観劇(後編)
劇場に入った僕らは、VIP専用の通路を通って貴賓席へと向かいました。
要人を警護するために作られた通路なので、他の観客は立ち入ることができません。
てか、絨毯がフッカフカなんですけどぉ……くるぶし辺りまで埋まりそうなんですけどぉ。
チラリと視線を向けてみると、セラフィマやカミラは驚いたような様子はありません。
ベアトリーチェは少し、唯香とマノンは目を丸くしています。
この辺りは、育ちの違いだから仕方ないですよね。
貴賓席は、舞台正面の三階席に設けられていました。
バルシャニアの国立歌劇場は、一階席は舞台よりも少し低く、二階席が平行か少し高く、三階席が見下ろす高さに設置されています。
貴賓席の両隣にも座席が用意されているそうですが、間仕切りが設けられているので、隣から覗き込まれることはありません。
また、万が一襲撃された場合にそなえて、護衛の兵士もスタンバイしています。
貴賓席は舞台側に観劇用の座席があり、その裏側には休憩時間にお茶を飲むための部屋が用意されています。
トイレや洗面所、なぜだか浴室まであります。
まさか、観劇に来ておきながら、不埒な行為におよんだりしたのだろうかと考えていると、セラフィマが説明してくれました。
「上演時間の長い作品では、途中に食事休憩が入ります。浴室は、食事を衣服にこぼしてしまった時などのために用意されています」
なるほど、僕が考えるような理由ではなかったのですね。
上演時間まで、まだ時間があるので、裏側の部屋でお茶を飲んでいると、僕らを訪ねてきた人がいました。
「ようこそいらっしゃいました、ケント・コクブ様、皇女様、奥様方……私は歌劇場の支配人を務めさせております、アルヴァーと申します」
まるで本人も役者のように優雅に挨拶したアルヴァーさんの後ろには、長身イケメンの男性と、小柄で美貌のロリ体型の女性が控えています。
「ご紹介させていただきます。こちらが本日魔王様役を務めさせていただきますビョルンと、皇女様役を務めさせていただきますファンヌでございます」
「えっ、魔王役?」
「はい、本日の演目は『救国の魔王と深窓の皇女殿下』でございます」
「えっと、それってもしかして……」
「はい、ケント様とセラフィマ様のなれそめを基にした、バルシャニア歌劇の最高傑作と呼ばれている演目でございます」
「そ、そうですか……楽しみにしています」
言われてみれば、ファンヌさんはセラフィマに良く似た髪色、髪型そして体型をしています。
痛たたた……セラフィマさん、何でもないですから抓らないで下さい。
てか、セラフィマ役は本人に似せているのに、なんで魔王様役は僕が見上げるような長身のイケメンなんでしょうかね。
銀髪はカツラみたいですし、瞳の色は薄いブルーですよね。
僕は、そんなにマッチョじゃないですし、そんなにイケメンでもないんですけど。
「ケント様の役柄を演じる者は、長身の者にせよと父が命じたのです」
この演目が上演されるようになったのは、例のギガースによる襲撃があった後からだそうです。
バルシャニア騎士団に大きな欠員が生じて、戦力の低下が否めなくなり、それに乗じた内乱の勃発を防ぐために僕の存在を他の部族に誇示するために作られた演目だそうです。
そのため、僕は魔物の眷属をしたがえた偉丈夫に描かれているそうです。
プライバシーの保護という意味でも、違う姿にしたのでしょうが、何と言うか、見た目で大きく負けている感じがするのが悔しいですね。
役者さんに頼まれて握手を交わしたのですが、なんとなく気後れしてしまいました。
てか、なんかビョルンという男、セラフィマやカミラに対して慣れ慣れしくないかな。
別に握手ぐらいは構わないけどさ、どうです俺の方が良い男でしょと言わんばかりの役者スマイルが鼻につくよね。
挨拶を終えて支配人と役者さんが退室すると、セラフィマが耳打ちしてきました。
「実物のケント様の方が、何倍も素敵ですよ」
うんうん、お世辞も入ってると分かっても、ニヤニヤしちゃいますよね。
「それにしても、劇の題材にされているとは思わなかったな」
「リーゼンブルグにも、ケント様を題材にした演劇がありますよ」
「えぇぇ! 本当に?」
「はい、乱れに乱れた国を内乱の危機から救い、悪徳貴族の魔の手から王女を助け出す物語です」
「おふぅ……」
まだ見てもいないのに地味にダメージを受けてしまいました。
てか、ベアトリーチェを中心として、唯香とマノンは何を熱っぽく語ってるのかな。
楽器をチューニングする音や、観客のざわめきが大きくなり、上演開始の時間が迫ってきたようです。
貴賓席は、正に劇場内部を一望できるように作られていました。
上演を待つ観客席は満員で、観客たちも上演開始を待ちきれないといった様子です。
そして、カーン……カーン……と上演開始を告げる鐘の音が鳴り響き、照明が落とされると、劇場内は水を打ったように静まり返りました。
舞台は、バルシャニア皇帝がリーゼンブルグ貴族からの密書を受け取るところから始まりました。
密書の主は北方の鉱山地帯の領主からで、腐った王族を排してリーゼンブルグの全権を手にいれるのに協力してほしいという内容です。
バルシャニア皇帝は、独自のルートでリーゼンブルグの内情を探り、参戦を決意しますが、その前に立ちふさがった男がいました。
それこそが、魔物使いの異名を持つランズヘルトの冒険者でした。
劇は史実にほぼ忠実な内容となっていて、兵士がコボルト隊に安眠を妨害される場面はコミカルな演出が施されていて、観客席からは笑いが起こっていました。
ただ、セラフィマの寝所に手紙を置いていった場面は、思いっきり甘々な演出になっていて、見ていて赤面してしまいました。
「あぁ、麗しの皇女殿下、どうか聡明な貴方からも無益な戦いを止めるように説得してほしい……」
「勇敢なる冒険者よ。私はその勇気に心を打たれました」
「殿下……」
まるで昼ドラでも見ているかのような展開ですけど、思い返してみてもこんな甘々展開なんて無かったですよね。
確か、手紙を置きに行ったら、布団をはだけるように寝返りを打って、くしゃみをして起きたセラフィマに見つかって逃げ出しただけだったはずです。
こんな相思相愛の男女として、熱い口づけなんてした憶えが無いんですけどね。
てか、セラフィマ以外のお嫁さんから、ジト目で見られちゃってますけど、お芝居ですから、こんな展開無かったからね。
お芝居は、ギガースを討伐してクライマックスを迎えます。
物語を締めくくったのは、バルシャニア皇帝でした。
「聞け! 我々は、この戦いで生き残った! 我々は、バルシャニアを託されたのだ! 我々に課せられた使命は少なくないぞ! 俯いている暇など無いぞ! 今こそ誓おう、散っていった仲間の代わりに、命を賭して働くと!」
バルシャニア皇帝役の役者さんが右の拳を掲げると、観客も拳を掲げ、力強く胸を叩いて天を指差しました。
「バルシャニアの誇りにかけて!」
大歓声と万雷の拍手の中で、劇は幕を閉じました。
観客の多くが涙を流し、感動に打ち震えています。
僕も実際の場面を思い出して、涙が止められませんでした。
本当に、本当に多くの人が命を落とし、生き残った兵士たちは暗く打ち沈んでいましたが、皇帝コンスタンのこの一言で全員が背筋を伸ばして前を向いたのです。
色々と突っ込みどころも満載でしたが、全体を通してみれば良い舞台だったと思います。
リーゼンブルグで上演されているという僕の劇も、ちょっと見てみたくなりました。