工芸品
内閣官房の梶川さんにメールを送りましたが、まぁ返信が来るのは先の話になるかもしれません。
異世界にコバルトの鉱床があるよ……なんて言われても、それでは取引の交渉を始めましょうとはならないでしょう。
まぁ、待てど暮らせど小惑星の軌道変更を行った報酬の話が進まないので、ちょっと催促してみようか程度のメールですから、あんまり期待はしていません。
でも、話が進むならば、先の事を考えておきたいので、ちょっとクラウスさんに相談しておきましょう。
ギルドの執務室を訪ねて、仕事が終わったら相談があるので一杯やりましょうと誘うと、一も二もなくオッケーしてくれました。
場所は、我が家の和室です。
ここなら、ちょっと飲み過ぎてもマリアンヌさんに雷落とされずに済みますからね。
「んで、相談てのは何だ?」
「まぁ、一杯やりながらにしましょう」
リーブル酒の瓶を差し出すと、クラウスさんはニヤリと笑みを浮かべました。
「ケントも、だいぶ男っぷりが上がったみたいだな」
「ええ、お義父さんの教育の賜物でしょう」
「まぁな……」
別に、おべっかを使うつもりは無くて、クラウスさんと飲むのは楽しいんですよ。
元々、堅苦しい話は嫌いな人ですし、領主になる前は冒険者として活躍していましたから、色んな話を聞かせてくれますからね。
「んで、相談てのは?」
「はい、南の大陸で、とある鉱物の鉱脈を見つけまして……」
「待て待て、金とか銀とか言うんじゃねぇだろうな?」
「残念ながら、金とか銀ではなくて、地球でコバルトと呼ばれている鉱物です」
「コバルト? コボルトじゃねぇのか?」
「はい、コバルトです」
「そいつは、ニホンでは貴重な鉱物なのか?」
「金や銀ほど高価ではないんですが、合金の材料として色々な場所に使われていて、日本は海外からの輸入に頼っています」
コバルトの性質や用途、日本での重要性、世界での生産量などをザックリと説明し、ついでに小惑星の軌道変更に関わる報酬が未払いだと話しました。
「なるほどな、日本では取れない鉱石を餌にして、その報酬を引き出そうって魂胆か。だが、それだと鉱石の代金と報酬がゴチャ混ぜになっちまうんじゃねぇのか?」
「そうなんですよねぇ……まぁ、報酬の件が片付かないうちは鉱石を輸出する気は無いんですけどね」
「そうだな、折角ぶら下げた餌だけ食われるのは癪だからな」
「そう言えば、リーベンシュタインの件ってどうなってましたっけ?」
リーベンシュタインには、台風による水害の対応と、その後の疫病の封じ込めなどの対応しましたが、報酬は日本と同様に曖昧なままです。
「馬鹿野郎、誰が対応してると思ってんだ。そんなものは、とっくの昔に話をつけて、お前の口座に金が入るようにしてある」
「えっ、そうなんですか?」
「ちゃんとリーチェも納得した金額だぞ。ただし、リーベンシュタインは水害と疫病で大きな被害を受けたから、支払いについては分割だ」
水害による被害も大きかったのですが、その後の疫病による被害は更に深刻でした。
人口がガターンと減るほどの騒ぎでしたから、支払いが分割になることについては文句を言うつもりはありません。
「んで、ニホン政府から金を引っ張り出す目途は立ってんのか?」
「いや、全然なんですけど、仮に報酬支払いが決まれば、鉱石の話も進めなきゃいけなくなると思うんです」
「まぁ、そうだな。餌を見せつけるだけで食わせなきゃ、相手から反発を食らうのは必至だろう」
「そうなんですけど、小惑星関連の報酬を受け取って、更に鉱石で儲けたら、世間から袋叩きにされそうで……」
「ふん、何をぬかしてやがる、別に世間の評判なんざ気にしてねぇんだろう?」
「まぁ、そうですね。ヴォルザードでの評判が下がるのは気になりますが、日本での評判はどうでも良いですね」
「だったら、別に俺に相談すること何かねぇだろう」
「いや、世間の評判とかではなくて、鉱石の報酬はお金じゃなくて物品で受け取ろうかと考えているんです」
