魂の行方
現場検証には、千崎先生と彩子先生が立ち会う予定でしたが、千崎先生は熱を出して寝込んでしまったそうです。
「すみません。千崎先生は、やはりショックが大きかったようで……」
そう言って森田さんに頭を下げた彩子先生も、目の下には色濃く隈が浮かんでいますし、顔色も良くありません。
「いえ、杉山先生もお疲れの御様子ですし、手早く済ませてしまいましょう」
待ち合わせをした守備隊の入り口から、関口さんを追い掛けた道筋を通って城壁の上へと上がりました。
オークの死体は海へと捨てに行きましたが、討伐した時に流れた血までは片付けられないので、西風に乗って生臭い臭いが漂ってきます。
「国分君、この臭いは……」
「先日襲ってきたオーク達を倒した時に流れた血の臭いです」
「この臭いで別の魔物が集まって来たりしないのかい?」
「今は、季節風の向きが変わって、森から街の方向へ吹いているので、森の奥から魔物を引き寄せる可能性は低いはずです」
「あっ、国分君、あそこ!」
「あぁ、ゴブリンですね。集団以外は放置しているのですが、やっぱり数は増えているみたいです」
「あれがゴブリンかぁ……」
森田さんが物珍しそうに眺めている前で、ゴブリンはオークの肉片らしきものを探しては口に入れていました。
森田さんがゴブリン見物をしている間、彩子先生は城壁の内側に視線を向けて、口元を押さえていました。
もしかすると、ラストックから脱出してきた時に遭遇した、ゴブリンの極大発生を思い出しているのかもしれません。
それに、この腐臭と呼んでも良いほどの臭いは、精神的にダメージを受けている時でなくても、嗅ぎたい臭いではありませんものね。
「彩子先生、大丈夫ですか?」
「ふぇ? え、えぇ、大丈夫よ。国分君こそ無理していない?」
「全然無理していない訳ではないですけど、まぁ大丈夫です」
「ごめんなさいね。本当なら私達教師がシッカリしないといけないのに、関口さんも船山君も、助けてあげられなくて……うぅぅ……」
彩子先生の瞳から涙が零れ落ち、口元を覆った手から抑えきれない嗚咽が洩れました。
「彩子先生だけの責任じゃないですよ。みんな何とかしようと思っても、思い通りにならなくて、こんな結果になってしまったけど、それは僕らの責任じゃないですよ」
「でも……それでもね……」
「彩子先生。それでも責任を感じてらっしゃるなら、残ったみんなが無事に日本に帰れるように頑張りましょう。そうでないと、船山も関口さんも浮かばれませんよ」
「国分君……そうね、生徒を無事に家に帰すのが教師の役目だものね」
彩子先生は涙を拭うと、胸の前で両手の拳を握って気合いを入れ直しました。
年上だけどチビッ子な彩子先生の健気な姿には、守ってあげたいって思わされちゃいますよね。
森田さんを案内して、関口さんが転落した場所まで来ると、綾子先生は両手を合わせて静かに祈りました。
その時、僕の脳裏に、ある考えが閃きました。
「あっ、そうか! いや、そうじゃないのか……?」
「どうしたんだい、国分君」
「えっと……いえ、ちょっと思い付いた事があったんですけど、間違っているかもしれないので……」
「何だい、何か思い当たる事があるならば、何でも構わないから話してくれないか?」
「いえ、関口さんの自殺には関係の無い事なので……」
「うーん……気になるねぇ。差し障りが無いならば、話してくれないかな?」
警察官モードの森田さんに追及されて、少し迷ったのですが話す事にしました。
「あの、ちょっと非科学的な話なんですけど、関口さんの魂の事なんです」
「魂……?」
「はい、魂です」
いきなり魂などと言い出したので、森田さんと彩子先生は、顔を見合わせて小首を傾げています。
「昨日、関口さんの遺体を日本に運びましたよね」
「そうだね。僕らも見ていたよ」
「生きている人間を影の空間に連れて入れるには、魔力と属性を奪って、僕の魔力を付与する必要があるんですが、亡くなられた後には、その必要がなくなるんですよ」
「あぁ、なるほど。それは御遺体から魂が抜けたからだと思ったんだね?」
「はい。昨日は突然の事でしたし、体調が悪くて頭が回っていなかったので思い付かなかったんですけど……そうなると、関口さんの魂は、ヴォルザードに留まってしまっているような気がしたんですよ」
「なるほど……だけど、さすがの国分君も魂を連れて帰るのは無理だろう?」
