敗れし者
妙に弾んだ足取りで出掛けていくカズキを見送った後、タツヤはシェアハウスの寮母さん的存在であるフローチェに、夕食不要の断りを入れずに外泊した件を謝った。
「朝ごはんは、どうする?」
「外で済ませてきましたんで、大丈夫です」
シェアハウスの食事は、基本的に朝と晩の二回だけで、必要か不要かは事前に伝える約束になっている。
朝食を断った後、タツヤは重たい足取りで自分の部屋へ戻った。
今朝、タツヤは焼肉屋の二階にある、コレットの部屋で目を覚ました。
お互いに、何も身に付けていない状態で。
「えっ……あっ……俺……」
「さすが冒険者は体力あるよねぇ、あたしも久々に思いっきり楽しませてもらったよ」
タツヤは必死に記憶を辿ると、断片的に行為に及んでいた場面を思い出した。
組み伏せ、時に組み伏せられ……コレットと肉体関係を持ったのは間違いなかった。
「あっ……えっと……」
「あぁ、大丈夫な日だから気にしなくていいぞ。というか、仕込みの時間まで寝ていたいから帰って」
「えっ……あぁ、分かった」
「それと、やる事やったけど、あたしも彼女面する気はないから、彼氏面とかしないでね、じゃあ……」
それだけ言うと、コレットは毛布を被って二度寝を始めた。
タツヤはコレットの寝息を聞きながら、部屋に散らばっていた自分の服と下着を拾い集めて着込み、部屋を後にしてシェアハウスに戻って来たのだ。
正直、コレットはタツヤの好みのタイプではない。
胸も尻も大きいが、脂肪ではなく筋肉だった。
「女は、もっと柔らかくねぇとなぁ……」
タツヤが独り言を言いながらシェアハウスに戻ってきたら、カズキが出掛けてようとしていたところだった。
革細工の店に行くと言うので、タツヤも一緒に行こうとしたら断られた。
理由は例の勝負だったが、タツヤの目にはカズキが何やら浮足立っているように見えた。
たぶん女絡みで、自分を一緒に行かせたくないのだろうと、タツヤは推察した。
タツヤは、コレットとの一夜をカズキに言い出せなかった。
娼婦以外の女性と一夜を共にしたのだから、ある意味では勝ちだとも思えるのだが、その一方で欲求不満の捌け口に使われた形で、これ以上先は無いとピシャリと窓を閉められた格好だ。
一夜の関係を勝ちだと誇るなら、その後の対応も話さない訳にはいかなくなる。
彼氏面しないでねの一言が、タツヤの心に重く圧し掛かっていた。
タツヤは一度自室に戻った後、着替えを持ってシャワーを浴びに行った。
だいぶ気温が下がってきているから、本当ならゆっくり湯船に浸かりたいところだが、そこまでする気分になれなかった。
日本から送ってもらったシャンプーとボディーソープで頭と体を洗い、髪にこびり付いていた焼肉の匂いも洗い流したのだが、気分はサッパリとしなかった。
タツヤは、部屋に戻って少し眠ろうと、ベッドに横になったものの、全く眠れる気がしなかった。
これまでタツヤは、女性と付き合った経験が無い。
二度告白した経験はあるが、どちらもごめんなさいされている。
「そうか、告白した訳でもないのに断られたみたいだから納得がいかないのか……いや、でもなぁ……」
コレットに告白した記憶は無いけれど、行為の最中にそれに類する言葉を口にした可能性は否めない。
だとすれば、やはり勝ちを主張するには無理があるだろう。
タツヤがベッドに座ったまま、あれこれ考えを巡らせていると、部屋のドアがノックされた。
「タツヤ、居るのか?」
「おぅ、居るぞ」
ドアを開けて入ってきたのはジョーだ。
「依頼は明後日から、行き先はラストック、大丈夫だよな?」
「あぁ、問題ないよ、ちゃんと準備する」
「なら良いけど、カズキとの勝負にかまけて寝坊とかしないでくれよ」
「心配ねぇよ、八発様の騒音公害が今よりも酷くならなきゃ大丈夫だ」
「そ、それは、ちゃんと配慮してるだろう」
「ふっ、そう思っているのは、お前らだけかもしれないぞ」
「うぇ? マジか?」
「さぁ、どうだかな、一度ボイスレコーダーでも使って確認してみりゃ良いんじゃねぇの?」
「いや、さすがにそこまでは……」
「冗談だ、依頼はちゃんとやるから心配すんな」
「分かった、頼んだぞ」
タツヤは何を頼まれたのか今いち良く分からなかったが、とりあえず、おぅと答えておいた。
その後、なんとなくゲームを始めてみたが気が乗らず、昼飯は倉庫街のパスタ屋で済ませ、シェアハウスに戻ったものの、部屋でゴロゴロしているうちに時間だけが過ぎていった。
「ん、なんだ……?」
