暗躍がもたらしたもの
バルシャニアの反体制派部族ボロフスカの現当主ツィリルは、予定していた視察を取り止めにして、城で起こった事態の報告を受けています。
「それでは、何人の囚人が逃げ出したのかも分からんのか?」
「はい、逃げたという証言は得られましたが、なぜ、どのようにして逃げたのかが不明です」
秘密の地下施設に囚われていた人々は、施設を水没させる直前に脱出しました。
直後に僕が川底の地下を通る通路を破壊して水没させたので、フレッドが切断した鉄格子も水の底に沈んで確認できない状態です。
そのため、何人の囚人が逃げ出したのかも確認ができないようです。
「あの土砂の山は何だ、地下への階段は誰が作った」
「それも不明です。目撃した者の話では、いきなり土の山が降ってきたそうです」
「強力な土属性魔術の使い手の仕業か」
「おそらくは……」
秘密の地下施設の上、地上の訓練場を統括していたらしい責任者は、岩山をくり貫いて作られた城の上部、当主の執務室まで呼び出されて汗だくで説明をしています。
話を聞いた限りでは、この責任者は秘密の地下施設について殆ど知らされていなかったようで、いきなり土の山が出来た事よりも、そちらに驚いているようです。
詳細を知らされていなかったために、僕らが逃亡させた囚人も一体何の罪で囚われていたのか、どんな服装だったのかすら知らされておらず、追跡もままならないようです。
この責任者にとっては、とんだとばっちり、晴天の霹靂でしょう。
「もう良い、さがれ!」
「はっ!」
責任者の男は、深々と頭を下げた後で執務室を出ると、ふーっと大きく息を吐いた。
うん、お疲れ様でした。
一方、執務室に残ったツィリルは、腕組みをして考えに沈んでいます。
机の上には、さきほどの責任者が持ってきた報告書が置かれていますが、ツィリルの視線は報告書ではなく、そこに書かれていない真実を求めて彷徨っているようにも見えます。
「親父殿、あからさまにやりすぎたのではないのか?」
話し掛けたのは、ツィリルの息子イグナーツです。
「リフォロスとの婚姻の件か?」
「リーゼンブルグへの侵攻に失敗した、ギガースへの対処に失敗し騎士団が弱った、それでは婚姻は取り止めるでは、内乱を起こす気満々だと取られても仕方あるまい」
「ふん、我らボロフスカは利のためにリフォロスと組んでいるが、家来になったつもりなど毛頭無い。いつでも戦をする支度は出来ていることは、奴らも承知の上だ」
確かに、バルシャニアの現皇帝であるコンスタンさんも、その息子であるグレゴリエさんも、ボロフスカが何時内乱を起こしてもおかしくないと承知していました。
「それは親父殿の申す通りだろうが、婚姻の取りやめはあからさますぎた」
「では、内乱を起こす相手にサラヴェナをくれてやれとでも言うのか?」
「その通りだ」
「何だと、貴様!」
「まぁ待て、親父殿」
顔を赤らめて腰を浮かしかけたツィリルをイグナーツは落ち着いた様子で制しました。
「実際に輿入れをしなくとも、その交渉のための使節を向かわせれば、リフォロスの内情をもっと正確に掴めていたのではないのか?」
「それは……そうかもしれぬが……」
「それに、婚姻を進める振りをしていれば、我々が内乱を起こす可能性は低いと油断していたかもしれぬ」
「むぅ、そうだな……」
少々神経質に見えるツィリルよりも、ただの女好きかと思っていたイグナーツの方が器が大きいように感じます。
『このイグナーツという男は、一角の人物になりそうですな』
「そうだね、かなり冷静に物事を見ているよね」
今のボロフスカは与しやすい感じがしますが、イグナーツが当主となったら手強い存在になりそうな気がします。
「親父殿、これからどうされるつもりだ?」
「どうするだと、まさかリフォロスとの婚姻を改めて進めろと言うのではあるまいな」
