ツアー客
近頃は、朝晩めっきり冷え込むようになってきましたが、南向きの我が家は日当たりが良く、昼間はポカポカと心地よく過ごせます。
特等席のベランダで横になったネロに寄り掛かっていると、最高の気分です。
どこの国の王様であろうと、どこかの国の独裁者であろうと、このフカフカ、モフモフは味わえないはずです。
「ん-……自宅の警備はたいへんだよねぇ、ネロ」
「本当にゃ、大変……ふわぁぁぁ……」
ネロが大あくびなんてするから、僕まであくびしちゃったじゃないですか。
言っておきますけど、僕は自宅警備を始める前に、実戦訓練場への生きた魔物の納品も済ませています。
朝から怠け……いや、自宅警備してた訳じゃないですからね。
「にゃぁ、今日もゾロゾロ来てるにゃ……」
「えっ? ゾロゾロ? 何が?」
「城壁上の見物人にゃ」
「えっ、見物人?」
「そうにゃ、乗合い馬車が走るようになって、ラストックからの観光客が増えてるにゃ」
驚いたことに、ネロは本当に自宅を警備していてくれたようです。
「あぁ、ヴォルザードの門に着いた人達が、最初に城壁に上って街を眺めるのか」
「全然違うにゃ。ご主人様は自覚が足りないにゃ」
おっと、ネロに怒られてしまいました。
でも、自覚って、どういう意味でしょうかね。
「にゃぁ……ご主人様は、ホントそういうところはポンコツにゃ」
「いや、それほどでも……」
「褒めてないにゃ」
ボフンっと、太い尻尾で突っ込まれちゃいました。
「僕の自覚が足りないってことは、その人達は我が家を眺めに来てるってこと?」
「当然にゃ、リーゼンブルグの危機を救い、王女を娶った英雄の家を見に来てるに決まってるにゃ」
実際、ネロの言う通り、日本でいうツアーコンダクターのような案内人に率いられ、乗合い馬車でヴォルザードを訪れた人達が、城壁上から我が家を見物しているそうです。
もっとも、城壁からは我が家のプライベートな場所は見えないようになっています。
そして、仮に侵入を試みたら、八木みたいに眷属のみんなのオモチャにされてしまいます。
「でも、僕の家なんて覗いても面白くないと思うけど……」
「にゃぁ……だから自覚がたりないにゃ。フラムやレビン、トレノを見るだけでも価値があるにゃ」
「あぁ、そうか、普通の人は生きたサラマンダーとか見る機会は無いもんね」
「当然にゃ……間近で見たら、命が無くなるにゃ」
今でこそ野性味ゼロのネロですが、ストームキャットは天災扱いされる魔物です。
チーターよりも速く、風に乗って空を駆ける速度は、守備隊や騎士団が全滅覚悟で挑むような脅威そのものです。
レビンやトレノは、雷の速度で移動しますから、もはや人間では対抗不可能なレベルです。
そうした魔物を城壁の上からとはいえ、安全に眺められるのですから、一見の価値はありますよね。
「にゃぁ……そうじゃないにゃ、確かにフラム達には一見の価値があるけど、見に来ている人達はご主人様の眷属を見にきているのにゃ」
「そう言われてもねぇ……ピンと来ないんだよねぇ……」
「にゃぁ……ご主人様らしいと言えば、それまでにゃんだけど……にゃぁ」
ネロに呆れたような溜息をつかせるなんて、僕も捨てたもんじゃないですねぇ。
おっと、また尻尾で突っ込まれちゃいました。
「でもさぁ、見物に来た人達に向かって、高笑いした後に、良く来たな愚民ども……なんてセリフを吐くのは僕らしくないでしょ?」
「ご主人様が、そんな事をしたら、草生えちらかして大草原ができて腹筋崩壊するにゃ」
「だよねぇ……だから、これで良いんじゃない?」
「にゃぁ……仕方ないからネロがシッカリ警備するにゃ」
「頼りにしてるよ」
手を伸ばして顎の下を撫でてあげると、ネロはドロドロとマッサージ器のような振動を立てながら喉を鳴らしました。
「ネロ、ちょっと僕の体をお願いね」
「どこに行くにゃ?」
「見物に来てた人が、どこに行くのかと思ってね」