ISSの乗組員を送迎した件で二百四十億円もの資金を手にしましたが、正直ちょっと持て余しています。
なので、物品で受け取って、こちらで換金しようかと思ったのです。
「というか、そのコバルトとかいう鉱物は合金の材料として有用なんだろう? まずはヴォルザードの利益に繋がるようにすべきじゃねぇのか?」
「確かにコバルト合金は、耐熱性、耐食性に優れ、強磁力性も備えていますが、精錬が問題でして……」
コバルトは、岩石の内部ではヒ素などの有害物質と結びつきやすい性質を持っています。
そのため、精錬や加工の際に人体に悪影響を及ばす可能性があります。
たぶん、現在のヴォルザードの技術では、精錬作業に関わる人たちに健康被害が起こってしまう可能性が高いのです。
「ちっ、合金としては有用だが、鍛冶師の健康が害されるんじゃ意味ねぇな」
「はい、コバルトをヴォルザードで利用するにしても、精錬は日本に任せてしまった方が、人的損失を出さずに済むはずです」
「なるほどな、それはニホンに任せた方がいいな」
「はい。なので、鉱石を送る代わりに、日本から何を仕入れれば良いですかね?」
日本円の代わりに物品で受け取っても、こちらで上手く売りさばけない品物では、宝の持ち腐れになってしまいます。
そこで、こちらの世界で高値で売りさばける品物を教えてもらおうと思ったのです。
「ニホンから仕入れる物だと? そんなもん、サケに決まってんだろう」
「あぁ、クラウスさんに聞いた僕が馬鹿でした……」
「まてまて、確かに俺は飲んべえだが、ニホンのサケは価値が高いのは事実だぞ」
日本酒は、リーブル酒とは全く違った味わいがあります。
日本の純米大吟醸の美味さは、リーブル酒の古酒に匹敵すると思います。
「でも、そんなに大量に高価な日本酒を確保するのは難しいですよ」
「だったら、工芸品だ」
「工芸品……ですか?」
「以前、日本の役人が来た時に、立派な文箱をくれたよな」
「あぁ、彫漆の文箱ですね」
彫漆は、何層にわたって色漆を塗り重ね、それを研ぎ出して模様を浮かび上がらせる高い技術が必要な伝統工芸です。
「あんな見事な文箱は、これまでに見たことがない。一度、ブライヒベルグのナシオスに見せてくれと頼まれて、コボルトに渡して運んでもらったら、いくらでも金を積むから売ってくれと言われたぞ」
「確かに、あの文箱は見事な品物でしたね」
優れた伝統工芸品ならば、ヴォルザードでは日本以上の高値で取引されるかもしれません。
「品物は息を呑むほど素晴らしい出来だが、それに加えてニホンの品物は、ケントゆかりの品物だ。それだけでも高値が付くぞ」
「僕の名前で日本の工芸品が注目されるなら、いくらでも使ってもらって構いませんけど、あまり利益がでると偽物とか出回りそうですよね」
「どうかな、偽物なんて売り捌いたら、それこそケントに喧嘩を売ってるようなものだろう。そこまでの度胸がある奴は居ないんじゃねぇか」
確かに、悪質な偽物とか売ってる奴が居たら、とっちめてやりますけど、偽物を作る側はそこまで深刻に考えていないでしょう。
「でも、偽物対策をしっかりやれば、日本の伝統工芸品を広めるのは良いアイデアですね」
「他にも色んな品物があるんじゃねぇのか?」
「ありますね。着物の生地とか、刀、包丁、漆器、焼き物、細工物……素晴らしい品物は沢山ありますよ」
「だったら、そうした品物をこっちの世界にも広めろ。それと、アイデアを出した俺には良い酒を忘れるなよ」
「はいはい、マリアンヌさんに見つからないように、うちに飲みに来てください」
「おう、そうさせてもらおうか」
コバルト鉱石の代金として、日本の伝統工芸品を仕入れるというのは良いアイデアです。
これならば、僕だけでなく伝統工芸士の皆さんや、関連する職人さんたちも潤うでしょう。
この後も、クラウスさんと酒を酌み交わしながら、交渉の進め方とか、真面目な話もありつつ、下らない冒険者時代の失敗談で腹を抱えて笑ったり、楽しい時間を過ごしました。