シェアハウスの父娘
※ 今回は鷹山の娘リリサ目線の話になります。
「はーい、リリサちゅわ~ん、ご飯ですよぉ」
締まりの無い笑顔を浮かべつつ、シューイチが匙で掬った離乳食を差し出してくる。
「はぁぁ……」
いつもだったら、これが自分の親かと呆れつつも、満腹になるまで離乳食を口にするのだが、今はそんな気分ではない。
「どうちたのかなぁ……ちゃんと食べないと大きくなれまちぇんよぉ」
「はぁぁ……」
「あれあれぇ、お熱でもあるのかなぁ?」
少し不安そうな表情を浮かべながら、シューイチは私のおでこに自分のおでこを付けて、熱が無いか確かめようとする。
それを両手を突っ張って拒否して、まだ呂律の回らない口で言葉を紡ぐ。
「パ、パ……」
「は~い、パパでちゅよぉ」
「……くちゃい」
「ぐおぁぁぁ……」
シューイチが、胸を押さえて項垂れる。
実際には、そんなに臭くはないのだが、ウザいシューイチを黙らせる魔法の言葉として使わせてもらっている。
「はぁぁ……」
私が溜息を繰り返しているのは、私の、私のジョーが女を連れ込んで一緒に暮らし始めたからだ。
リカルダという犬獣人の娘は、ジョーよりも一つか二つ年下らしい。
なんでも、流行の服屋で働いているらしく、ちょっとムカつく可愛らしい容姿をしている。
ジョーは冒険者として家を空けることが多いし、リカルダも店から戻ってくる時間は遅かったりするのだが、一緒の日には仲睦まじく……というより、激しく求めあっているらしい。
今日は、その物音を巡って、カズキやタツヤと何やら揉めていたようだ。
ベッドの上での振舞い方は、前世の私が手解きしてやったのだが、ジョーはすぐにコツを飲み込んで、最後の方は私が攻められる時間の方が長くなっていた。
冒険者らしい体力と、私が教えたテクニックを兼ね備えたジョーの相手をするのだから、リカルダは女としての喜びを存分に味わっているのだろう。
本当ならば、リカルダの場所には私がいたはずなのに、油断して、あんな駆け出しの馬鹿どもなんかに殺されちまうなんて、前世の自分をぶん殴ってやりたい。
でもまぁ、たとえ生きていたとしても、いずれは若い女にジョーを奪われていたのだろう。
女冒険者ロレンサだった前世の私は、自分で言うのも何だが、女らしさなんてものは殆ど持ち合わせていなかった。
シューイチの娘として生まれ変わり、今世の母であるシーリアや祖母のフローチェと一緒に風呂に入った時、これが女らしい体なのだと実感させられた。
ロレンサの体は、鍛練を繰り返して鍛え上げていたからゴツゴツとしていて、魔物や山賊との戦いで傷だらけだった。
スベスベで柔らかく、抱き心地の良い女らしい体とは、何もかもが違っていた。
私しか女を知らなかったジョーは、それでも満足していたようだが、いずれ年齢を重ね、違う女の体を知ったなら、そちらに心を奪われていただろう。
女としての違いを突き付けられて捨てられるよりも、前世の私が捨てた形になっている現状は幸せとは言い難いが、最悪の未来よりはマシだったのかもしれない。
「はぁぁ……ジョー……」
「なにぃ! リリサちゃん、今なんて言った? ジョー? ジョーって言ったの?」
しまった、シューイチが近くにいるのを忘れて、思わず愛しい思いが口から零れてしまったらしい。
「ジョーなのか? うちのリリサちゃんを悲しませてるのは、ジョーの野郎なのか?」
「パ、パ……」
「は~い、パパでちゅよぉ、リリサちゃんのパパでちゅよぉ」
「うじゃい……」
「ぐふぉぉぉ……」
シューイチは、再び胸を押さえて床に倒れ込んだ。
悪いが、もう少しの間、そこで大人しくしていてくれ。
ジョーのことは、今世では諦めるしかないのだろう。
これから、十年先、十五年先になれば、私も女として成熟期を迎えることになる。
その頃のリカルダは、容姿が衰えるほどの年齢ではないかもしれないが、若さという点では私の方が勝っているはずだ。
若さと清純さを武器にすれば、あるいはジョーの心を奪えるかもしれない。
だが、その頃にはリカルダとの間に子供が出来ているだろうし、家族という枠組みが出来上がっているはずだ。
