マノンのご褒美とリベンジマッチ
頬を赤らめ膨れっ面をして、ちょっと涙目で睨んでくる……何でしょう、この可愛らしい生き物は。
桜色の唇を尖がらせて、チューですか? マノンちゃん、僕とチューしたいのですか?
「ケントのバカ……」
「うっ……ごめんなさい」
バカと言われても思わずにやけてしまいそうになるのは、この場合仕方無いですよねぇ。
お風呂から上がって、オーレンさんの自宅で夕食のテーブルを囲んでいますが、ただ今、マノンからお説教と言う名のご褒美の真っ最中でして、美味しそうな料理を前に、お預けを食らってます。
「なにニヤニヤしてるの……エッチ……」
「ぐぅ……ごめんなさい」
そんなこと言われたら、さっき目にした光景を思い出しちゃうじゃないですか。
「女の子が入ってるのに、堂々と入って来るなんて……信じられないよ」
「ごもっともです……」
「そもそも、僕が女の子だって気付かないなんて、失礼だよね」
「いや、もう仰る通りです……」
でも、マノンはいつも大きめのシャツを着ていて、ぱっと見じゃ全然分からないんだよね。
その、何て言うか、体型的な差が……ね。
「そりゃあ、僕は小さいかもしれないけど……」
「仰る通り……いやいや、そうじゃなくて……」
「ケーンートー……」
「いや、違う! ちゃんと、ささやかだけど膨らみが……」
「ささやか言うなぁぁぁ!」
「うひぃ……ごめんなさい!」
「うははは、マノン、そのあたりで勘弁してやれ。 ケントも悪気があってやったんじゃないんだし、折角の料理が冷めちまうぜ」
「分かりました……ちゃんと反省してよね、ケント」
「はい、それはもう、反省してます、マノンさん」
「本当かなぁ……」
ごめんなさい、反省よりも、お説教されるの楽しんじゃってました、てへっ。
てか、オーレンさんだって、マノンを女の子だって思ってなかったですよね。
一緒に風呂に入っちまえって言ってましたよねぇ……まぁ、ちょっと美味しい思いが出来たので追及はしませんけど。
オーレンさんが取り成してくれたおかげで、ようやく夕食にありつけますよ。
大皿に盛られたソーセージやパスタを取り分けてもらって、さっそく齧り付きました。
「うわぁ、このソーセージ、旨っ!」
軽く炙ってあるソーセージは、噛み締めると香草のバランスが絶妙で、肉の旨みを更に引き立てています。
「あら、お口に合ったみたいね……遠慮せずに沢山食べてね」
「はい、ありがとうございます」
ヴォルザードでは、多くの家でソーセージを自家製しているそうで、その家によって香草のブレンドが違っていて、味わいも違うそうです。
オーレンさんの奥さんは、料理上手なようで、シチューなどの味付けも素晴らしく、フォークが止まりません。
ふと気付くと、マノンが呆れたように見ていました。
「ケント、良く食べるねぇ……その身体の何処に入っちゃうの?」
「えっ……そう言うマノンは、あんまり食べてないような……」
「いや、なんかケントの食べっ振りを見てたら圧倒されちゃって……」
「でも、ちゃんと食べないと、大きく……いや、強くなれないよ」
「ケーンートー……」
「うっ、ごめんなさい……でも、食事は身体を作る基本だからね、ちゃんと食べないと疲れも取れないし、力も出ないよ」
僕の言葉にオーレンさんも頷いています。
「ケントの言う通りだ。 ケントもマノンも、まだまだ育ち盛りの年頃だからな、いっぱい働いたら、がっちり食べないと、身体が成長しないからな。 さぁ、遠慮せずにドンドン食べろ!」
「はい、いただきます」
マノンも気を取り直して食事を再開しました。
うんうん、やっぱり美味しい物は、人の気持ちを優しくしてくれるからね。
その後、オーレンさんから庭師の仕事について色々と教えてもらったり、ヴォルザードの近郊に自生している植物の話なども聞かせてもらいました。
ギルドのランクが上がれば、森に入って薬草や素材を集めてくる仕事も出来るようになりますが、知識が無ければ効率よく採集は出来ないので、腕っ節を鍛えると同時に知識も蓄えておくように言われました。
