若かりし頃 2
※今回も若きクラウス目線の話です。
教会の鐘の音で目を覚まし、ベッドの上で起き上がる。
昨夜は深酒せずに帰って来たから、目覚めとしては悪くない。
隣室からは、同じく目を覚ましたドノバンが身支度を始める気配が伝わってくる。
今日は、魔の森で魔物の討伐をする予定だ。
護衛の仕事は肉体的には楽だし、依頼主によっては報酬も良いが、何も起こらない依頼が続くと体が鈍ってしまう。
だから、魔物の討伐を定期的に行って、戦闘能力を維持している。
「クラウスさん、朝飯は?」
ノックもせずにドアを開けたドノバンが尋ねてくる。
「表通りのパン屋で済ませよう」
「了解です」
別に突然ドアを開けられて困る事など何も無いし、変に気を使われるよりも気楽だ。
布地の厚いシャツとズボンを着込み、防具を身に付けていく。
手甲、脚甲、革鎧を身に付け、腰に剣を吊れば出掛ける用意は万端だ。
部屋を出ると、リビングには準備を終えたドノバンが待っていた。
「行きますか?」
「あぁ、出よう」
ドアに鍵を掛け、表通りのパン屋を目指す。
教会の鐘が鳴る前は、静まりかえっていた街が、俺達と同様に目を覚まし、動き出している。
表通りのパン屋で昼飯用のパンも買い込み、南西の門を目指す。
ヴォルザードには、城壁の外に出るための門が二つある。
リバレー峠を経由して、マールブルグやバッケンハイムに向かう北東の門と、俺達が向かっている南西の門だ。
北東の門は、夜明けと共に開かれ、日没と共に閉められるが、南西の門は基本的に閉じられたままだ。
理由は、門の外へ出て草地の中の道を少し歩けば、もう魔の森だからだ。
行商人のキャラバンが来た時には開かれるが、それ以外の時間は魔物の侵入を防ぐために閉じられている。
ほぼ一日中閉じられたままの南西の門だが、正式名称では、こちらが正門とされている。
門が築かれた当時は、まだ魔の森は存在しておらず、ヴォルザードはリーゼンブルグ王国に含まれていて、当時の王都に向かうための門だったからだ。
「ギルドカードの提示をお願いします」
門に辿り着いた俺達は、生真面目そうな兎獣人の女性守備隊員からギルドカードの提示を求められた。
南西の門から外に出るためには、守備隊員にギルドカードを提示する必要がある。
魔の森に直結する門だけあって、Cランク以下の者が出るためには、Bランク以上の護衛が必要だからだ。
「毎度、毎度、面倒くせぇな、いい加減、顔パスでも良くねぇか?」
「規則ですから、カードを見せて下さい」
「あんまり融通が利かねぇと、嫁の貰い手が無くなるぞ」
「大きなお世話です、あなたに心配される筋合いなんかありません」
「へーへー、そうですか」
兎獣人の女性守備隊員マリアンヌとは顔見知りだ。
一度、肉付きの良い尻を撫でたら、危うく黒焦げにされそうになった。
女だてらに守備隊員をやってるだけあって、火属性魔術の威力は守備隊内部でも一、二を争うほど強力だ。
領主の家族として生まれたものの、凡百な才能しか持ち合わせていなかった俺からすれば、羨ましいほどの魔力量だ。
「ドノバンさん、その男の手綱を放さないようにして下さい」
「それは保証しかねる。手綱を握るならば、暴れ馬を選んだ方がよっぽど楽だ」
「おいおい、随分な言いぐさじゃねぇか」
マリアンヌは黙っていれば良い女なのに、威圧的な視線と可愛げの無い余計な一言が台無しにしている。
南西の門から外に出るためには、内側の通用口を開けて城壁内部へと入り、入り口を閉めて施錠した後に、初めて外部へ扉の鍵が外される。
「欲に目が眩んで、引き際を間違えないようにしなさいよ」
「心配すんな、逃げ足だったらヴォルザードで三本の指に入る自信があるぜ」
「なにそれ、自慢するならもっと恰好良い能力にしなさいよ」
「あんまり恰好良いところを見せるとモテすぎちまうからな」