いつの間にかウトウトとしていたタツヤは、騒がしい話し声で目を覚ました。
声の主はカズキで、どうやらリビングに居るようだ。
タツヤが部屋のドアを開けてリビングへ向かおうとすると、今度は鮮明にカズキの声が聞こえて来た。
「いやぁ、マジで焦ったぜ、本当に嫁に貰わないといけなくなるところだったぜ」
リビングに向かい掛けたタツヤの足が止まる。
「ヨメって、あの嫁か? それとも夜目か?」
タツヤの脳が、ヨメという単語と貰うという動詞の連結を拒絶している。
一昨日まで、タツヤと同じくモテない男だったカズキが、結婚するかのような発言をしているのを受け入れられないのだ。
タツヤがフラフラとリビングに出て行くと、ニヤリと笑ったサチコが声を掛けてきた。
「おっ、出て来たな、ラスト・モテない」
やはりそうなってしまうのかと、タツヤの脳が諦めかけた時、カズキがサチコの言葉を否定した。
「いやいやいや、まだ嫁に貰う訳じゃないし、エッチどころかキスもしてねぇからさ、勝負は付いてないよ。今朝、タツヤとも確認したんだ。告って、正式に付き合ったらゴールだって……なっ!」
口ではそう言いながら、浮かれまくっているカズキの口振りを、タツヤは心底ウザいと感じた。
だから、うっかり口を滑らせてしまった。
「そうだな、俺も昨日の夜は知り合ったばかりの女と一夜を共にしたけど、その場限りの付き合いだから、ゴールした訳じゃねぇからな」
「はぁ? なんだそれ!」
カズキを始めとして、サチコもジョーも驚いた表情を浮かべ、それを見てタツヤは少し留飲を下げた。
一瞬、エアポケットに入ったような沈黙の後、最初に動き出したのはカズキだった。
「はっはぁ、なるほど、やっぱり娼館にしけこんでたのか」
「ばっか、ちげぇよ! 相手は素人だよ!」
「はぁ? どこの誰だよ!」
「そ、それは……言えねぇよ……」
カズキの追及に、思わずタツヤは言葉を濁した。
「お前、やっぱり酔った女を無理やり……」
「ちげぇよ! 酔ってたのは俺で、相手はそんなに酔ってなかったはず……」
「はぁ、それじゃあ何か、お前が酔ってるところ逆レイプされたとでも言うのかよ」
「逆レじゃねぇけど、何て言うか、勢いって言うか……」
「分かった! あれか、やってる最中に、おっかないオッサン連中が出て来て、人の女に何してんだって……」
「ちげぇって言ってんだろう、相手は焼肉屋のオッサンの店の店員だよ」
「何だそれ、肉も酒も奢ってもらって、女まで抱かせてもらったのかよ!」
カズキの執拗な追及に、タツヤのイラつきは限界を迎えた。
「だから、ちげぇって言ってんだろう! 欲求不満解消の道具に使われたんだよ! 朝起きたら、彼氏面すんなって言われたんだよ!」
タツヤのキレ気味の一言で、リビングに沈黙が訪れた。
沈黙を破ったのは、またしてもカズキだった。
「うはははは……何それ、何それ、肉バイブ? 肉バイブってこと? うはははは……」
「うっせぇな! ベロベロに酔っぱらってたんだから、しょうがねぇだろう!」
「ねぇ、どんな女? どんな女だったの? ムチムチ、ぽちゃぽちゃ、ダルンダルン?」
「うっせぇな、ガチムチだよ!」
「はっ? ガチムチ? ふふっ、ガチムチってぇ……うはははは!」
タツヤは、爆笑するカズキを心底ウザいと思いつつ、朝から悩んでいたことが馬鹿らしく思えてきた。
こんな程度の悩みは、笑いのネタにしてしまえば良かったのだと思った。
「うっせぇな、まだ勝負が付いてないんだからな、余裕ぶっこいてんじゃねぇぞ、カズキ」
「まぁ、まぁ、うん、うん、そうだね、頑張りたまえ」
「くっそ、ムカつく。てか、お前の相手はどんな女なんだよ」
「えっ、俺の相手……?」
タツヤは和樹の目が泳いだのを見逃さなかった。
「あれ、あれぇ……もしかして、イマジナリーな相手じゃないの?」
「ば、馬鹿言ってんじゃねぇよ、マジで嫁に貰わなきゃいけないところだったんだぞ」
「あー……でも、良い女だったら、すぐに見せびらかしに来るよな、カズキだったら」
「い、いや……ほら、まだ勝負がついた訳じゃないし……」
「んー……先延ばし……時間稼ぎ……お前、まさか幼女に手を出したんじゃねぇだろうな!」
「ちっげぇよ! ちょっとポッチャリしすぎてるだけだ!」
「うはははは……デブか、デブか、デブ専か!」
「うっせぇ! これから良い女に育てんだよ!」
「でも、デブなんだろう? うはははは……」
ジョーとサチコが呆れる、新旧コンビの低レベルな言い争いは、夕食の時間まで続いた。





