カルツの奮闘
冒険者殺しの犯人を追って、カルツ達は捜査を続けていたが、有力な情報を得られずにいた。
怪しいと噂された片腕の狼獣人、ギリクへの疑いは晴れたとカルツは考えているが、やったという証拠が無いのと同様に、やっていないアリバイも証明出来ていない。
そのため、二件目の被害者フランツの友人や知人の中には、ギリクへの疑いを捨て切れず、隠そうともしない者達が少なからず居た。
守備隊からは、私闘や私刑は容認しないし、処罰の対象となると釘を刺してあるが、このまま捜査が進展しなければ、いつまで抑えておけるか疑わしい状況だ。
「バート、例のギリクが見掛けたという女の情報は無いのか?」
「隊長、歓楽街で働く女がどれだけ居ると思ってるんですか。そりゃあ、娼館で働く女などは夜が明けてから家に戻ったりしますが、夜中に家に戻る者も少なくないんですよ」
「それは分かってるが、現状では他に有力な線が見当たらないからな」
カルツ達が頭を痛めているのは、有力な情報が少ないこともあるのだが、そもそも市民が余り協力的ではないのだ。
冒険者という存在は、少年少女が憧れる存在であると同時に、生死については自己責任という考えが市民にも知れ渡っているのだ。
それに、全ての冒険者が憧れられる存在という訳ではなく、一部の者達は嫌われ者でもある。
魔物と勇敢に戦い、時には街を守り、貴重な素材を手に入れて大金を稼ぐ者も居るが、一方で、己の力を見せつけて弱いものをいたぶる者もいるからだ。
殺された三人は素行が良くなかったようで、近所で暮らす者からの評判は余り芳しくなかった。
守備隊の聞き取りに答えた者の中には、殺されたのは自業自得だと周囲を憚らず口にする者すらいた。
それならば同業者である冒険者は、ギリクのように何かを見聞きしているかもしれないと聞き込みをしたが、そもそも冒険者は他の冒険者に対して関心が薄い。
生きるも死ぬも自己責任の彼らは、事件に興味を持って噂話に興じたりはするが、関心は自分に危害が及ぶか否かだ。
余程親しくしていた仲間でもなければ、自分達で犯人を捜そうなどという熱意は無い。
二度目の事件で殺されたフランツの仲間たちも、ギリクが犯人ではないかと噂はすれども、真犯人が誰かについては殆ど興味を持っていないようだ。
一時期はギルドの訓練場で睨みを利かせていたギリクが、反撃できないほどに落ちぶれたから、袋叩きにすれば面白そうだ……程度にしか思っていないのだ。
守備隊も夜間の巡回を増やすなどの措置は取ったが、新たな事件が起こらなければ、捜査を進めるための材料も得られない。
新たな事件が起こっていないのは。守備隊の巡回が増えたからかもしれないが、これまでよりも業務が増えれば、当然隊員たちの負担が増える。
それこそ、そこまでして冒険者を守る必要があるのかと、疑問を抱いている守備隊員も居るようだ。
「今夜は俺も見回りに参加してみるか」
「隊長、その見回りなんですけど、制服じゃなく冒険者風の格好でやるのはどうですか?」
「そうか、俺達自身が囮になるんだな?」
「そうです。制服を着た守備隊員が歩き回っていたら、犯人は尻尾を出さないでしょう」
「確かに、その通りだな。よし、試してみるか……」
カルツは、守備隊の総隊長であり領主の夫人でもあるマリアンヌに許可を貰い、この日の晩から巡回する隊員達に冒険者風の変装をするように通達を出した。
そして、カルツ自身も巡回に加わることにした。
夕方までの通常任務を終えた後、一旦家に戻って休息を取った後、歓楽街周辺の巡回へ向かうことにした。
「それじゃあ、行ってくるよメリーヌ」
「行ってらっしゃい、気を付けて」
「鍵は持ったから、俺が出たらシッカリ鍵を掛けるんだぞ」
「はい」
食堂の営業を終えた妻メリーヌに見送られ、明かりの魔道具を手にしたカルツは大股で街を歩き始めた。
「今夜はギリクが歩いたであろう場所を重点的に回ってみるか……」
歓楽街が近づくほどに街の明かりが増えて、手持ちの魔道具は必要なくなった。
どこからか聞こえてくる弦楽器の音色や酔っ払いの笑い声、道にまで漂ってくる様々な料理や酒、タバコの匂い。
これから日付が変わるぐらいまでが、歓楽街が一番賑わう時間帯だ。