自殺に直接関係の無い魂の話になって、森田さんの警察官モードもオフになっています。
「いえ、それが出来たかもしれないんです」
「いやいや、だって魂が体に入っていたら影の空間には入れないんだよね。だったら連れて帰れないじゃないか」
「そうなんですけど……アンデッドとして僕の眷族にしていたら、もしかしたら……」
ザーエやアルト達は、僕が討伐した後で、死霊術を使って眷族にしました。
その結果、影の空間に自由に出入出来るようになっていますし、生前の記憶も引き継いでいるようです。
だとすれば、肉体がアンデッド化した状態のところへ、元の魂が定着しているのではないかと思ったのです。
「でも、国分君、人間の死者を君の眷族に出来るのかい?」
「さぁ……それは、やってみた事が無いので、実際に出来るかどうかは分かりません」
「それに、例え出来たとしたら、その人は、いわゆるゾンビになるんだよね?」
「そうですね。形としてはゾンビになると思います」
「ゾンビになった人は、日本に戻ったらどうなるの? 確か、日本には魔素とかいう物が無いんだよね?」
「うーん……一応、マルト達は居心地が悪いとは言っていましたが、特に問題は無かったですが……短い時間でしたから何とも……」
「国分君」
「は、はい、何でしょう」
また森田さんが警察官モードの真面目な表情で呼び掛けて来たので、ちょっと気圧されてしまいました。
「国分君は、関口さんの魂が彷徨っているのなら日本に連れて帰りたい……という善意で話をしているのだと思うけど、そんな不確定な状況で死者を扱ってはいけない」
「は、はい……すみません」
「僕は、仕事柄亡くなられた方と対面する事が、普通の方に較べると多い。御遺体は、命や魂が宿っていないとしても、その方が生きていた事、この世に存在していた事を示す最後の姿なんだよ。尊厳を持って扱われるべきだし、献体などの本人の同意が有る場合を除いて、実験の道具にされるべきではない」
警察官という職業柄、時には悲惨な状況の遺体とも対面してきたであろう森田さんの言葉には、ズシリとした重みが感じられました。
良かれと思って眷族化を考えましたが、それが関口さんの望みに適うとは限りません。
「さっきの話は、僕は聞かなかった事にする。杉山先生も、それで宜しいですね?」
「は、はい、私も何も聞いていません」
「森田さん、彩子先生、ありがとうございます」
「ん? 何の話かな、僕は何もしていないよ。さぁ、現場検証を始めようか」
茶目っ気たっぷりにウインクしてみせる森田さんは、当たり前ですけど、やっぱり僕よりも全然大人ですね。
森田さんが信頼出来る方だと思ったのか、彩子先生は、関口さんが転落する様子を聞かれても、取り乱したりはせずに落ち着いて質問に答えていました。
城壁の上での現場検証を終えた森田さんは、胸壁から身を乗り出して下を覗きながら話しかけて来ました。
「国分君、下の様子も少し見てみたいのだけど、難しいかな?」
魔の森の方へ視線を向けている所を見ると、ゴブリンとかを気にしているのでしょう。
「いえ、僕の眷属が護衛に付いていれば大丈夫ですよ。向こうの城門から……いや、影移動で下まで降りちゃいましょう」
「ああ、そうか、こっちに移動して来た方法だね」
「はい、じゃあ彩子先生、ちょっと待っていてもらえますか?」
闇の盾を出して、森田さんと一緒に城壁の外へと移動しようとしたのですが……
「痛っ……国分君、通れないよ……」
森田さんが、思いっきり闇の盾に頭をぶつけてしまいました。
「えぇぇ……昨日は通れたのに……」
「国分君、昨日のやつをやってみよう」
「あっ、はい、じゃあナイフを……」
昨日と同様に傷口を合わせて、魔力の受け渡しを行うと、また森田さんは影の空間へと入れるようになりました。
「うん、回数なのか、時間なのか……いずれにしても何かの制限があるみたいだね」
「そうですね。でも、再度魔力の受け渡しをすれば大丈夫そうですね」
「そうじゃないと困るよ。僕が日本に帰れなくなっちゃうよ」
影移動で城壁下へと下りて、森田さんが現場検証を行っている間、ザーエ達に周囲を囲んで護衛してもらいました。
ラインハルトが表に居るだけでも、ゴブリンなどは寄って来ないのですが、森田さんが安心して作業してもらうためのパフォーマンスです。