そうだよね、ラノベやゲームなどでは薬草採取と言うと、誰にでも出来る仕事ってイメージだけど、薬草の種類や、どこに自生しているかを知らなければ、採って来る事すら出来ないもんね。
「オーレンさん、そういう勉強は、どこでやったら良いんですかね?」
「そりゃ、ギルドに決まってるだろう」
「えっ……そういう講習もあるんですか?」
「あるぞ、職人仕事なんかは、実際の職人の所に行った方が手っ取り早いが、薬草採取とかは、そもそもが冒険者の仕事だからな、ただで教えてくれるのはギルドぐらいのもんだ」
「なるほど……」
ドノバンさんの呪縛から解放されたら、一度講習を受けてみようかと思いました。
色々な話を聞かせてもらい、すっかりご馳走になって、帰る時間が少し遅くなってしまいました。
「マノン、遅くなったから送っていくよ」
「えっ……でも、僕の家は第四区画だから、ケントの下宿とは逆方向だよ」
「うん、大丈夫だよ……あれ? 僕、下宿の場所、マノンに教えたっけ?」
「えっ? う、うん……確か、最初の講習の昼休みじゃなかったかな……聞いたような記憶が……」
むふふ……アワアワしているマノンは可愛いですねぇ。
勿論、下宿の場所は話してないし、この前、尾行していたのも気付いていて聞いてるんですけどね。
「あれ、そうだっけか……まぁいいや、女の子の一人歩きは危ないから送っていくよ、まぁ、僕じゃあんまり頼りにならないけど……」
「とか言って、送っていくケントが一番危ないんじゃないのか?」
「な、何てこと言うんですか、オーレンさん、僕は基本的には紳士なんですからね」
「ほほう、それじゃあ、ちゃんとマノンを送っていくんだぞ」
「はい、分かりました」
まったく失礼ですよね、送り狼的な下心なんて、80パーセントぐらいしかありませんよ。
嘘ですよ、ちゃんと送って行きますって、一度送っていけば、いつでも影移動で覗きに……いやいや、しませんよ、ホントだよ。
家まで送っていく途中で、マノンから単刀直入に聞かれました。
「ねぇ……ケントは、どうしてそんなに早く強くなれたの?」
「えっ? えっと、それは……」
うっ……僕のシャツの袖をキュっと掴んで、上目使いの教えてお願いポーズなんて……破壊力高すぎでしょう。
思わず全部バラしちゃいそうになっちゃったじゃないですか。
「えっと……ギリクさんに稽古してもらったから……かなぁ……」
「えっ、ギリクさんって、あのギリクさん?」
「僕は他のギリクさんが居るのか知らないけど、たぶん、マノンの思い浮かべてるギリクさんじゃないかな」
「えぇぇ、どうしてギリクさんが稽古なんて……」
マノンの口振りからしても、やっぱりギリクは煙たいというか、一目置かれている存在らしいですね。
不思議そうにしているマノンに、先週の出来事を話しました。
「へぇ……そんな事があったんだ、そうか、それじゃあ強くなるかもね……」
「あっ……そうだ!」
「ん? どうかしたのケント」
「もしかして、明日なら稽古してくれるかもよ」
「えぇぇ? どうして?」
明日は光の曜日なので、もしかするとミューエルさんがランクアップした講習を受けるかもしれません。
となると、ピーピングドッグのギリクが訓練場に現れる確率は、かなり高いでしょう。
その話をすると、マノンもなるほどと納得していました。
「たぶん、僕とギリクさんが一緒に居るところにドノバンさんが現れれば、稽古しろって話になると思う」
「なるほどねぇ……」
「マノンも参加してみる?」
「えぇぇぇ……ぼ、僕も?」
「強くなりたいんじゃないの?」
「うっ……それはそうなんだけど……」
「リドネル達に差を付けられるかもよ」
「あっ……うーん……うん、やってみる!」
「じゃあ、昨日と同じぐらいの時間にギルドで待ち合わせしよう」
「うん、よろしくね、ケント」
丁度、マノンの家に着いたので、そこで別れて下宿へと戻りました。
勿論、バカ正直に歩いて戻るのではなく、路地裏の影に潜って、下宿近くまで一気に移動しましたよ。
『ケント様、なかなか考えましたな』