歓楽街が明かりに包まれる一方で、路地を一本入ると急に薄暗くなる。
明かりは灯されてはいるが、表通りのような光量はない。
表通りが昼間のような明るさだとしたら、裏路地はかろうじて手元が見える程度の明るさしかないが、そんなところでも商売は行われている。
年齢を重ねたり、あるいは病を患ったりして、高級な店では働けなくなった娼婦や、怪しげなタバコやポーションを売る者。
独特なタバコや化粧の香りが沈殿するように漂う路地に、カルツが足を踏み入れると、それまで開け放たれていたドアや窓が閉められ、通りに屯していた男女も姿を消した。
「なぜだ……今夜は制服ではないのに」
怪訝な表情を浮かべつつ、カルツが歩みを進めるごとに路地から人が消え、ドアが閉まり、窓が閉ざされる。
カルツは冒険者になりきっているつもりだが、守備隊長として顔を知られているし、体に染みついた背筋がピンと伸びた姿勢は隠しようがない。
冒険者に扮した守備隊員が現れれば、裏社会に生きる者達は、たとえ疚しい事情が無くとも反射的に警戒するものだ。
気付いていないのは、カルツだけなのだ。
その後、別の路地でも同じような状況に遭遇し、カルツは歓楽街の中は諦めて、更に離れた辺りを見て回ることにした。
夜が更けていくほどに、歓楽街の方から千鳥足で歩いてくる者が増えてきた。
酔っ払いは全員が冒険者という訳ではなく、商人や職人らしい男や、中には派手な服装の女性もいる。
こうした者達は、守備隊が探している犯人でもなければ、ギリクが目撃した女性でもない。
あるいは、事件当日に何かを目撃した者も居るかもしれないが、酒に酔っている状態では話を聞くのは難しいだろう。
「これは、思っていたよりも難航しそうだな……」
カルツが巡回を切り上げるタイミングを見計らい始めた頃、通りの先に見覚えのあるシルエットを見つけた。
「ギリク、何してるんだ、こんな所で」
「うぇ……あぁ、カルツさんか、例の女が居ないかと思って……」
深夜の通りを歩いていたギリクからは、酒の匂いは漂ってこなかった。
「犯人を捕まえる気か?」
「あぁ、あいつら、まるで俺がやったみたいに言いやがって……」
よく見ると、ギリクの右の頬は殴られたらしく腫れていた。
どうやらフランツの仲間に絡まれたようだ。
「気持ちは分かるが、ギリクが今夜のように出歩いていると、次の事件が起こった時にマズい状況になりかねない」
「なんだよ、カルツさんまで疑ってんのか?」
「そうじゃない、ギリクじゃないと思っているからこそ、疑いを掛けられるような行動は控えてほしいんだ」
「いつになったら捕まえられんだよ。いつまで、あの連中に好き勝手言われなきゃいけねぇんだよ!」
「すまん。いつまでかは答えられんが、俺からも再度釘を刺しておく。だから、今は耐えてくれ」
「くそっ……大人しくしてればいいんだろ」
カルツは憤懣やるかたなしといった様子のギリクを倉庫街の近くまで送り、少し考えた後でもう一周だけ歓楽街の周りを巡回して帰ることにした。
歩みを進めるごとに、犯人に対する怒りが沸々と湧き上がってくる。
それは同時に、ふがいない自分への怒りでもあった。
「何とか……何とかしないと……」
どこかに突破口が転がっていないかと、鬱々とした思いを抱えながらカルツが歩いていると、歓楽街の方から小さな影が近付いてくるのが見えた。
最初は子供かと思ったのだが、近くまで来ると腰の曲がった老婆だと気付いた。
黒い外套を着て杖をつき、俯きがちに歩いてくる。
「婆さん、こんな時間にどこに行くんだ?」
「家へ帰りますじゃ……」
皺枯れた声で返事をしてきた老婆に、カルツは違和感のようなものを覚えた。
「送って行こうか?」
「とんでもねぇ……結構だ」
警戒するような老婆の様子を見て、カルツは自分が制服姿でないのを思い出して苦笑いを浮かべた。
「そうか……気を付けていきなよ」
「どうも……」
片足を引きずるように歩いてゆく老婆を見送りながら、カルツは違和感を消せずにいた。
「うーん……何だ、何に引っかかっている。老婆が夜中に一人歩きしているのは珍しいが、違和感を覚えたのはそこではない。何だ……?」
結局、自宅に着くまでカルツは考え続けたが、違和感の正体には気付けなかった。