水入らず
※ 今回はセラフィマ目線の話になります。
ケント様と一緒にグリャーエフに戻って三日目の夜、みんなとは離れて両親と水入らずの時間を取らせてもらいました。
暮らし慣れた宮殿の奥にある、家族が集まる部屋に腰を落ち着けると、本当に帰ってきたのだと改めて実感します。
「どうだ、ケントや他の奥方は楽しんでいるか?」
「はい、父上。宝物殿での騒動は想定外でしたが、歌劇や舞踊の観覧は楽しんでいただけたようです」
「そうか、それは何よりだ」
ケント様と顔を合わせる度に、皮肉を口にする父ですが、ケント様の実力を高く評価していますし、人間性も認めています。
「あの……宝物殿でケント様に襲い掛かった兵士はどうなりましたか?」
「引き起こした不祥事が暗殺未遂である以上、無罪放免という訳にはいかぬ。今は、軍の懲罰房に入れてある」
「最終的な処分は、どうされますか?」
「ケントの希望だから処刑はせぬが、さりとて軽い処分で済ませる訳にもいかぬ。落としどころが難しいな……」
ケント様は、元皇女である私と結婚し、皇族に準ずる存在です。
それを暗殺しようと試みたのですから、通常であれば処刑は免れません。
「ケント様からの助命嘆願だと公表されるのですよね?」
「無論だ。兵士に虚偽の情報を吹き込んだ連中は、バルシャニアとケントの関係を悪化させようと目論んでいる。兵士を助命する理由としては勿論、バルシャニアとの関係が強固で良好だと印象付ける意味もある」
「やはり、ボロフスカの仕業でしょうか?」
「そこまでは分からぬ。ボロフスカ以外にも、我々とケントの関係を壊そうと思っている連中は居るからな」
バルシャニアという国は、少数の部族が集まって出来た国だ。
単独ではリーゼンブルグ王国やフェルシアーヌ皇国には対抗できないから、一つにまとまって他国からの侵略に対抗しようという打算でまとまっているだけだ。
実際、ボロフスカの他にも、ムンギアやカジミナといった部族は、度々反旗を翻してきた。
良好な関係を築いていると思っている部族も、全てが一枚岩とは限らないので、一部の人間が暴走する可能性は十分に考えられる。
「魔落ちの騒動を起こした連中は、どうされるのです?」
「奴らは助命する気は無い。セラ達がヴォルザードに戻った後……」
父は、手刀で自分の首筋を叩いてみせた。
こちらの者達については、ケント様も私も助命を願い出るつもりはないようだ。
魔落ち騒動では、少なからぬ市民が犠牲になっていて、その中には幼い子供も含まれている。
おそらく、公開処刑を行い、首だけボロフスカに送り付けることになるのだろう。
父と共に、渋い表情を浮かべていると、大きな溜息が聞こえてきた。
ため息を洩らしたのは、呆れ顔の母だ。
「はぁぁ……折角、遠路遥々グリャーエフまで帰ってきてくれたのに、そんな辛気臭い話ばかりするものではありませんよ」
「分かっておる。分かっておるが、聞かれたら答えねばならんだろう」
「そんなもの……心配いらぬ、任せておけと答えておけば良いのです」
厳密に言うならば、私はヴォルザードのケント様の元へと嫁いだ身なので、こうした話を聞く資格はない。
それでも、包み隠さずに教えてくれるのは、父の優しさなのだろう。
「セラ、ヴォルザードでの暮らしで困ったことは無い?」
「はい、母上。皆さん、本当に良くしてくれています」
これは、お世辞では無く、私と同じケント様の妻だけでなく、屋敷の人、そしてヴォルザードの街の人たちからも優しくされている。
「そう、それは良かったわ。手紙では、セラの表情までは見えないからね」
表情や話しぶりから、私の言葉には嘘が無いと母は見て取ったらしい。
「母上は、心配性ですね」
「当たり前でしょ。何歳になろうと、どこで暮らしていようと、貴女は私たちの娘よ」
「母上……ありがとうございます」
「ところで……夜の生活も順調なの?」
「母上……」
あまりに唐突な質問に、危うくお茶を吹き出すところだった。
「リサ、何もそのような話はしなくとも」
「いいえ、あなた、とても重要なことよ」
確かに、夫婦の営みは重要だと思うが、出来れば父の居ない時にしてもらいたい。
貴族社会では、世継ぎを巡って第一夫人と第二夫人が骨肉の争いを繰り広げるなんて話も珍しくは無い。
ケント様の嫁には、リーゼンブルグの元王女カミラ・リーゼンブルグも居る。
勿論、私とカミラは家督相続争いを繰り広げるつもりはない。
それでも、懐妊したマノンの幸せそうな表情を見て、自分の娘も……なんて考えたのだろう
「ちゃんと、ケント様は私たちに分け隔てなく接して下さっていますから、子供については運……としか申し上げられません」
「セラ、それは間違いよ」
「えっ? ですが、子供を授かるかどうかは……」
「そうね、確かに運もあるわ。でもね、運は待ってるだけじゃ掴めないわよ。運を掴み取るために、最善を尽くした者だけが、幸運を手に出来るのよ」
母は閨での振舞いについて生々しく語り始め、居づらくなったのか、父は風呂に入ってくると言って中座した。
輿入れ前にも、母からは夜の振舞いについて手ほどきを受けた。
男四人、女一人の五人を生み育てた母の言葉には説得力がある。
実際、床を共にした夜では、ケント様を満足させられていると思っている。
「セラのことだから、恥ずかしがって消極的になっているのかと思っていたけど、そうでもないようね」
「母上の場合、父上と一対一の関係でしたから、子供を授かり易かったのではありませんか?」
父はバルシャニア皇帝ではあるが、正室である母以外に側室をもっていない。
ユイカ、マノン、ベアトリーチェ、カミラの四人とケントを共有している状態では、単純計算でも確率は五分の一に減っている
「それじゃあ、もっと大胆に迫らないと駄目ね」
「これ以上ですか? さすがに引かれませんか?」
「大丈夫よ、ケントさん、若いんだから」
確かにケント様は、見た目よりも逞しい。
ならば、ヴォルザードに戻ったら、もう少し大胆に迫ってみるとしよう。
私と母の話が一段落するのを見計らったように、風呂から上がった父が戻ってきた。
父は酒瓶とグラス持参だった。
「リサ、もう話は済んだか?」
「はい、終わりましたよ」
「そうか、ならば来年の今頃には、孫の顔が見られるかな」
父はグラスを手にすると、酒瓶を私の前に置いた。
「たまには、お酌してくれ」
「はい、今回の旅行では大変お世話に……」
「あぁ、そんな堅苦しい言葉は抜きだ」
「はい、お父様」
輿入れ前に戻ったつもりになって、父のグラスに酒を満たす。
父はグラスの酒を一息に呷ると、大きく息を吐いた。
「あぁ……美味いな。やはりセラのお酌で飲む酒は最高だな」
「あら、私のお酌では物足りませんか?」
「何を言う、リサのお酌は極上だ」
母に注いでもらった酒をまた一息に飲み干して、父は満足そうに笑みを浮かべた。
十年先、二十年先、私も父や母と同じように、ケント様と歳を重ねていけたらいいな。