「それじゃあ、雌オークに押し倒されないように気を付けなさい」
「おぅ、まとめて撫で斬りにして稼がせてもらうぜ」
マリアンヌと軽口を叩き合った後、城壁を潜って外に出る。
城壁の中は人間の領域、ここから先は魔物の領域だ。
門の近くこそ道は整備されているが、少し離れれば馬車が通れる獣道といっても良い状態になる。
数年に一度、リーゼンブルグと打ち合わせて道の整備を行っているが、互いに攻め込まれやしないか疑心暗鬼な間柄とあって、完全に整備を行う気は無い。
それだけに、西方からの交易品は貴重で人気も高く、値も高い。
冒険者の中には、一獲千金を目論んで、商人を口説き落として交易品を集め、リーゼンブルグを目指す者もいる。
無事に生きて戻れば、数年は楽に遊んで暮らせる財産を築けるが、しくじれば一巻の終わりだ。
「どっちに進みます?」
「暫くは街道に沿って進み、適当な所で南に向かう」
「了解です」
この森が、魔の森と呼ばれる所以は色々とあるのだが、一番の理由は南の大陸と地続きで、強力な魔物が渡って来るからだ。
南の大陸には、人が暮らしていけないほどの数の魔物が生息していると言われている。
これまで何度も船での上陸や魔の森を踏破しての上陸が試みられたが、ことごとく失敗している。
つまり、魔の森は南に行くほど、南の大陸に近付くほど危険度が増していくのだ。
「クラウスさん……」
「おぅ、囲まれてるな」
まだヴォルザードの門を出てから三十分も歩いていないのに、いつの間にかゴブリンに囲まれていた。
「十五、六頭ってところか?」
「ですね……少々物足りませんが」
「まぁ、手始めと思えば悪くねぇだろ」
「そうですね」
人間二人対ゴブリン十五、六頭となれば、普通は背中合わせの状態で迎え撃つところだが、ドノバンは俺から離れるように歩きながら背負っていた大剣を抜いた。
俺の所からでは表情は窺えないが、凄みのある笑みを浮かべているのだろう。
「さて、俺の相手はどいつだ?」
ゴブリンごときの相手をするのに、俺達が互いを気遣う必要は無い。
いや、正確には互いの攻撃範囲に、不用意に踏み込まないように気を遣う。
ゴブリン共が、ジリジリと包囲の輪を縮めてきたところで、腰に吊った剣を抜きながら詠唱する。
「マナよ、滾れ!」
包囲していたゴブリン共が一斉に飛び掛かって来たのと同時に、俺も踏み込みながら剣を振るう。
一閃で二頭のゴブリンの胴体を輪切りにしながら包囲の輪を突き抜け、反転直後に踏み込んで再び剣を振るう。
一閃、二閃、三閃、四閃、五閃……剣先を鈍らせることなく、滑らかに斬撃を繋ぎ、ゴブリン共を殲滅する。
包囲していたゴブリンを全滅させ、剣に血振りをくれて振り返ると、丁度ドノバンも殲滅を終えたところだった。
俺達を取り囲んでいたゴブリンが全滅するまで、一分も掛かっていないだろう。
「こいつら、やけに痩せてやがるな」
「えぇ、動きも鈍かったですよ」
「食うに困ってやがったのか?」
「ゴブリンが増えすぎて食い物に困ってるんでしょうか」
「可能性はあるな。まぁ、もう少し進めば状況も見えてくるだろう」
ドノバンと手分けして、ゴブリンから魔石を取り出し、死骸は森の中へと投げ飛ばした。
極力、街道に魔物が集まるような状況は避けたい。
「どうします、血の匂いに誘われてくる連中を待ちますか?」
「いいや、その必要は無いな」
待つどころか、既にオークが姿を現して、ゴブリンの死骸を漁り始めている。
「どうします? 討伐しますか?」
「そうだな、はぐれ個体みたいだし、サクっと倒しちまうか」
ゴブリンの死骸を漁り始めたオークは、群れではなく一匹で行動しているらしい。
「クラウスさん、こいつも痩せてませんか?」
夢中になってゴブリンの死骸を漁るオークは、痩せている上に傷を負っている。
まだ森に入ったばかりなのに、あまり思わしくない状況が起きているようだ。