「それは無理だろう。こちらから婚約を破棄するような真似をしておいて、やっぱり嫁に貰ってくれでは、サラヴェナは正室として扱われなくなるだろう」
「そんな事が許されるか!」
「分かっている。親父殿だけでなく、部族の皆も納得しないだろう」
ツィリルが激高する度に、まぁまぁとイグナーツが宥めていて、これではどちらが親か分かりませんね。
「では、どうするつもりだ」
「暫くは、静観するしかないでしょう」
「静観だと? これほどコケにされて何もするなと言うのか!」
「親父殿、証拠が無い」
「そんなもの必要無い! リフォロスの仕業に決まっている!」
「俺もそう思う。思うが、一連の事例をリフォロスの連中がどうやって実行したのかが分からないどころか、工作を行った人物の影すら見つからない」
「だから何だ!」
「このままでは、寝首を掻かれかねませぬぞ」
「何ぃ……」
ツィリルは再び腰を浮かしかけましたが、急に押し黙るとキョロキョロと部屋の中を見回し始めました。
「間者が潜んでいるとでも言うのか?」
「親父殿は潜んでいないとでも思っておられるのか?」
「馬鹿な……この城にはボロフスカ以外の者など入り込めん」
「そう思い込んでいるのではないのか……親父殿」
ツィリルはイグナーツの顔をまじまじと見詰めた後で、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「親父殿、近頃のボロフスカは弛んでます。これだけの事をされても影すら踏めぬ有様が、ボロフスカの凋落を物語ってます」
「どうしろと言うのだ」
「それを考えるのが親父殿の仕事でしょう。ただ、号令一つで改善されるほど容易くは無いのは間違いないでしょうな」
イグナーツの言葉を聞いたツィリルは、思いっきり顔を顰めてみせた。
今のツィリルは、傾きかけた親族企業を引き継いで、従来のやり方を続けているワンマン社長という感じでしょうか。
仕事は頑張っているように見えますが、業績が悪化しているにも関わらず、それまでと同じやり方を続けているから状況は悪くなる一方なのでしょう。
「イグナーツ、お前なら何から手を付ける」
「まずは軍の再編でしょう。今のままではボロフスカが攻め込まれる側になりますぞ」
「そうか、そうだな……」
ツィリルは言葉を切ると、じっとイグナーツの顔を無言で見詰めてから、おもむろに口を開きました。
「イグナーツ、軍の再編はお前に任せる」
「私の好きにして宜しいのですか?」
「好きにしろ……と言いたいところだが、まずは腹案を示せ。ワシを納得させてから着手しろ」
「親父殿を納得させられないようでは、他の者もついて来ないという事ですな」
「そうだが……ワシも腹を括る。リフォロスなんぞに舐められたままでいられるか」
ツィリルはイグナーツを部屋から追い出すと、軍事以外の改革案を作り始めました。
「うーん……何て言うか、内乱の危機は去った気がするけど、ボロフスカが手強くなっちゃった気がするんだけど」
『左様ですな。むしろ我々が手出しをせず、ボロフスカが内乱に踏み切ったところで叩き潰した方が良かったかもしれませんな』
「だよねぇ……ボロフスカが今の体制を改めて、腐敗や汚職が一掃されたら、手強くなるよね」
『なるでしょうな。ですが、部族の運営が健全化されて、民が潤うならば良いのではありませぬか』
「まぁ、それは確かにそうだね」
ラインハルト達が調べたところでは、ボロフスカの税率は結構高めだそうで、民衆の幸福度は高くないようです。
『ボロフスカが体制を立て直すうちに、コンスタン殿の方も立て直しを進め、バルシャニア全体が豊かになれば、内乱など起こす気にはならないでしょう』
「そうか、バルシャニア……というか、リフォロスが手強くなれば内乱を仕掛けるのを戸惑うし、ボロフスカが豊かになれば内乱を起こす理由が無くなるのか」
これこそが、北風と太陽の正しい形のような気がします。
とりあえず、僕らの暗躍の結果を報告しに行きますかね。