搦め手
ボロフスカのスパイが入り込んでいるのなら、魔落ち騒動を引き起こした連中を速攻で捕まえて、こちらの戦力を見せつけてやりましょう。
自己治癒魔術でアルコールも抜きましたし、僕も捜索に加わろうかと思ったのですが、ラインハルトに待ったを掛けられました。
『いやいや、ケント様の手を煩わせる必要などありませぬぞ』
「僕は協力しなくて良いの?」
『はい、既に容疑者数名をマークしておりますぞ』
「えぇぇ……もう? どうやったの?」
『魔落ちさせる薬物の臭いを辿りました』
ボロフスカが使う、人間を魔落ちさせる薬は、魔物の血と強い酒を混ぜ、凝固成分を取り除いたものだそうです。
酒と魔物の血が混ざりあった薬剤からは、特有の臭気が発せられているそうです。
『ボロフスカの秘密工場でも作られていましたので、何本か盗み出しておきました。あの臭いをコボルト隊やゼータたちに辿らせております』
「単なる魔物の血の臭いじゃなくて、薬物の臭いで探させているなら間違い無いのかな」
『ほぼ間違いないでしょうが、証拠の品は所持していないでしょうな』
特定の人間を魔落ちさせてしまえば、それに使った薬剤や注射器などの証拠となる品物は廃棄してしまうでしょう。
注射器などは、竹筒と植物の棘を使った簡素な物ですから、大事に保管する必要などありません。
「ねぇ、ラインハルト、注射器は手に入れてある?」
『ございますぞ』
「それなら、とりあえず捕まえてくれればいいよ。縛り上げて、魔落ち騒ぎの容疑者ですって貼り紙をしておいて」
『了解ですぞ、ケント様は皆様と一緒に寛いでいてくだされ』
「ありがとう、そうさせてもらうよ」
眷属のみんなが容疑者の捜索を行っている間、僕らは宝物殿の見学をさせてもらう事にしました。
宝物殿にはバルシャニア国内の伝統工芸品や、他国から送られた工芸品などが展示されています。
いうなれば博物館のようなもので、一般市民にも公開されているそうです。
今日も一般市民に公開されていたそうですが、魔落ちの騒動が起こったので公開は中止されました。
一般市民の立ち入りが禁止されたのは、僕らが見学するには好都合でした。
「あぁ、まだギガースの頭蓋骨は展示されているんだ」
宝物殿に入ってすぐ、一番目立つところに僕が討伐したギガースの頭蓋骨が展示されています。
多少脚色が入ったギガース討伐の顛末と、セラフィマの輿入れの話も展示スペースに書き添えられています。
脚色付きなので、唯香たちに読まれるのは、ちょっと気恥ずかしいですね。
「ねぇ、健人、どこまでが本当なの?」
「話半分ぐらいに思っておいて」
「そうなの?」
「うん、ボロフスカとか、ムンギアとか、反体制派の部族へのアピールもあるからね」
そもそも、ギガースの頭蓋骨を展示したのは、バルシャニアの騎士団が大きな被害を被って弱体化していると思わせないためです。
こんな大きな魔物を一人で三体も討伐してしまうケント・コクブなる人物が味方に付いているから弱体化など問題ではないと思わせるための展示です。
「ケント様、この宝物殿の展示で、一番人気が高いのはギガースの頭蓋骨なんですよ」
「そうなの? まぁ、ギガースなんて滅多に遭遇しないもんね」
セラフィマが聞いている話では、このギガースの頭蓋骨を見るために、泊りがけで帝都を訪れる人も少なくないそうです。
日本で例えるなら、一回目の大阪万博で展示された月の石みたいな感じなんでしょうね。
うちのお嫁さんたちも、ギガースの頭蓋骨を興味深げに眺めていましたが、それよりもバルシャニアの工芸品の方が興味を惹かれるみたいです。
特に、服装品や宝飾品の数々を眺めて目を輝かせています。
どれも国を代表するような品物ばかりなので、目を奪われるのは当然でしょう。
「ケント様、私はこのネックレスが欲しいです」
