バルシャニア訪問(前編)
いよいよ、アンジェお姉ちゃんのバルシャニア訪問、兼僕らの新婚旅行当日がやってまいりました。
ヴェリンダの不全流産の一件で、マノンが精神的に不安定にならないか不安でしたが、僕がヴォルザードに来たばかりの頃のマノンとは違い、精神的に強くなっていました。
診療所では、手当の甲斐なく命を落とす人もいるし、流産してしまう人もいるので、その度にショックを受けている訳にはいかないそうです。
それに、マノンは毎日唯香の検診を受けているそうですし、僕も夜を共にする時には異常が無いか確かめています。
それでも無理をしていないか、よく確認した上で、予定通りにバルシャニアを訪問することとなりました。
診療所には、唯香とマノン以外の治癒士もいますし、大きな事故があって怪我人が大勢出た場合などは、すぐに僕が戻って対応する予定です。
まぁ、そのような事態が起こらないことを祈りましょう。
「では、みんな用意は良いかな?」
バルシャニアまでは、我が家の庭から送還術を使って飛びます。
帝都グリャーエフの宮殿の中庭では、マルト、ミルト、ムルト、そしてバルルトが目印役を務めてくれています。
「ではでは、送還!」
送還術を発動すると、目の前の光景が一瞬で変化して、壮麗な宮殿をバックに皇帝一家が出迎えてくれました。
「バルシャニアに、ようこそ!」
「唐突な訪問をお許しいいただき、感謝申し上げます」
歓迎の意を表したコンスタンさんに、今回のメインゲストであるアンジェお姉ちゃんが代表して挨拶しました。
「なんのなんの、ヴォルザードからの客ならば、いつでも歓迎する。我が家だと思って、ゆっくりされていくと良い」
「ありがとうございます」
えぇぇぇ……僕が訪れた時には、不機嫌そうな顔をすることもあるのに、扱いが違い過ぎないかなぁ。
コンスタンさんが挨拶を終えると、今度はグレゴリエさんがアンジェお姉ちゃんに歩み寄りました。
「ようこそ、アンジェリーナ嬢。お会いできて光栄です」
グレゴリエさんは片膝をつき、アンジェお姉ちゃんの右手の甲にキスをしました。
なんだか、すっごいキザったらしいんですけどぉ!
「ねぇ、セラ。あれがバルシャニア貴族の挨拶の仕方なの?」
「いいえ、あれは地球の挨拶の仕方ですよね」
「えっ、まぁ西洋風の挨拶の仕方だけど、なんでグレゴリエさんが知ってるの?」
「意中の女性を出迎えるのに相応しい挨拶の仕方は無いかと、バルルトに尋ねたそうですよ」
「てことは、バルルトが教えたってこと?」
「はい、なんでも、悪役令嬢ものの漫画に描かれていたとか……」
西洋風の挨拶は良いとして、凄いところから引っ張ってきたもんだな。
てか、アンジェお姉ちゃんの気を引くために、そこまでやるとは……。
この後、中庭から宮殿の中へと場所を移して、改めて顔合わせとなったのですが、その移動の際もグレゴリエさんがアンジェお姉ちゃんの手を取ってエスコートしました。
うーん……なんと言うか、長身でマッチョでイケメンだし、アンジェお姉ちゃんと並ぶと絵になるんですよねぇ。
僕がアンジェお姉ちゃんと並んでも、弟と姉にしか見えないのに……なんかモヤモヤしますねぇ。
まぁ、僕はセラをエスコートして……と思いきや、素早く歩み寄ってきたコンスタンさんにエスコート役を奪われてしまいました。
まったく親バカなんだから……まぁ、たまにしか会えないのだから、今日のところは譲っておきましょう。
苦笑いを浮かべながら、コンスタンさんとセラフィマを見送っていると、同じく苦笑いを浮かべた皇妃リサヴェータさんが歩み寄ってきました。
「すいませんね。馬鹿親で……」
「いえいえ、久々の親子の再会ですから、仕方ありませんよ」
