遠乗り
※今回はクラウス目線の話です。
やっぱり、馬は良い……。
身体強化の魔術を使えば馬と同じような速度で走れるが、当然疲れるし、俺もそんなに若くはない。
馬の背に揺られながら、風を切って街道を進む。
領主としての仕事とか、一家の主としての務めとか、体にまとわりつく柵が、風に吹かれて飛んでっちまうような気がする。
元々、俺は領主になるような柄ではなかった。
真面目で、優秀で、それでいて砕けた話もできる兄貴に家督は任せて、俺は自由に暮らすつもりでいた。
ヴォルザードの学校を卒業し、バッケンハイムの学院を早々に中退し、気ままな冒険者としての生活を始めた。
自分では、貴族なんて柄じゃないと思っていたが、世間に出てみると、いかに自分が恵まれていて、甘やかされて育てられてきたのか思い知らされた。
冒険者として食っていけるようになるのは大変だったが、一方で貴族の家にいたら決して体験できないような出来事にも何度も遭遇した。
下積み生活を経て、冒険者クラウスとして、そこそこ名前が売れて来た頃に、兄貴をロックオーガに殺されて、急遽領主の椅子に座る羽目になった。
それからは、ドノバンやマリアンヌにも助けられつつ、どうにか領主の役目を果たしてきた。
最初は親父や兄貴を真似て、お堅くやろうとしたのだが、三ヶ月と持たずに俺流のやり方に変更した。
今でも書類仕事にはうんざりしているが、街中をフラつき、民衆の声に耳を傾け、少しでもヴォルザードが良くなるように、俺にできる事は全てやってきたつもりだ。
まぁ、周りの連中からすると、不真面目で調子の良い領主みたいに思われているのだろう。
街の連中にどう思われようが、俺はヴォルザードという街が大好きだ。
勿論、自分が生まれ育った故郷ということもあるが、魔の森と境を接する危険な土地柄で逞しく生きている連中を見ていると、たまらなく愛おしく感じるのだ。
領主という地位に息苦しさを感じつつも、今日までやってこられたのは、ヴォルザードという街を、そこに暮らす人々を愛してきたからだろう。
突然、兄貴の代わりに領主となって、それからの日々に後悔は無いけれど、それでもたまに冒険者として生きていたら……と考えてしまうことがある。
自由きままな冒険者を続けていたら、たぶん今の俺よりも駄目な男になっていただろう。
嫁ももらわず、家庭も持たず、既にくたばっていたかもしれない。
ただ、下らない一生を終えていたかもしれないが、今よりも自由に、色んな土地に行っていただろう。
もしかしたら、海を越えてシャルターン王国や、砂漠を越えてバルシャニアにも行ったかもしれない。
そんな、もしもの暮らしについて、これまで考えることは無かった。
領主として過ごしてきた日々は、絶対に間違いではなかったし、訪れることの無かったもしもの日々など思うだけ無駄だと感じていた。
だが、年齢を重ね、子供が成長し、領主の座を譲ることを考え始めると、隠居した後の自分についても思いを巡らせるようになり、領主という枷を外された後に何をすべきなのかと思うようになった。
そして、ケントという存在が、俺にもしもの自分を強く想像させるようになったのだ。
突然、何も分からない、頼る者もいない世界へと飛ばされ、囚われの身となった二百人以上の人間を救おうと奮闘する姿は、一言で言って壮絶だった。
たった十五歳で、背負い込んだ重圧に、飛び抜けた能力を与えられたとはいえ、よくぞ耐えたと感心している。
そして、影の世界を伝って、マールブルグであろうが、リーゼンブルグであろうが、それこそ違う世界であるニホンであろうが、自由に飛び回れる能力を羨ましいと感じてしまった。
領主の座を退いたら、ケントに頼んでバルシャニアやシャルターンにも行ってみたい。
そして、ケントには頼らず、自分の力だけで、冒険者だった頃のように自由にヴォルザードの外を旅したいと思うようになった。
