バルシャニア訪問(中編)
「ようこそバルシャニアへ、アンジェリーナ嬢」
「ありがとうございます」
「おめでとうございます、グレゴリエ様」
「いやいや、おめでとうは気が早いぞ」
宴が始まると、列席しているバルシャニアの重要人物たちが、次々に席を立ってアンジェお姉ちゃんにお酌をしに来ました。
予想通り、外堀をガンガン埋める作戦のようです。
今夜は媚薬効果がある華酒ではなく、アルコール度数も低めの口当たりの良い酒が使われているようですが、それでもアンジェお姉ちゃんは飲んだ振り、注ぐ側も注いだ振りをしています。
ぐい吞みサイズの酒器であっても、三百人からのお酌なんて受けきれませんからね。
「さあさあ、ケント殿、ご一献つかまつりますぞ」
「ありがとうございます」
「ささ、ぐっと、ぐぅっと……」
「おぉぉ、さすがセラフィマ様を娶られただけのことはございますな。さぁ私からも一献」
「ど、どうも……」
てか、僕に注がれているお酒、めちゃくちゃ強いんですけど。
僕も飲んだ振りで済まそうとしたんですが、さぁさぁ、ぐっと、ぐっと……と、飲んだ振りをさせてもらえません。
まさか、外堀を埋めつつ、お邪魔虫を排除する作戦なんでしょうか。
でも大丈夫、僕には自己治癒という切り札がありますからね。
どんなに飲まされたところで、自己治癒魔術を発動させれば、酔いは醒めていきます。
てか、こんなの日本だったらアルハラですよ、アルハラ。
ただ、アルコール度数は高いけど、味も香りも抜群に美味いんですよ。
料理も美味しいし、いつもと違った環境で、お嫁さんたちと和やかに過ごす時間は貴重ですよね。
「唯香、バルシャニアの料理、美味しいでしょう」
「うん、色んな香辛料が使われているけど、ドぎつくないから食べやすい。日本人向きかも」
唯香の言う通り、バルシャニアの料理からは様々なスパイスが香り、エスニックな感じがするんですが、香りがマイルドなので食べやすいです。
料理については、セラフィマが解説してくれます。
「ケント様、バルシャニアには食べて病を治す料理法があるんですよ」
「バルシャニアでも薬膳という考え方があるんだね」
「はい、日本の薬膳と同じような考え方です」
「あれっ……それって、もしかしてボロフスカ発祥だったりする?」
「はい、その通りです」
麻薬の製造を行っていたボロフスカですが、薬膳料理のようにまともな薬草の使い方も考えているんですね。
今日の料理だけでなく、バルシャニアの宮廷料理には薬膳の考えが取り入れられているそうです。
ただ、中には少々効き目の強いものもあるそうで、妊娠中のマノンの側にはバルシャニアの女官が付き添っていて、避けた方が良い料理をアドバイスしてくれています。
お酒も飲めないし、料理にも制限が付くのはちょっとかわいそうですし、その原因を作ったのは僕なので、ちょっと申し訳ないです。
宴が始まってから一時間以上が経過しましたが、まだお酌に来る人の列は続いています。
三百人ともなれば当然ですが、今日は休みではなく平日です。
平日の昼間から、国の重要人物が揃って酔っぱらっていて大丈夫なんでしょうか。
まぁ、大丈夫だからこそ集まっているのでしょう。
僕の所へ挨拶に来てくれた方たちには、セラフィマ以外のお嫁さんを紹介しているのですが、やはりカミラが元リーゼンブルグの王女だと聞くと驚いていました。
「なんと、あのカミラ王女様でございますか」
「それでは、ケント殿はバルシャニアに加えて、リーゼンブルグも手中に収めてしまわれたのですね」
いやいや、僕は別にバルシャニアもリーゼンブルグも征服していないから。
そこのところは勘違いしないようにして下さいよ。
次々に挨拶に訪れる人から、お酌されるがままにお酒を飲み続けていますが、自己治癒の魔術を使っているので泥酔する心配はありません。
