冒険者殺し(後編)
カルツさんとバートさんは、守備隊の門を出ると真っ直ぐにミゼリーの家を目指して歩き始めました。
街の人々は、制服姿のカルツさんを見掛けると、気さくに声を掛けたり挨拶をしてきます。
「こんちは、カルツさん。朝晩は冷えるようになったね」
「あぁ、風邪引かないように気をつけてくれよ」
「カルツさん、今日もご苦労様」
「おばちゃんも毎日ご苦労だね」
カルツさんに声を掛けてくる人達は、みんな笑顔を浮かべていて、そこは平和な空気に包まれています。
『カルツ殿は、いずれヴォルザード守備隊を預かる人物になるでしょうな』
「うん、僕もそう思う」
ラインハルトの意見には、僕も全面的に賛成です。
僕が初めてヴォルザードに来た時にお世話になったからではなく、ヴォルザードに居を構えて暮らしていく中で実感しています。
腕力や権力に物を言わせるのではなく、誠実な人柄と守備隊員としての真摯な活動が街の人達から信頼されているのです。
ヴォルザードのどこに行っても、殆どの場所や人からカルツさんは笑顔で迎えられます。
逆に、カルツさんに敵意を向けたり、視線を逸らして身を隠すような人物は、後ろめたい思いを抱えている者達です。
大通りから倉庫街に近い路地に入ると、そうした者達の姿をチラホラと見掛けるようになりました。
向こうから歩いてきた若者が、そそくさと別の路地へと曲がっていきましたが、カルツさん達は苦笑いを浮かべたものの追い掛けて捕らえようとはしません。
何か後ろめたい事があるのでしょうが、日本でいうなら学校をサボっている学生とか喫煙している未成年ぐらいの感じなのでしょう。
深く追及すれば軽微な法律違反はしているのかもしれませんが、ミゼリーの家に向かうことよりも重要ではないと判断したのでしょう。
「隊長、どう話を切り出すんですか?」
「どうしたもんかな。色々と考えてはいるのだが、結局はいつも通りにやるしかないだろう。変に策を弄すれば、相手の信頼を失うだけだ」
「そうっすね」
なにかと小細工をしたがる僕には耳の痛い言葉ですが、まさにカルツさんの強みは誠実に真っ直ぐに切り込んでいくところにあります。
ただ、それは同時に道を誤ってしまった者にとっては、眩しく、妬ましいとさえ思えてしまうのではないでしょうか。
ミゼリーの家の近くまで来た時、不意にカルツさんが足を止めました。
まさに、今から訪ねようとしている家のドアが開き、腰の曲がった老婆の振りをしたミゼリーが姿を現したからです。
ミゼリーは家の扉に鍵を掛けると、杖を突きながらカルツさん達に背中を向けて歩き出しました。
「隊長、あの女じゃないんですか?」
「そうだが……少し様子を見てみよう」
守備隊の制服姿の二人は、誰かを尾行するには全く適していませんが、ミゼリーは人通りの少ない道を選んで歩いていくので、どうにか気付かれずに済んでいるようです。
「あれっ、歓楽街の方向じゃないっすね」
「たぶん、墓地じゃないか?」
カルツさんの予想は当たっていて、ミゼリーが向かった先はヴォルザードの共同墓地でした。
ヴォルザードでの死者の弔い方は、土葬ではなく火葬です。
魔の森に接するヴォルザードでは、土葬すると魔物が墓を荒らす可能性がありますし、アンデッドとなって人を襲う可能性もあります。
なので、遺体は荼毘に付した後、遺骨は骨壺に収めて、共同の納骨堂へと納められます。
墓地に着いたミゼリーは周囲の掃除をした後で、納骨堂の中に跪いて祈りを捧げ始めました。
「二人のような、私みたいな不幸な人が増えないように殺し続けてやる……。例え、この身がどうなろうとも……一人でも多くの非道な冒険者を殺してやる……」
呪いのような祈りの言葉が聞こえているか分かりませんが、カルツさんとバートさんは納骨堂の外でミゼリーが出てくるのを待ち続けていました。
長い祈りを捧げた後、納骨堂を出たミゼリーはカルツとバートの姿を見て、慌てて伸ばしていた腰を曲げた。
「ミゼリーだな、守備隊のカルツだ。事件の目撃者を探しているのだが、少し話を聞かせてもらえるか?」
ミゼリーは少し迷ってたようですが、やがて無言で頷いてみせました。
どんよりとした空からポツポツと雨が降り始めたので、空を見上げたカルツさんはミゼリーに納骨堂へ戻るように促しました。