『でしょでしょ、ギリクとの稽古の成果にしてしまえば、ラインハルトとの特訓をバラす必要もないからね』
下宿に戻った僕は、アマンダさんに今日の出来事を簡単に報告して、自室へと向かいました。
部屋に戻った僕は、いつでも戻って来られるようにベッドを整えてから、魔の森の特訓場へと向かいます。
正直、庭師の仕事の疲れは残っていますが、明日はギリクとの再戦があるかもしれないのですから、特訓せずにはいられません。
ラインハルトを仮想ギリクとして、立ち合いを繰り返します。
勿論、めちゃめちゃ手加減してもらっているのに防戦一方で、反撃の糸口すら見つけられませんが、諦める気もありませんよ。
何度叩かれ、何度突かれ、何度転がされても、自己治癒と根性で立ち上がって向かっていきました。
結局、この晩も一度の有効打も入れられずに立ち合いは終了。
あとは魔法の練習をしてから帰りましょう。
「それにしても、ここは魔の森なのに、あんまり魔物が出て来ないね?」
『それは、ワシが気配を垂れ流しにしておるからでしょう』
「なるほど、それじゃあゴブリンとかコボルト辺りは怖がって近付かないんだね」
『そうなりますな』
確かに、ラインハルトが気配を隠さずにいたら、生半可な魔物では近付いても来られないだろうね。
と言うわけで、近付いてくる奴らは限られちゃいます。
また、ロックオーガが姿を見せました。
「一、二……六、七、この前よりも多いか……僕が三頭で、残りをラインハルトとバステンで良いかな?」
『ワシらはケント様が眠っておられる時間に勝手に遊んでおりますから、何なら全部片付けていただいても結構ですぞ』
「そうなの? それじゃあ、討ち洩らした時はフォローしてね……いきます」
この前は、光属性の攻撃魔法を一発撃つのに、約三秒ぐらい掛かっていたけど、練習の甲斐あって、一発一秒あれば撃てるようになりましたよ。
「一、二、三、四、五、六、これで最後!」
『お見事! ワシらの出番はありませんな……いやはや、何と言うか……凄まじい攻撃ですな』
「うーん……でも、まだ工夫の余地はあるような気がするんだよねぇ……」
『この上、更にですか?』
「うん、もっと連射速度を上げるとか、威力を弱めたり、強めたり、照射時間を伸ばすなんてのも良いかな……」
『さすがはケント様、その向上心には感服させられますな』
「いや、せっかく使えるようになった力だからね、上手く使いこなしてみたいだけだよ」
実際、この力は苦労して手に入れた訳ではない貰い物なので、ドノバンさんの言葉通り、使いこなせなければ、本当の意味で強くなったとは言えないと思うんですよね。
『ケント様、魔石の回収はワシらがやっておきます、汗を流して、明日に備えてお休み下され』
「うん、ありがとう、そうさせてもらうね」
もう川の水は、身を切るように冷たいけれど、自己治癒を応用すれば、冷えた身体も温められるんだよね。
下宿に戻って、ベッドに入れば、夢を見る間も無く朝が来ます。
『ケント様、そろそろ起きる時間ですぞ』
「んっ……うーん……んっ……」
だいぶ特訓生活にも慣れたので、朝から不気味な呻き声を上げなくても済むようになりました。
いつものように朝の支度をして、朝食を済ませたらギルドに向かいます。
さぁ、今日こそは、憎たらしいギリクに一太刀浴びせてやりましょう。
ギルドに行くと、マノンが先に来て待っていました。
「おはよう! ケント」
「お、おはよう、マノン」
うぐぅ……マノンが女の子だと分かったら、何か妙に意識しちゃいます。
胸の膨らみはささやかですが、間違いなく美少女ですからね。
「ん? どうかしたの? ケント」
「えっ、い、いや……何と言うか、今日もマノンは可愛いなぁって……」
「なっ! な、何言ってるんだよ、ぼ、僕が可愛いなんて……そんな……」
おや? 僕っ娘だから可愛いとか言われ慣れていないのでしょうかね。
真っ赤になってアワアワしていますよ……何でしょう、この可愛い生き物は、チューしていいですか、チュー、チュー……って駄目ですよね。
