領主の即断
合コンの二日後、朝食を終えてからベアトリーチェと一緒にギルドに向かいました。
クラウスさんに、マルグレットの父親によるDVの相談をするためです。
合コン当日は、マルグレットが帰宅した時には既に父親は酔い潰れて眠り込んでいたそうですが、翌日になると昼間から酒を飲んで奥さんに暴力を振るい始めました。
しかも、暴力を振るったことが近所の人などにバレないようにするためか、服で隠れている場所を狙って殴ったり、蹴ったりしていました。
マルグレットの話では、父親は元冒険者らしいのですが、映像を見ると左足が不自由なようです。
フレッドが撮影してきた映像を見て、これはすぐにでも動かないといけないと思いました。
「リーチェ、こういう場合だったら、奥さんの側から離婚を申し出られるよね?」
「はい、明確に夫による暴力だと認められれば、離婚を求められるはずです」
ランズヘルト共和国では、婚姻に関わる法律は男尊女卑という訳ではなく、女性の権利も認められているそうです。
理由としては、女性であっても魔法を使えば男性と同じレベルで戦う力があることと、家を守るという役割が重視されるからだそうです。
「ただ、魔力も腕力も少ない女性も多いので、男性の立場が強くなりがちではありますね。それに、このような撮影は普通の人では出来ませんから、夫の暴力だと証明するのが難しいです」
「なるほど……でも、それって逆に考えると、証拠が揃っている今回は奥さんの言い分が通るってことだよね?」
「はい、その通りです。この映像があれば、奥さんの言い分が全面的に認められると思います」
ギルドの執務室に入ると、クラウスさんはまだ来ていなかったので、ベアトリーチェがテーブルなどを掃除する手伝いをしながら待たせてもらいました。
てか、クラウスさんの机の上には、書類が山積みになってるんですけど、また仕事を放り出して帰っちゃったんですかね。
掃除を終えて、雑巾などを片付けていると、アンジェお姉ちゃんと一緒にクラウスさんが姿を現しました。
「おはようございます、クラウスさん」
「あぁ? なんだ、なんだ、こんな朝っぱらから、まさか厄介事を持って来たんじゃねぇだろうな?」
「すみません、そのまさかです」
「よし、帰れ!」
クラウスさんは、しっしっと手を振って、僕を執務室から追い出そうとしましたが、すぐさまベアトリーチェに詰め寄られました。
「お父様、ヴォルザードの住民が困っているのに、何もしないおつもりですか?」
「ちっ、何の用だ、ケント! 下らない痴話喧嘩とかじゃねぇだろうな?」
「えっと……ある意味では痴話喧嘩なんですけど……」
「帰れ!」
「いやいや、最後まで話を聞いて下さいよ」
「しゃあねぇな、さっさと話せ」
「はい、実はですね……」
合コンの件は伏せて、リカルダの知り合いの女の子が、父親のDVで困っている状況を話し、フレッドが撮影してきた映像を見てもらいました。
映像を見始めた直後、クラウスさんは怒りの表情を隠そうともせずに椅子から立ち上がりました。
「行くぞ、ケント!」
「えっ、どこへですか?」
「決まってんだろう、その馬鹿野郎の所だ。さっさと案内しろ!」
「は、はいっ!」
フレッドに影の空間から誘導してもらい、マルグレットの家を目指したのですが、クラウスさんはバッケンハイムの学院の寮でバルディーニをぶっ飛ばした時と同じぐらい腹を立てているようです。
マルグレットの家までは、ギルドから歩いて十五分ほどの距離でしたが、道中クラウスさんは一言も話そうとしませんでした。
そして、マルグレットの家に到着すると、玄関のドアを少々手荒くノックしました。
「はーい、どちら様です……か?」
マルグレットの母親は、ドアを開けると同時に、ノックしていたのがクラウスさんだと分かると目を見開きました。
「ク、クラウス様」
「邪魔するぜ、リベリオの奴はどこだ?」
「お、奥に……」
クラウスさんは、マルグレットの母親を押しのけるようにして家の奥へと踏み込んでいきました。
「ちょっと、クラウスさん! あっ、お邪魔します」
マルグレットの母親に挨拶して、急いでクラウスさんを追い掛けると、キッチンのテーブルで酒を飲んでいるマルグレットの父親を睨みつけていました。
「なんだ手前……えっ?」
酒の酔いで濁った眼でこちらを睨みつけたマルグレットの父親は、踏み込んで来た男がクラウスさんだと気付くと、驚いた表情で腰を浮かせました。
「なんだ手前だとぉ? 誰に向かってぬかしてやがる!」
