞いたのに……。それが、こともあろうに急いで作り直せって言うのよ。本当におかしい客だわ。そんなに辛いものが食べたいなら、総菜屋にでも行ってキムチでも唐辛子でもたらふく食べればいいのよ。食べるほどに頭は薄くなるわね。寿命だってどんどん短くなるわ。困った人だわね。お客がこんな人ばっかりだったらこっちは丸損だわね。それで、あなたの用事は何だったっけ? ああ、そうね、私にすっかり惚れたから結婚してくれってことだったわよね? うーんと……、残念だけどそれは無理ね。え、なに、断わる理由? 特にこれといった理由はないけど、うーん、やっぱり今回の一件はあなたが間抜けだったと思うわ。だって、海外を旅行するときは、その観光地の側に危険な組織や団体はいないか調べてから行くのが普通だと思うわ。鮫のうようよ泳ぐ海にわざわざ飛び込む人はいないでしょ。私ならそうするもの。それを調査を怠って、未開の土地を車で気分よく走り飛ばして、道に迷って蛮族に捕まるなんて不運というより間抜けだわ。そんな人が処刑されてしまってもあまり同情は出来ないし、私の心にもそれほどの痛手とはならないと思うわ。あなたは自分のことをずいぶん買いかぶっておいでだけど、あなたが店に来なくたってうちの店は潰れませんからね。あなたみたいな間抜けな男と結婚するなんて考えただけでも恐ろしいわ。一緒に生活を始めたら、私まで不幸のどん底に叩き込まれかねないわ」


 彼女はそれほど感情もこもっていない口調で、早口にそう言ってきた。照れているわけでなく、どうやら本心から私を嫌っているらしかった。いい返事をもらえるとばかり思っていた私は大きなショックを受けた。

「そんな! もっとよく考えてくれ! 僕は一応社会的身分もある男だ。自慢じゃないが一般のサラリーマンよりは貯金も持っている。中古だが、都内の一戸建てに住んでいる。一方、君はしがないラーメン屋のアルバイト店員だ。どう考えても僕らは釣り合わないが、そこを我慢して交際しようと言っているんだ。僕は君を養うことができる。君を遊園地やイタリア料理店に連れていくこともできる。僕と一緒になることは君の未来のためにもいいことなんだ。どうか、考え直してくれないか」

私はもう必死になってそのように説得したが、彼女の機嫌は悪くなるばかりだった。


「冗談じゃないわ。あなたは自分に都合のいいことばっかり言うけど、独身の寂しさを私のような行きずりの女で紛らわそうって言ったってそうはいきませんからね。あなたは社会的には成功しているのかもしれないけど、中年になり、周囲で結婚できていないのは自分だけだと感じるようになって、焦ってきただけなのよ。そこで、たまたま通りがかったラーメン屋で見染めた私に求婚して自分の欲望を満足させようと思っただけなんでしょうよ。ねえ、そうでしょ? 相手は誰でも良かったんでしょ? なになに、愛してるのは君だけですって? 安っぽいわね。本当に安っぽい男だわ。私も見くびられたものね。こんなつまらない男に引っかけられてしまうなんて……。もういいわ、私はあなたなんかを全然必要としてませんから。その悪の組織とやらに勝手に処刑されてちょうだい。あなたがくたばったっていう新聞記事を読んで人前では涙の一つも流してあげるわ。じゃあ、これで切るわよ?」


「ちょっと待ってくれ! 君に結婚する意志が無いのはよくわかった。だけど、もう少し考えてくれ。君に電話を切られた瞬間に僕の処刑までのカウントダウンは一歩進むことになるんだ。君が僕を無下に見捨てたことが、こんな哀れな一人の男を死地に追いやったことになるんだ。君だって、ラーメンを作りながらも時々は僕を思い出すこともあるだろう。『ああ、そう言えば、あの常連客は蛮族に処刑されてしまって、もうこの世にはいないんだなあ。ちょっとは寂しいなあ』そう思うこともあるかもしれない。知性の低い冷酷な女とはいえ、君も一応は人間だからね。その時になって後悔しないために、今君にできることはないだろうか? この処刑間近の哀れな男を救うためにささやかな努力をしてくれないだろうか?」


「もう、わかったわよ。うるさいわねえ。あなたの生死なんてどうでもいいけど、私の知り合いに一人プリエミネンスエプに詳しい人がいるの。何でも、身内が一人、その組織で働いているんですって。その人に連絡しておいてあげるわ。ただ、万が一、あなたが助かっても、もう、うちの店には来なくていいですからね。困ったときに武器も待たない女に電話をかけるような女々しい男はもうまっぴら!」

その心の叫びにも似た言葉を残して電話は切られた。私の、死ぬ前に好きだった子に告白して結婚の許しを得たいという些細な望みも叶わなかった。


「二度目の電話はどうだった? 首尾良く自分をここから助け出すことはできそうなのか?」

背後から暗く冷たい死に神のような声が響いてきた。私はすでに絶望を深め、下を向いたまま、首を横に振ることしか出来なかった。衛兵はそんな弱々しい私の態度を見て、クククと低い笑い声を発した。彼は捕らわれた弱者を、こうして少しずつ追い詰めていくことが楽しくて仕方ないらしい。


「我々はおまえに三度のチャンスを与えた。その三度の権利が行使されるまでは、我々はおまえに決して危害を加えない。この本部には病気の老婆を背後から平然と殴りつけるような乱暴者もいるが、そんな男でさえ、今のおまえには何も手を出さないだろう。それはこの組織に勤める誰もが理解できている。だが、それはおまえがあと一回の権利を行使するまでだ。それが済んでしまえば、この本部にいる全ての野獣がおまえに牙を剥くだろう。おまえはあっという間に引き裂かれ、無惨な死体になるかもしれんぞ」


 そんなことを言われても、私は今さら悲嘆しなかった。恐怖というものは不思議なもので、ある一定の値を超えてしまうと、それ以上は高まらず、絶望は深まらず、逆に、死に直面しても笑っている殉教者のような達観した気持ちを与えてくれるのだ。私が電話を使えるのはあと一回だけだ。この一回では、どこの誰に知らせたとて、もはや誰も私を救い出すことは出来ないだろう。私がもうすぐ処刑されることは確定事項になってしまった。

「どうした、もう電話はかけないのか? 家族や友人に最後の別れを告げなくていいのか?」

衛兵は私の焦りを誘うようにそんなことを言ってきた。私はすでに諦めの境地だった。あと一回だけのチャンス、だが、誰に電話をかけていいのかわからなかった。今さら家族の声が聴きたいともおもわなかった。そんなことをすれば、自分の親族に余計な悲しみを与えるだけだと思った。いっそのこと、もうこのままじっとしていて、誰かから電話がかかってくるのを待とうとさえ思った。この世で最後に話す相手がランダムで決まるのも悪くないと思った。それこそ、神の思し召しなのかもしれない。私が運を天に任せたそんなとき、あの黒電話がルルルと鳴り出した。

「これが最後の一回だ。早く受話器を取るがいい」

後ろから、冷酷な衛兵にそう促された。私は悲壮な覚悟を決めて受話器を手にとった。

この作品は2012年の1月頃に書いた作品です。

気軽に感想をいただければ幸せです。この作品はアラブ系千葉文庫(http://www9.plala.or.jp/applepig/)にも掲載しています。できれば、そちらの方にも遊びに来てください。

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