泥酔する心配は要らないのですが、高まってくる尿意には抗えません。
席を立ってトイレに向かうと、先に席を立ったグレゴリエさんの姿がありました。
会場を出るまでは、しっかりとした足取りで歩いていましたが、廊下へ出ると壁に手を添えてようやく体を支えている状態でした。
そういえば、飲んだ振りを封じられて、グイグイ飲まされていたなぁ。
バルシャニアって基本的に脳筋で、ノリが体育会系なんですよね。
皇帝たるもの酒も強くあらねばならん……みたいな考え方があるようですし、次期皇帝は色々大変ですね。
おぼつかない足取りでトイレに入ったグレゴリエさんは、個室にこもって胃の中のものを吐き出しているようです。
おぉ、そこまでして飲むか……飲まねばならないのか。
日本にいる父さんが話していた、昭和の頃の大学のコンパとか、会社の宴会とかを連想してしまいます。
治癒魔術で酔いを醒ましてあげようか考えましたが、こうした宴席はこれから何度もあるでしょうし、僕が参加できる訳でもありません。
次期皇帝としての試練……というか、アンジェお姉ちゃんに良い所見せようとしてるんじゃないだろうね。
そうだとしたら、このまま放置した方が良いですね。
僕が用を足し終えて手を洗っていると、個室から朦朧としたグレゴリエさんが出てきました。
「ケントか……俺よりも飲んでいたはずなのに、まったく、どんな内臓してるんだ」
「ちょっと飲みすぎじゃないですか?」
「皇帝になる男が、酌を断れるわけがなかろう」
「あんまり急激に酔っぱらうと死んじゃいますよ」
「そこまで軟弱ではないぞ」
「いやいや、酒が飲めない男は軟弱……みたいな考え方は改めた方が良いですよ。酒が強いとか弱いとかは生まれ持った体質にもよりますからね。飲めない人に飲めと強要して、死んでしまったら人材の損失ですよ」
「そうか……改める時が来たのかもしれんな」
グレゴリエさんは手洗い場で口をすすぐと、来た時よりはシッカリとした足取りで宴会場へと戻っていきました。
次期皇帝とか、現皇帝が酒の飲みすぎで急死……なんて事態になったら、バルシャニアは大混乱に陥るでしょう。
皇帝でなくとも、政治や経済、軍事の要人が急死すれば混乱は必至です。
これは、僕の口から言うよりも、セラフィマを通して意見した方が、すんなり宴会の形式とかを変えられそうですね。
それでも今日の時点では、旧態依然の宴会方式を乗り切らないと駄目そうですね。
まだ廊下ではフラフラしていたグレゴリエさんでしたが、会場に入った途端背筋を伸ばして、何事も無かったように自分の席へと戻ってゆき、お酌の応対を続けました。
大丈夫だとは思いますが、一応急性アルコール中毒への備えをしておきましょう。
一方、アンジェお姉ちゃんは、実に堂々とバルシャニアの重要人物たちと挨拶を交わし続けています。
ただ、いくら飲んだ振りだけであっても、これだけの人数の相手を続けるのは不安です。
「ねぇねぇ、リーチェ、アンジェお姉ちゃんって、お酒は強いの?」
「ケント様、愚問です。アンジェお姉ちゃんは枠です」
「えっ、枠?」
「はい、よく大酒飲みの人を笊って言いますよね?」
「うん、底が抜けて溜まらない、まったく酔わない……みたいな?」
「はい、お姉ちゃんは笊の目も無いぐらい素通りなので、枠です」
「おぉぉ……そうなんだ」
「一度、父と飲み比べしたことがあるのですが、父が酔い潰れても、お姉ちゃんはほろ酔い程度でした」
バルシャニアの宴会方式では、アンジェお姉ちゃんが苦労するのではないかと心配しましたが、どうやら全くの杞憂だったようです。
「あれっ、でもアンジェお姉ちゃん、飲んだ振りしてるよね?」
「ケント様の国では、猫を被るって言うのですよね? たぶん、ネロぐらい大きな猫をかぶっているのかと……」
「なるほど……」
あれっ、という事は、意外とアンジェお姉ちゃんは縁談に乗り気だったりするのかな。