「ク、クラウスさん……なんで?」
「なんでじゃねぇ、リベリオ、手前は何やってんだ! 朝っぱらから飲んだくれてるとは、随分と良いご身分になったもんだな!」
どうやら、クラウスさんとマルグレットの父親リベリオは知り合いのようです。
「ち、違うんです……足、足をやっちまって……」
「リベリオ、俺が何も知らないで踏み込んで来たなんて思ってんのか?」
「い、いいえ……すんませんでした!」
リベリオは、テーブルに打ち付けるようにして頭を下げました。
「馬鹿野郎、謝る相手は俺じゃねぇだろう」
クラウスさんが振り返ったので、慌てて壁際に移動して、マルグレットの母親をキッチンに通しました。
おずおずとキッチンに入ってきたマルグレットの母親は、リベリオやクラウスさん、それに僕の顔色を窺うように視線を巡らせ、表情を強張らせています。
「エディラ、い、今まで、すまなかった!」
リベリオが深々と頭を下げましたが、エディラさんはその姿を見つめるだけで、言葉を発しようとしませんでした。
ただ、最初は怯えているように見えた瞳が徐々に強く見開かれ、ダラリと垂らされていた両手は、スカートを握り締めてワナワナと震え始めました。
リベリオは頭を下げたまま、エディラさんは黙ったまま、重たい沈黙が三分ぐらい続いたと思います。
沈黙を破ったのは、エディラさんの静かな一言でした。
「別れてください……」
「えっ……?」
間の抜けた表情で顔を上げたリベリオが目にしたのは、覚悟ガン決まりのエディラさんです。
「すぐにマルグレットと住む家を探します。家が見つかり次第出て行きますが、今この時から貴方の面倒は一切見ません」
「いや、待ってくれ……やめる、もう酒はやめるから……」
「もう無理……もう、うんざりなのよ!」
エディラさんは目が吊り上がり、ヒステリーを起こす寸前に見えます。
リベリオが口を開こうとしました、クラウスさんが遮るように左手を挙げ、二人の間に割って入りました。
「エディラ、気付いてやれず、すまなかった」
「いえ、クラウス様のせいでは……」
「リベリオ、いつからだ?」
「えっと……二年、いや、三、四年……」
「七年よ。貴方が働かなくなってから、もう七年よ」
七年間も飲んだくれの亭主に暴力を振るわれ続けてきたら、ブチ切れたって当然ですよね。
リベリオが謝って、なんとか元の鞘に収まる……なんて思ったのは甘すぎでした。
「エディラ、家が見つかるまでは守備隊の部屋を貸すから、すぐ荷造りを始めろ。ケント、荷物を運ぶのを手伝え……あぁ、その前にエディラを治療してやってくれ」
打撲だけでなく、肋骨にヒビまで入っていた体を治癒魔術で癒し、疲労も回復させてあげると、エディラさんはテキパキと引っ越しの準備を始めました。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、いくらクラウスさんでも横暴だろう」
「ケント、さっきの映像をこいつにも見せてやれ。自分が何をやっていたのか、自分の目で確かめさせてやれ」
酒に溺れ、エディラさんに暴力を振るう自分の姿を客観的な視点から見せてやると、リベリオは黙り込むしかありませんでした。
「ケント、他に面倒事は抱えてるか?」
「いえ、今のところは何もありませんけど」
「じゃあ、エディラと娘の見守りにコボルトを二頭貸してくれ」
「分かりました。影から見守らせます」
「リベリオ、こいつが俺の娘婿の魔物使いだ。こいつの眷属のコボルトにエディラと娘を見守らせる。復縁を強要したり、付きまとったりしたら、身分証を取り上げて街から放り出すから、そのつもりでいろ」
「そんな……」
「脚が不自由っていっても、歩けない訳じゃねぇよな。酒をやめ、仕事をして、一年間まともな生活を送るまで、お前からエディラと娘に会いに行く事を禁止する」
クラウスさんの要求、当たり前の内容ですが、今のリベリオには厳しく感じられるのでしょう。
不満そうな表情を浮かべていたリベリオでしたが、クラウスさんに無言で睨み付けられると、渋々といった様子で頷きました。
「この馬鹿野郎が、冒険者になるなら、死ぬまで格好つけろって言っただろうが……」
クラウスさんの言葉に、はっとしたように顔を上げたリベリオは、泣きそうな表情を浮かべながら頭を下げました。
「すんませんでした……」
「この馬鹿野郎が……」
クラウスさんに手荒く頭を撫でられながら、リベリオはボロボロと涙を零しました。
きっと、今と同じような光景が、ずっと昔にもあったんでしょうね。