「それなら、影移動で付いて行った方が良くにゃい?」
「うーん……でも、ネロの毛並みも堪能したいんだよねぇ」
「しょうがないにゃぁ、そこまで言うならネロが見張っていてあげるから、心配せずに行ってくるにゃ」
ネロに体を預けて、星属性魔術で意識だけを空に飛ばして見物人達の後を追います。
小旗を持った案内人に率いられた一行は、城壁を降りた後、メインストリートを街の中心部に向けて移動し始めました。
魔の森を挟んだだけで、隣同士の街から来ているのだから、そんなに珍しい品物は無いと思うのですが、移動している人達は物珍しそうに街を見回しています。
でも、ヴォルザードって、最初に来た時にも思ったのですが、意外……と言っては失礼ですが、凄く綺麗な街です。
下水道が設置されているので、中世ヨーロッパのように糞尿の臭いが立ち込める不潔さは欠片もありません。
それでいて、開拓地として新しいラストックに較べると、歴史を感じさせる街並みです。
日本人でも観光地に行けば街並みをキョロキョロ眺めたりしますし、この人達も同じような感じなんでしょうね。
ちなみに、ヴォルザードの人達も、ゾロゾロ、キョロキョロと街を行く人達を何事だろうと眺めています。
ゾロゾロ、キョロキョロ、ジロジロと、不思議な光景を作り出しながら、一行はメインストリートから一本入った裏通りへと向かって行きます。
あれっ、この先は、もしかして……。
「こちらが、魔王ケント・コクブが下宿していた食堂になります」
「おぉぉぉ……」
いやいや、普通の食堂だからね。
アマンダさんの料理は美味しいけれど、普通の食堂だから、おぉぉぉ……じゃないと思うよ。
「もうすぐ、昼の営業時間となりますので、少々お待ちいただく間に、こちらに下宿するまでの魔王様のエピソードをご紹介いたしましょう」
「おぉぉぉ……」
「狂暴な魔物が闊歩していた当時の魔の森を眷属となった伝説の三忠臣と踏破した魔王様は、この地もリーゼンブルグだと思い込んでいたそうです……」
「おぉぉぉ……」
いやいやいや、おぉぉぉ……じゃないから、そんなに御大層な話じゃないからね。
その後も案内役の語るエピソードに、観光客の皆さんは感嘆の声を上げ続けていました。
エピソードの中身に間違いは無かったんだけど、何か説明する度に驚きの声を上げられると、バルシャニアで僕の活躍を題材にした歌劇を見た時よりも気恥ずかしくなってきます。
てか、アマンダさんのお店も、観光客に対応するように魔改造されたりしないよね。
いきなり、シャンデリアとか飾られてたりしないよね。
嫌な予感が走りましたが、営業開始の時間となって扉を開けたのは、いつもと変わらぬ雰囲気の綿貫さんでした。
「はいよ、お昼の営業始めるよぉ! いらっしゃいませ!」
「おぉぉ……」
いやいや、そこはさすがに違うでしょ。
ドアを入った観光客の皆さんは、ここでもキョロキョロと店の内装を眺めまわしています。
「お昼のメニューは三種類、今日のおすすめは魔王様の故郷の味を再現した、親子丼だよ。鶏肉を出汁で煮て、トローリ卵でとじたものを熱々のご飯にのせた逸品だよ」
「わ、私はそれを!」
「私も!」
「私もだ!」
観光客の皆さん全員、先を争うように親子丼を注文しました。
「順番に調理するから少々お待ち下さい。アマンダさん、親子十四です!」
「はいよぉ!」
厨房へと戻っていく綿貫さんは、にんまりと笑みを浮かべています。
そして厨房を覗いてみると、既に丼が並べられ、親子丼の大量注文に対応できる準備が整えられていました。
これは、効率良く稼ぐ……いいや、違いますね。
効率良くは正しいけれど、アマンダさんは荒稼ぎするような人ではありません。
あくまでも適正な値段で……言うなれば、美味い、速い、安いの三拍子の親子丼なんでしょう。
というか、親子丼が出来上がっていく様子を見ていたら、お腹が空いてしまいました。
そろそろ体に戻って、僕もお昼ご飯にしましょうかね。