森田さんは、関口さんが落ちたと思われる場所や、城壁の高さが分かるように、少し離れた場所からも撮影を行いました。
城壁の上にいる彩子先生に声を掛けたのですが、胸壁から身を乗り出す姿が危なっかしいので、ラインハルトに支えに行ってもらいました。
落ちた場所や、身体の向きなどを確認し、作業を終えた森田さんと城壁の上へと戻りました。
「伺った話や状況からして、事件性は無いと思いますが、場合によっては皆さんが日本に戻られた後に、再度事情を伺うかもしれませんので、その点はご了承下さい」
「はい、色々とありがとうございました」
「杉山先生も御心痛だとは思いますが、先程、国分君が言っていた通り、まずは残った生徒さんが無事に日本に戻る事を考えて下さい」
「はい、そういたします」
「じゃあ国分君、このまま捜査本部まで送ってもらっても良いかな?」
「はい、また森田さんが入れなくなる前に送って行きますね」
また森田さんを連れて闇の盾から影の空間へと潜り、城壁の上から捜査本部へと移動すると、不穏な言葉が耳に飛び込んで来ました。
「あいつだ! 国分健人が事件の黒幕に違いない! 警察とグルになって隠していやがるんだ!」
ドキっとさせられてしまいましたが、声の主は捜査本部に居る訳ではなく、テレビに映し出された船山の父親でした。
「管理官、ただ今戻りました」
「森田か、ご苦労……そうか、国分君も当然一緒なんだな、今の聞こえてしまったかな?」
森田さんの言葉に振り向いた須藤さんは、僕の姿を見て苦笑いを浮かべました。
「はい、何だか僕が黒幕だとか……」
「まったく、船山さんにも困ったものだ。何度も何度も説明したのだが、やはり倒れた時の事を覚えているようでね。例の週刊誌の報道とかもあって、ネットの方でも変な憶測が広がって、まったく……」
「あの、関口さんの事も公表されたのですか?」
「それなんだが……」
船山の父親が、テレビカメラの前で喚いているのも、関口さんの自殺の件が公になったからだそうです。
検死が行われた後、関口さんの遺体は家族のもとへと引き取られました。
その際に、残りの生徒さんの救出活動に悪影響が出る可能性があるので、自殺の件の公表を控えてほしいという申し入れがなされたそうなのですが、関口さんの両親から拒否されてしまったそうです。
「ご家族にしてみれば、長い間連絡が取れない状況が続いた後、ようやく無事が確認されて、もう少しすれば戻って来ると思っていた矢先だからね。やはり納得出来ないのだと思うよ」
関口さんの両親は、詩織さんが異世界へと連れ去られ、日本に戻って来られないのを苦にして自殺したのだと、詰め掛けたマスコミに話し、日本政府や学校関係者の責任を声高に批判したそうです。
その時に、僕も槍玉に挙げられたようです。
そう言えば、関口さんの僕に対する印象は良くなかったみたいですからね。
「国分君、プライベートな事を聞いて申し訳ないのだけど、君は三人の女性とお付き合いしているのかね?」
「えっ、えぇ……まぁ、そうです……」
「関口さんが御家族に宛てた手紙の中に、その話が書かれていたようでね。君の御両親の一件もあって、あまり好ましくない状況になっているんだよ」
「そう、なんですか……」
不倫騒動の果ての刃傷沙汰、更には母が自殺した事が、マスコミに大きく取り上げられていた事もあって、三人と付き合っている件で僕はバッシングされているようです。
「女性関係に関しては、あくまでもプライベートな事だし、我々が口を挟む事ではないのだろうが、今後の活動に悪影響が出ないように配慮してもらえないかな?」
「あの、配慮って言われましても……」
「同級生達の帰還が終わるまでは、交際を控えるとかは……難しいのかな?」
「考えてはみます……」
「すまんね」
テレビ画面は、船山の父親の映像から切替わり、スタジオの様子が映し出されていました。
自称教育関連の専門家や、何の関係があるのかも分からない芸能人達が、やれ親の遺伝だ、アニメ脳だ、まるで関口さんの自殺の原因が僕であるかのように、勝手なコメントを垂れ流していました。
こんな話を日本中の人が聞いて、真に受けてしまうのかと思ったら、周囲の気温が五度ぐらい一気に下がったような気がしました。
やりきれない思いに押し潰されそうになっていたら、ポンっと肩を叩かれました。
「大丈夫だ、国分君」
「梶川さん……」