依頼の貼られた掲示板の前は、今朝も大混雑の様相で、良く見ると、またリドネル達が揉みくちゃにされてますね。
あれって、行列を見ると並んでみたくなる人と一緒の心理なんでしょうかね。
それとも。純粋に一日でも早く、お金を貯めたいのでしょうか。
そして掲示板から離れた壁際には、いましたいました、でれーんっと尻尾がだらしなく垂れている犬っころが。
「おはようございます、ギリクさん」
「んあ? おぅ、チビ助か……」
「ミューエルさんは講習ですか?」
「ああん? だったらどうした?」
「いえ、聞いてみただけです、では、失礼します……」
「ちょっと待て!」
「ぐぇぇ……首がぁ……」
軽く会釈をして訓練場の方へと歩み去ろうとすると、予想通り首根っこを掴まれました。
「俺も一緒に行く……手前がミュー姉の講習の邪魔しねぇように監視してやる」
「ちょ、僕は何も……ぐぇ……首ぃ……」
くっそーっ、何度も言うけど、僕は猫の子じゃないんだから、襟首掴んでぶら下げるんじゃないよ。
あぁ、カウンターのお姉さん達からも、生暖かい視線で見られちゃってるじゃないか。
ギリクは、僕を吊るし上げたまま訓練場へと向かい、ドアの外へ出た所で足を止めました。
「おはようございます、ドノバンさん」
「おう、おはようケント、何だ、またギリクと稽古か?」
「いやぁ、どうしてもって言われちゃいまして……」
「て、手前ぇ、謀りやがったな!」
うひゃひゃひゃひゃ、今頃気付いたって遅いのだよ。
ギリクが僕を吊り下げて訓練場へと移動すれば、ドノバンさんに御注進が届くだろうと思ってました。
「きょうは、マノンも参加したいそうなんですけど、良いですよね、ドノバンさん」
「ほう、仲間も誘うとは感心じゃねぇか、勿論OKだ」
「手前、何勝手に話し進めて……」
「何だギリク、何か文句があるのか?」
「い、いや、別に……」
うひゃひゃひゃひゃ、また尻尾が股に隠れようとしてやんよ。
虎の威を借る何とやらだけど、めっちゃ楽しぃぃぃ!
「よし、ケントとマノンは、防具の準備をして来い、ついでにギリク用の木剣も持って来い」
「分かりました」
マノンは倉庫の防具を使うのは初めてらしく、僕が教えてあげましたよ。
むふふふ、ちょっとだけ先輩気分がしますねぇ。
「ケ、ケント、やっぱり僕……」
「大丈夫、大丈夫、一度怖そうな相手とやっておけば、同じぐらいレベルの相手とやる時に緊張しなくて済むよ。 それに、負けて当然の相手なんだから、色々考える必要も無いしさ」
「そうか……それもそうだね、うん、頑張ってみるよ」
防具を装備して、マノンと一緒に訓練場へと戻ります。
木剣をギリクに手渡して、まずは僕が向かい合います。
「ケント、どれぐらい上達したか見せてみろ。 ギリク、いいな?」
「分かりましたよ、やればいいんでしょ、やれば……」
「お願いします!」
不機嫌そうに答えるギリクに一礼して、僕は木剣を構えました。
前回の稽古の時は、短剣サイズの木剣でしたが、今日は通常サイズの木剣です。
リーチが伸びたぐらいで埋まるような実力差ではないのでしょうが、それでも少しは違うはずです。
正眼から少しだけ剣先を右に振って構え、ギリクと対峙します。
ギリクは前回同様に、ダラリと木剣を右手に下げて、まともに構えもしていません。
「どうした、さっさと掛かって来い」
「や、やぁぁぁ!」
「遅ぇ……あっ?」
前回と同様に、木剣を振り上げながら踏み込むと、ギリクがヤクザキックを放って来ましたが、これは予想通りです。
一段スピードを上げて蹴りを避け、更に踏み込みます。
「こいつ……あぁ?」
「だぁぁぁ!」
ギリクが少し慌てて振り下ろして来た木剣を、更に一段スピードを上げて掻い潜り、がら空きの胴体に木剣を叩き込みました。
「ぐぅ……手前!」
「そこまで、勝者ケント!」
「よっしゃ――っ!」
やりましたよ、思いっきり油断してたとは言え、ギリクに一撃入れてやりましたよ。
おぉぉ、ミューエルさんが跳び跳ねて喜んでくれてます。
マノンも……あれ? 何かジト目で睨んでますけど、どうしてかな?