「実際に顔を会わすのは久しぶりですが、タブレットと言うのですか? あれで互いの顔を見ながら話はしてますよ」
「へっ? そうなんですか?」
「はい、バルルトが持ってきて、何やら操作してくれてます」
なんだか、僕の知らないところで、コボルト隊のIT化が進められているようです。
ていうか、タブレット同士を繋ぐって、ネットの回線とかどうしてるんでしょうかね。
携帯電話会社のシムが入ってるのか、それともwifiで繋いでるのか……どうやれば効率よく繋がるのか僕も分からないんですけど……。
そのうち、コボルト隊に教えを請わなきゃいけなくなりそうですね。
リサヴェータさんに促されて、僕らも宮殿の中へと移動することになったのですが、カミラは宮殿を仰ぎ見たまま動こうとしませんでした。
「カミラ、どうかしたの?」
「あっ……はい、自分がバルシャニアに居るのだと思ったら、感無量で……」
言われてみれば、カミラの故郷リーゼンブルグとバルシャニアは、ついこのあいだまで敵対関係にありました。
セラフィマが僕のところにお嫁に来た時には、バルシャニアの皇女がリーゼンブルグを訪れるということで歴史的な大騒ぎになっていました。
よく考えてみれば、今は王室を離れているけれど、元リーゼンブルグの王女であるカミラがバルシャニアの帝都を訪れることは歴史的な出来事なんだよね。
本当だったら、盛大な歓迎式典とか行われても不思議じゃないけど、僕のお嫁さんになってしまったから脇役待遇になってしまって、ちょっと申し訳ない気分になりました。
「そういえば、今日はリーゼンブルグの衣装なんだね」
「はい、両国が友好関係を樹立できた今だからこそ、リーゼンブルグの衣装でバルシャニアを訪れてみたいと思ったのです」
「そうなんだ……うん、とても綺麗だよ」
「ありがとうございます」
「ケント様、カミラさん、行きますよ」
僕とカミラが遅れているのに気付いたベアトリーチェが、僕らを連れに戻ってきました。
そう言えば、リーチェだってヴォルザードの領主の娘なんだから、歓迎の式典が開かれたっておかしくない存在なんだよね。
僕が堅苦しいのは苦手だから、こうして気軽な感じで出迎えてもらっているけど、ちゃんとしてもらった方がよかったのかなぁ。
一応、アンジェお姉ちゃんの付き添いなので、新年の宴の時に誂えてもらったバルシャニアの衣装を着ていますけど、そこまでする必要は無かったかな。
『ケント様、お覚悟を……』
「へ? 覚悟?」
すっかり気を抜いて宮殿に足を踏み入れたのですが、不意に頭の中にフレッドの声が響いてきました。
『体制派の貴族が顔を揃えている……』
「マジ?」
『マジ……』
宮殿に入ると、先に進んでいたコンスタンさん達が待っていて、ここでエスコートするパートナーが変更になりました。
コンスタンさんはリサヴェータさんと、グレゴリエさんはアンジェお姉ちゃん、僕はセラフィマのエスコートを頼まれました。
今更ながらに思い出しましたが、ここって新年の宴をやった場所ですよね。
円形のドーム状の会場には、今日も三百人を越えるバルシャニアの貴族や要人が集まっています。
宮殿の中で改めて顔合わせって、こうきたかぁ……。
新年の宴では、僕とセラフィマが真ん中でしたが、今日はグレゴリエさんとアンジェお姉ちゃんが中央です。
「皆の者、待たせたな。今日の客人を紹介しよう。我が息子グレゴリエの隣にいる女性は、ギガース殺しの勇者ケント・コクブが暮らす、ランズヘルト共和国ヴォルザードの領主、クラウス・ヴォルザードの長女、アンジェリーナ嬢だ」
「おぉぉぉぉ……」
これはもう、完全に外堀を埋めてしまう作戦のようですね。
まさか、媚薬の効果がある華酒とか、出て来ないでしょうね。
もしもの時のために、治癒魔術を使う準備をしておきましょう。