「僕はこれから官邸に戻って、これまでの経緯や、先日持って来てくれたビデオを公開するように進言して来る。これまで、どれほど君が頑張ってくれたか、そして今も頑張り続けてくれている事を公にするつもりだ。こんなふざけた評価がまかり通るなんて事は、絶対に許されちゃいけない」
普段、どことなく軽薄なイメージのある梶川さんの顔には、静かな怒りの色が浮かんでいました。
「国分君の名誉は、我々が全力で守る。だから何の心配もせず、これまで通りに全員が無事に日本に戻れるように尽力してほしい」
「はい、よろしくお願いします」
捜査本部の皆さんに見送られながら、影に潜ってヴォルザードへと戻りました。
『ケント様、昼食を取られたら、少し休まれた方が宜しいですな』
「でも、第一王子派もアーブル・カルヴァインも動き出した件をカミラ達に伝えないと……」
『確かに伝えておく必要はありますが、我々と違って、どちらの一派も移動には時間が掛かります。そんなに慌てる必要はございませんぞ』
「そうか……とりあえず、カミラからの第二王子達が死亡したという知らせが届いて、その反応を見てからだもんね」
『そうです。それに、今朝も早朝から第一王子派の偵察に出掛けていらしたのですから、少しは身体を休めて、次の帰還にも備えられた方が宜しいですぞ』
「そうだね。日本での悪評を振り払う一番の方法は、みんなを帰還させる事だもんね」
正直に言えば、少々眠たいですし、身体の芯にダルさが残っている感じです。
ヴォルザードに戻ったのは、お昼少し前だったので、委員長やマノンと一緒にお昼を食べる事にしました。
まだ午前中の診察が続いているので、それが終わるまで診療所の外で待っている事にしました。
日当たりの良い場所を選んで、壁に寄り掛かって座り込むと、途端に睡魔が襲ってきます。
「マルト、ミルト、ムルト」
「わふぅ、ご主人様、呼んだ?」
「ご主人様、撫でて、撫でて」
「うちは、だっこがいい……」
「はいはい、みんなおいで、僕が寝ちゃったら、唯香かマノンが来たら起こして」
「にゃ、ネロも一緒に寝るにゃ」
「ごめん、ここだと大騒ぎになっちゃうから、ネロはまた後でね……」
「にゃー……つまんないにゃ……」
お昼を食べた後は、委員長達を誘って、ネロとお昼寝タイムにしましょう。
マルト達に囲まれて、壁に寄り掛かったら、すぐに眠り込んでしましました。
「健人」
「ケント」
「んぁ……あぁ、おはよう、唯香、マノン」
目を覚ますと、委員長とマノンが心配そうに僕の顔を覗き込んでいました。
「もう、健人は無理しすぎじゃないの?」
「何だか凄く疲れているように見えるよ」
「うん、お昼を食べたら少し休む……ネロと一緒にお昼寝しない?」
「する! したい、したい!」
「僕も、ネロのフカフカなお腹でお昼寝したい!」
「じゃあ、先にお昼を食べに行こう」
「うん!」
ネロとのお昼寝には、委員長もマノンも、一も二も無く賛成してくれました。
守備隊の食堂にお邪魔すると、お昼のメニューは、餃子にチンジャオロース風の炒めもの、それにラーメン風のパスタでした。
驚いて厨房を見てみると、同級生の女子の姿があります。
「料理好きの子達が、地球の味が食べたいってお願いして厨房を借りたら、新しい味が知りたいから手伝ってくれって言われたんだって」
「そうなんだ。凄い久しぶりだから楽しみ。早く食べようよ」
委員長とマノンと一緒に食事をしていると、守備隊の若い隊員さんから怨嗟の視線が突き刺さって来ますけど、気にしない、気にしない。
須藤さんから自重するように言われたけれど、お断りする事にします。
だって、二人と触れ合えなかったら、ストレスで潰されちゃいそうですよ。
「はい、マノン、あーん……」
「えっ、あ、あーん……」
「はい、唯香も、あーん……」
「あーん……んっ、美味しい」
同級生の男子達からも恨みがましい視線が集まって来るけど、こっちも気にしない、気にしない。
餃子も、チンジャオロースも、ラーメンも、何となく日本の味とは違うけど、これはこれで美味しいです。
食事が済んだら、訓練場の日当たりの良い場所を探して移動しました。
委員長が右腕に、マノンが左腕に腕を絡めて来ました。
二人の温もりにドキドキしてて昼寝どころじゃなくなっちゃうと思ったのに、ネロに寄り掛かったら、あっさりと眠りに落ちてしまいました。
フワフワ、モフモフ、ぬくぬく……もう至福のお昼寝タイムとなりました。