「よし、次、マノン」
「は、はい……お、お、お願い、します……」
ありゃぁ、失敗したかなぁ、僕に不覚を取ったギリクが凄い形相してるし、マノンは完全に腰が引けちゃってますね。
「どうしたぁ? 来いっ!」
「ひっ、ひゃい……」
いやいや、無理でしょう、悔しいのは分かるけど、ちょっとは考えようよ犬っころ。
「ギリク! ちゃんとやれ……」
「くっ……分かってますよ……おら、ちゃんと手加減してやっから、掛かって来い」
「は、はい……お、お願いします……」
うわぁ、マノン、汗だくだくだよ……でも、ある意味良い経験になったのかもね。
冷静さを取り戻したギリクは、マノンを数合あしらってから、脳天を軽く叩いて勝負を決めました。
「よし、次、ケント」
「はい、お願いします」
「手前、覚悟しとけよ……」
おっと……ギリクが構えましたよ、こりゃあ死ぬ気でやらないと拙そうですね。
ギリクの構えは、左肩を前にして右上段に剣を振上げ、一撃の威力に懸ける構えに見えます。
イザークとの対戦でも押し負けた僕では、まともにぶつかって行けば弾き飛ばされるでしょう。
それでも僕は、ギリクと同じ様に構えて、真っ向からぶつかる意志を示しました。
僕が構えた途端、ギリクが歯を剥き出しにして、凄みのある笑いを浮かべました。
「面白ぇ、チビ助、根性だけは認めてやんよ……」
「いいえ、腕前も認めてもらいますよ……」
精一杯の強がりですが、言わずにはいられませんでした。
魔の森での特訓の最中、時折見せるラインハルトの迫力は、本気でチビりそうになります。
ギリクは、ヴォルザードの若手のホープだそうですが、ラインハルトにはまだまだ及ばないですよ。
勿論、敵わないでしょうが、ビビって動けなくなる事はありません。
神経を張り詰め、ジリジリと距離を縮めながら、ギリクが踏み込んでくる瞬間を計りました。
「だっ!」「やぁぁぁ!」
体重の乗ったギリクの一撃は重く、全力で迎え撃っても身体ごと弾かれます。
追撃の振り下ろしを紙一重でかわして距離を取り、右手一本の逆胴には上段から木剣を叩き付けて弾きました。
ギリクは弾かれた勢いを使って木剣を振上げ、凄まじい踏み込みで振り下ろしてきます。
僕も全体重を乗せた振り下ろしで迎え撃ちました。
ガツン!っと鈍い音を響かせて、何とかギリクの一撃を受け止めたものの、鍔迫り合いで押し込まれます。
こうした押し合いになると、体格差が物を言い、グイグイと押されるままに押し下げられてしまいます。
全身の力を使って押し戻そうとした瞬間、ギリクがふっと力を抜きました。
「えっ……」
急に支えを外されて、前のめりにバランスを崩してしまうと、視界の端に笑みを浮かべたギリクが木剣を振り下ろすのが映りました。
「しまっ……ぐぎゃぁぁぁ……」
無理やり身体を回して、木剣で受けようとしましたが間に合わず、ギリクの一撃を左の肩口に食らいました。
ビキっと鈍い音がして、鎖骨が折れるのを感じ、思わず膝をついて蹲ってしまいました。
「ケント! 大丈夫、ケント」
「うぎぃぃぃ……だ、大、丈夫……」
マノンが駆け寄って来たけれど、俯いたままで、上手く返事が出来ません。
治癒、治癒、右手で肩を押さえて、全力で自己治癒を働かせます。
頭の毛穴が全部開いて、冷や汗がダラダラと流れてきました。
それでも歯を食いしばって全力の自己治癒を使っていると、徐々に痛みが引いていきます。
もうちょっと、もうちょっとですよ。
「おいケント、大丈夫か?」
「はい……ドノバンさん、もうちょっと、もうちょっとすれば……」
俯いたままで、左手を握ったり閉じたりしながら、ゆっくりと腕を動かしてみました。
うん、もうちょっと、もうちょっとで治ります。
「おい、ケント……」
「大丈夫です、ドノバンさん、もうちょっと休めば……」
僕が腕をゆっくりと動かしながら、ようやく顔を上げてドノバンさんに目を向け、僕は凍りつきました。
そこに居たのは、迫力はあるけれど頼りがいのある見慣れたドノバンさんではなく、獲物を狙う目をした臨戦態勢のドノバンさんでした。
「ケント、普通のやつは折れた骨がすぐに治ったりしねぇ……イザークにやられた時から少し疑ってはいたんだが……お前は何者だ? リーゼンブルグの犬か?」
あちゃぁ……少し調子に乗り過ぎたみたいです。
そう言えば、ドノバンさんって、例えヒヨっ子相手の講習でも手を抜かない人でしたよねぇ。
これは、万事休すってやつですかね。