「ちょ、リーチェ?」
「ふふふっ、冗談です」
まさか僕に盗み出せなんて言わないとは思っているけど、ベアトリーチェの場合は本気か冗談か分かりづらいからなぁ。
でも、奥さんたちに、たまにはアクセサリーとかプレゼントした方が良いよね。
結婚して一緒に暮らし始めても、僕はみんなから貰ってばかりの気がするからね。
うん、ちょっと考えましょう。
一般市民への公開が取り止めになっても、宝物殿のあちこちには兵士が見張りに立っています。
僕らの警護というよりも展示品の盗難を防ぐために警備しているようですが、僕らの周囲にも目を光らせてくれているようです。
警備の兵士の前を通り掛かると、ビシっと敬礼を送られるので、こちらも敬礼で返そうかと思ったのですが、今いち決まらないので会釈に留めておきました。
絵画を展示した部屋の兵士も、僕らが通り掛かると姿勢を改めて敬礼しました。
僕も会釈を返し、視線を外して通り過ぎようとした直後でした。
ガキーンと金属同士がぶつかり合う大きな音が響きました。
「えっ?」
『油断大敵……』
僕に向かって抜き打ちを仕掛けてきた兵士は、影から飛び出してきたフレッドに、あっと言う間に制圧されました。
「ケント様! お怪我は?」
「大丈夫だよ、セラ。フレッドが守ってくれたから」
『マルトたちは捜索……代わりに警護してた……』
臭いを辿る捜索なので、コボルト隊やゼータ達がメインに活躍しているので、代わりにフレッドが僕らの護衛に付いていてくれたそうだ。
それにしても、まさか宝物殿の中で斬り付けられるとは思ってもいませんでした。
「くそっ、放せ!」
フレッドに右腕を捩じり上げられ、床にうつ伏せに押し倒された兵士は、僕に向かって憎悪の視線を向けてきます。
「あなたは、ボロフスカのスパイですか?」
「ボロフスカだと、俺をあんな売国奴なんかと一緒にするな!」
「では、なんで僕を襲うんです?」
「決まっている、貴様さえいなければ、バルシャニアはリーゼンブルグに屈したりしなかったからだ!」
「えっ? 何を言ってるの?」
兵士の言っている事が理解できず、思わずセラフィマと顔を見合わせてしまいました。
「皇女様、あなたは騙されているのです! あのギガースはケント・コクブが操ってバルシャニアを襲わせたのです。それを自分で討伐して、バルシャニア皇家に取り入り、リーゼンブルグ侵略を食い止めた。全てはケント・コクブとリーゼンブルグの策略なのです!」
兵士の言い分は事実とは全く異なり支離滅裂です。
もう一度、僕と顔を見合わせて小首を傾げたセラフィマは、組み伏せられた兵士の前にしゃがみ込んで話し掛けました。
「貴方は、その話をどこで聞いたのですか?」
「それは……言えない」
「そうですか……では、バルシャニアがリーゼンブルグ侵攻を取り止めた理由を説明しますね」
セラフィマは、情報の出所を追及するのではなく、リーゼンブルグ侵攻を取り止めた前後の状況を兵士に語って聞かせました。
当時は、リーゼンブルグ国内が第一王子派と第二王子派に分かれて争っている最中で、その内乱に乗じてバルシャニアが侵攻する予定でした。
しかし、バルシャニアが攻め込む以前にリーゼンブルグの内乱は終結し、僕も侵攻阻止に動きましたが、取り止めたのは想定よりも損失が大きくなると判断したからです。
それに、リーゼンブルグ侵攻を取り止めたのは、ギガース討伐よりも遥かに前の段階です。
ただ、そうした裏事情は末端の兵士にまでは伝わっていないようで、聞かされた兵士にとっては初耳だったようです。
『ケント様、デマを流している奴がいる……』
「うん、ちょっと根が深そうだね」
先日、ボロフスカの麻薬製造施設などをぶっ壊した影響なのか、それ以前から計画されていたものなのか、解決したと思った内乱の企みはまだ終わっていないようです。