そんな状態で私がジョーを誘惑するのは、家族という枠組みを破壊する行為に他ならない。
私は幸せになれるかもしれないが、たぶんジョーは本当の意味での幸せを感じられないだろう。
というか、そんな状態で幸せを感じるような男ならば、私が惚れる価値が無い。
では、私はこの先、どんな人生を歩んでいけば良いのだろうか。
シューイチやジョーの話を聞いていると、ここ最近冒険者を取り巻く状況が大きく変わり始めているらしい。
魔の森の危険度が下がり、リーゼンブルグとの交易が盛んになり、ヴォルザードの経済はかつて無いほどの活況を呈しているらしい。
冒険者の仕事も、かつてのように討伐が花形という状況ではなくなりつつあるようだ。
というか、せっかく生まれ変わったのだから、なにも冒険者になる必要など無いのだ。
ロレンサだった頃の私は、クズみたいな父親に反発するために冒険者という道を選ばざるを得なかった。
まぁ、顔つきも可愛いとは無縁だったから、例え父親がクズでなかったとしても同じ道に進んでいたのだろう。
だが、今の私は違う。
母親であるシーリアは、贔屓目を抜きにしても人目を惹くような美貌の持ち主だし、父親のシューイチも残念な性格を抜きにすれば、かなりの美男子だ。
まだ赤ん坊な私だが、風呂に入る時などに時々鏡で見る姿は、なかなか可愛らしいレベルだと感じている。
だとすれば、女冒険者なんて道は選ばずに、リカルダのような人生を選んだ方が幸せになれるような気がする。
リカルダは、シューイチたちの友人であるタカコと同じ服屋で働いている縁でジョーと知り合ったそうだ。
そのタカコは私たちと同じシェアハウスで暮らしているのだが、姿を見ることが少ない。
食堂で働いているというサチコは、よくリビングで自分の子どもをあやしながらカズキやタツヤと雑談に興じているが、タカコは食事のために現れるだけで、殆どの時間は自室で過ごしているようだ。
部屋に引きこもって何をしているのかといえば、新しい服の形や色を考え、試作を繰り返しているらしい。
女冒険者をやっている頃は、服なんて寒さや汚れを防げれば何だって構わないと思っていたが、タカコやリカルダの服装は確かに他の者とは一味違っているように見える。
タカコは、特別な日にめかしこむための服だけでなく、普段の生活の中でも動きやすく、オシャレを楽しめる服が作りたいらしい。
前世の私では考えられもしなかった職業だけに、時折見掛けるタカコの服装が凄く気になっている。
一見すると、何でもない普通のシャツに見えるのだが、胸元のポケットに鮮やかな色が使われていたり、襟元の形が工夫されていたり、刺繍が施されていたりする。
何というか、ガサツな私の目から見ても、センスが良いと思ってしまう……いや、思わされてしまうのだ。
自室にこもって作業を続けているのは、そうした工夫を考え出すための作業なのだろう。
一方、よくリビングで話し込んでいるサチコも、雑談をしながらもノートに何か書き込んでいたりする。
それは、新しい料理やお菓子のレシピだそうだ。
私はまだ食べられないが、サチコが作る料理はシーリアやフローチェが作る料理とは一線を画しているらしい。
サチコは、いずれ自分の店を持ち、そこでオリジナルのお菓子や軽食を出したいらしい。
そのために、飽くことも知らずレシピ作りを続けているようだ。
女冒険者だった頃、私はこうした女の仕事に殆ど目を向けてこなかった。
だが、こうして身近に見る機会を得ると、実に魅力的に感じられる。
「ほらほら、どうしたのリリサ。パパで遊んでいないで、ご飯食べちゃいなさい」
打ちひしがれたシューイチに代わって、シーリアが離乳食を食べさせてくれる。
私が食事を再開すると、シューイチはモゾモゾとゾンビのごとく起き上がり、そしてまた締まりの無い笑顔を浮かべてみせる。
「リリサちゃん、おいしいでちゅか?」
「あ~い」
この先、どんな人生を歩んでいくのか分からないけれど、独り立ちするその日まで、しっかり私を育ててくれよ……シューイチパパ。