遺骨は地下に納められるので、納骨堂の中には祭壇があるだけです。
魔石を使った小さな常夜灯があるだけで薄暗く、ちょっと不気味な雰囲気がします。
まぁ、影の空間にいる僕の隣にはスケルトンがいるんですけどね。
納骨堂に入ったカルツさんは、話を切り出す前に祭壇に向かって祈りを捧げました。
それは格好だけの祈りではなく、真摯に死者を悼む祈りに見えました。
「旦那さんと娘さんに祈ってたのか?」
「どうして……」
ミゼリーは、はっとしたように目を見開いてカルツさんを見詰めました。
「もう十五年か、俺が守備隊員として駆け出しの頃に関わった事件だから覚えているよ。あれは酷い事件だった」
「そんな話を聞きに来たんですか?」
カルツさんを見詰めるミゼリーの視線には、疑念や悔恨、怨嗟といった負の感情が複雑に込められているように見えます。
「いや、そうじゃない。話を聞きたいのは、最近起こっている殺人事件についてだ」
「最近の事件なんて、私には関係ありませんよ」
「事件が起こった夜、犯行が行われたと思われる時間に、現場近くで君に似た風体の人を見かけたという話を聞いたんだ」
「私を疑ってるんですか?」
「そうじゃない、本当に現場近くに居たのなら、何か見たり聞いたりしていないか思い出してもらいたいのだ」
カルツさんが、二件目の事件が起こった日付を告げると、ミゼリーは少し考えを巡らせた後で口を開きました。
「その晩は、仕事帰りに片腕の狼人に突き飛ばされたわ。恐ろしくて、急いでその場から離れたけど、それ以外は知らない……そいつが犯人じゃないの?」
「突き飛ばされた時に、怪我はしなかったか?」
「よろけて転んだだけだから、特には……」
「そうか、では三件目の事件が起こった日はどうだ?」
「そっちは、私の家とは逆方向だから知らないわ」
「では、一件目の事件はどうだ?」
「そんな前のことまでは覚えていないわ」
ミゼリーはカルツさんの質問に、淡々と答えています。
カルツさんは次の質問を迷ったのか、ちょっと間が空いたところで、ミゼリーが納骨堂の入り口の方へと視線を向けて切り出しました。
「他に質問が無いなら、そろそろ……」
「ミゼリー、なぜ昨晩、酔っぱらった冒険者を誘惑するような真似をしたんだ?」
「なっ、何の話……」
「外套を脱ぎ、曲げていた腰を伸ばし、体を寄せたそうだな」
「やっぱり私を疑ってるんじゃない!」
「そうじゃない、これは黒っぽい外套を着た女を探す過程で得た情報だ。ただ、ここまで話を聞いて、疑念を抱いているのは確かだ」
祭壇を背にして立つカルツさんと、二メートルほどの距離で向かい合っているミゼリーは、また納骨堂の入り口へチラリと視線を向けました。
走って逃げたところでカルツさんから逃げられるとは思いませんが、そもそも納骨堂の入り口ではバートさんが退路を断っています。
「二件目の事件の日付を告げただけで、片腕の男とぶつかったのを思い出し、数日しか違わない一件目の日の事は覚えていない。三件目の事件は、場所も告げていないのに、帰り道とは逆方向だと……」
「それは、噂で冒険者殺しがどこで起きたか聞いていたから」
「そうか、俺は殺人事件について話を聞きたいと言ったが、冒険者殺しについて聞きたいとは言ってないぞ。冒険者殺し以外でも、殺人事件は起こっている」
「それは、話の流れで私が勝手に思い込んでしまっただけで……」
「なぁ、ミゼリー、俺は冒険者を殺した犯人が憎いんじゃなくて、これ以上、君に罪を重ねてもらいたくないんだ」
カルツさんが言葉を切ると、納骨堂に重たい沈黙が訪れました。
ミゼリーはカルツさんを睨みつけ、固く握られた拳はワナワナと震えています。
「暴力を使って、好き勝手するようなクズは死ねばいいのよ」
「女を襲うクズか、そうでないか見極めるために誘惑したのか?」
「だからなに? 私が殺したという証拠があるの?」
「襲われたら、どうするつもりだったんだ」
「ちゃんと言葉では拒否したわ。でも抵抗はしない。抵抗すれば、こうなるって分かってるからね」
ミゼリーは被っていたスカーフを取り、俯きがちに隠していた顔をさらしました。
鼻筋が曲がり、左の頬骨が落ち込み、顎がズレて歪んで見える顔が、薄暗い常夜灯の明かりのせいで一層凄惨に見えてしまいます。