今回の視察は、その予行演習のようなものだと思っている。
自分で馬の手綱を握り、かつては魔の森と呼ばれた街道を疾走する。
視察という名目だが、自分でも笑ってしまうぐらいにはしゃいでいる。
勿論、それをケントやカルツに悟られるつもりは無いけどな。
ヴォルザードを出発してすぐに、あまりの街道の変わりように驚かされた。
かつて、リーゼンブルグへと続く街道は、命懸けで通る危険極まる場所だった。
ちょっとの油断が命取りになる、魔物が支配する場所だったのだが……今やマールブルグに向かう街道となんら違いを感じない。
それどころか、路盤の整備度合いでは、むしろこちらの方が上だと感じる。
かつては凸凹で、見通しも悪く、鬱蒼と茂る森が迫ってくるように感じた道が、つまずく段差も見当たらず、見通しも良く、明るい街道へと変貌していた。
確かに、これならばオーランド商店のデルリッツなどが、護衛のランクを下げてくれと頼むのも道理だ。
しかもケント曰く、安全なのは街道付近だけで、少し森に踏みいれば以前と大差ないレベルの魔物が生息しているそうだ。
つまりは、森に潜伏するためのアジトなどは作れず、山賊どもが暗躍する余地も残されていない。
これはもう、リバレー峠を越えてマールブルグに行くよりも安全だろう。
一つ目の野営地で折り返して戻るなら、楽に日帰りで往復できる。
魔の森の中央まで行かないから、危険な魔物に遭遇するような可能性も低いだろうし、気晴らしに出掛けるには最高ではないか。
問題は、いかにマリアンヌの目を掻い潜ってヴォルザードの門を出るか……だろう。
「よーし、少し馬を休ませよう」
「あ痛たた……尻が……四つに割れる……」
途中にある小川の畔で休息すると、ケントが情けない声を出した。
とんでもない魔術を使うくせに、まだ馬も満足に乗れないらしい。
「情けねぇなぁ……馬がパカッ、パカッと跳ねるのに、すっ、すって尻を合わせんだよ」
「そんな事を言われても、落ちないようにしがみ付いているのがやっとなんですからね!」
「どうせ治癒魔術ですぐに治せるんだろう? 痛い思いをしたくないなら乗りこなしてみせろ」
「別に、僕は馬に乗れなくても……」
「なに言ってやがる、今後はアウグストを補佐して式典とかに出る場合だってあるかもしれねぇだろう。そんな時に無様な格好を晒すつもりか?」
「分かりました。乗れるようになれば良いんでしょ、乗れるようになれば……」
ぶつくさと文句を言いつつも、やらなきゃいけないとなれば、なんだかんだとケントはやり遂げてみせる。
けっして器用とは言えないが、粘り強い性格は評価できる。
もっとも、馬ぐらい乗りこなせないようでは、ベアトリーチェとの仲を認めた甲斐が無いってもんだ。
ケントは尻の痛みに苦しみ、俺は久々の遠乗りを楽しんで、二つ目の野営地へと到着した。
一つ目の野営地でも思ったのだが、強固な外壁はヴォルザードの城壁と比べても遜色が無い。
そして、報告を受けた宿泊施設だが、呆れかえるような建物だった。
白い外壁は、野営地を囲んでいる壁よりも更に強固だという。
地上三階建ての建物は、カルツが例えたように要塞と呼んでも過言ではないだろう。
異世界ニホンの方式を取り入れた、極小の泊まるだけの客室。
ケントが現れなければ、何十年も先でなければ見られなかっただろう。
ただし、泊まるつもりならば、旅の装備は持参すべきだろう。
管理のしやすさを優先した、簀の子敷きの上で眠るのは二度と御免だ。
若い頃なら、硬い地面の上でも熟睡できたものだが、この年になってまで、こんな苦行はやるもんじゃない。
気分転換に遠乗りで出掛けてくるにしても、やはり一つ目の野営地で引き返して、ヴォルザードの我が家で眠った方が良い。
自由も良いが、快適さには抗えなくなったようだ。
さて、さっさとヴォルザードに戻って、今夜はマリアンヌを抱いて眠るとしよう。