「襲わせたのか、何てことを……そんな事をして旦那が喜ぶと……」
「うるさい! もっと守備隊がクズな冒険者を取り締まってくれれば、旦那も娘もあんな事にならなかったのよ! クズな冒険者なんか、みんな死んでしまえばいいのよ!」
ミゼリーは、髪を振り乱して叫びました。
「被害者の立場からすれば、我々守備隊の仕事ぶりに不満があるのは理解している。それでも、十五年前に比べれば被害者への賠償額は五倍以上に引き上げられているし、ギルドでの処分も厳格化されている。冒険者には過ちを犯す前に娼館を利用しろと指導もしている」
「それなら、何で私は襲われたのよ!」
「それは誘惑したからじゃないのか?」
「そんな事はないわ。一人目は路地でもつれ合って倒れただけで襲ってきたわ! 昔の記憶が蘇って、叫ぶことすら出来なかった私を嬉々として犯したのよ! 小雨が降る裏路地で、怯えながら汚される……どれほど惨めか、男の貴方には分からないでしょう!」
叫び終えたミゼリーは肩で息をするほど呼吸を荒げ、いつの間にか強くなった雨の音が納骨堂に響いています。
「だったら、なんで誘惑したんだ」
「体を寄せたのは昨日が初めてよ。二人目も三人目も路地に座り込んでいたから、外套をはだけて大丈夫かと声を掛けただけよ。胸が膨らんでいて、声が女というだけで襲う……そんな連中、死んで当然でしょ」
「駄目だ……」
「やっぱりだ、結局守備隊は冒険者の味方をするのね」
「違う! 君は、もっと自分を大切にしなきゃいけない。路地で寝込んでいる奴らなんか放っておけ。近付くな。そもそも、夜中に出歩かなきゃいけない仕事なんて辞めるべきだ」
「何を言ってるの? 裸で尻を振ってるならともかく、普通の格好で親切に声を掛けただけで襲われるなんて異常でしょ」
「その通りだ、襲う連中が悪い。だが、襲われる可能性が高いと分かっているなら、回避するように対策を講じるべきだ。今の君は、自分から襲われるように仕向けている。それは死なないだけで、自殺と一緒だ。相手を殺す言い訳をしているだけだ」
確かに、誘惑してレイプされるのはクズを利用した自傷行為、そのクズを殺すのは処刑されて死ぬ自殺の準備とも言えます。
ミゼリーは無敵の人というよりも、復讐心と自殺願望が入り混じった人物のようです。
「何になるの? 私が私を大切にして、何になるって言うのよ。こんな顔の女、生きてる価値無いわよ!」
「確かに、世の中の男の多くは女性の外見を気にする。恋愛や結婚相手としては美人が選ばれる方が多い。だが、仕事の同僚や近所に暮らす人として拒絶され続けてきたかい? 君の境遇を理解しようと試みてくれる人は一人もいなかったかい?」
「それは……」
「自分なんか……と言って、周りの人からの善意を拒絶していたんじゃないか?」
カルツさんの問い掛けに、ミゼリーは黙り込んで考えを巡らせているようです。
まだヴォルザードで暮らした期間は長くない僕ですが、街の人達の多くは互いを気遣い、支え合って生きていると感じています。
きっとミゼリーにも、手を差し伸べてくれた人がいたのでしょう。
「そ、そんな事を言われても……もう手遅れよ」
「ミゼリー、当たり前の日々を過ごしていると、自分が自分の生き方を選んでいる事を意識しなくなってしまうけど、人間はどう生きるのか、毎日自分で決断しながら生きている。それは、命を終える瞬間まで続いていくんだ」
悄然と肩を落としたミゼリーは、黙ってカルツさんの言葉に耳を傾けています。
「俺は守備隊の隊長なんて役割を与えられているが、その役目に相応しい生き方ができていると断言するだけの自信はない。自信はないが、守備隊長として恥ずかしくないように、街の人達に胸を張れるような生き方がしたいと思っている。ミゼリー、君は亡くなった旦那さんや娘さんに胸を張れる生き方ができているかい?」
カルツさんはミゼリーの肩をポンと叩くと、バートさんを促して納骨堂の外へと出て行きました。
先程までの雨は通り雨だったようで、今は雲の間から日が差しています。
納骨堂に一人残されたミゼリーは、祭壇の前で長い祈りを捧げていました。
逮捕ではなく監視下に置かれたミゼリーは、翌日綺麗に身支度を整え、胸を張って守備隊に出頭して全ての罪を認めたそうです。