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第一章:リベンジ志願

「お疲れ様」


 いつも通り美術室のドアを開け、さりげない風に声を描ける。

 二つの顔が同時にこちらを向いた。


 硬く真っ直ぐな黒髪をポニーテールに結った小さな頭といい、滑らかな象牙色の肌といい、黒目勝ちな切れ長の目といい、小さな紅い唇といい、この二人は鏡で映したようにそっくりだ。


 ただし、片方の顔には、左の目許に小さな泣き黒子ぼくろがある。


「お疲れ様」


 黒子のない実香みかが微笑んで返した。

 絵を描くより、むしろモデルにこそ向く子だといつも思う。

 人形みたいな造作に加えて、左右対称シンメトリーな顔をしているし。


 一方、黒子のある智香ちかは早くもキャンバスに目を戻して、絵筆を動かし始めていた。

 まるで、双子の片割れが自分の分まで挨拶したから、それで義務は果たしたと言わんばかりに。

 彼女はいつも、挨拶する僕を見やりはするけれど、返してくれたことがない。


 *****


「もうすぐ完成だね」


 僕はまたさりげなさを装って二人の背後に立つ。

 実香は待ちかねたように振り向いた。

 振り返った瞬間、人工的な花の香りがふわりと届く。

 多分、シャンプーか、ボディソープの匂いだろう。


 まるで香りを嗅ぎつけたかのように、少し離れた場所で描く田中が銀縁眼鏡の顔を振り向ける。

 これは僕らの後輩で、まだ一年生の男子だ。


 目が合うと、彼は眼鏡の奥の細い目を険しくして、自分の作品に目を戻した。


――うるさいですよ。


 後輩の丸めた背中は、そう非難している。

 自分から他人に滅多に話し掛けられない彼は、批判や拒絶もそんな挙動で示すのだ。

 肩越しに見える後輩のキャンバスは、拘りのある箇所は異常に細密に描かれているだけに、全体としては空疎な部分が目に付いた。

 顧問の先生から「もっと全体を見ろ」と注意されたのにあの調子だから、僕が進言してもまず聞き入れないだろう。


「今、仕上げに入ったとこ」


 実香のキャンバスを見やると、色鮮やかで明るい、無邪気な夢そのものの風景が広がっていた。

 先生から「デッサンがちょっと甘い」と指摘されたから、そこはちゃんと直したみたいだな。

 この子は素直なのだ。


 実香の澄んだ声に、田中がまた半分だけ眼鏡の顔を振り向ける。

 しかし、銀縁のレンズの奥で開かれた目は、打って変わって寂しげに映った。


 これは、僕と実香が話していると、彼がよく見せる表情だ。

 目が合うと、田中はまた眼鏡の顔を自分の創作に向き直らせた。

 彼が視線を求める相手は、僕ではないのだ。


「今度は私も賞を取ってリベンジするから」


 黒子のない、快活なシンメトリーの笑顔と朗らかな声音に「リベンジ」という言葉はいかにも不似合いだ。

 多分、本人としても「チャレンジ」と大差ない意味合いで使ってるんだろう。


 まだ話を続けたそうな実香に笑顔で頷きつつ、振り向かないもう一人のポニーテールの肩越しにキャンバスを盗み見る。


 それまで途中経過を何度も目にしたにも関わらず、僕はまた新たな衝撃を受けた。


 いいや、これは女子高生らしい、フレッシュな感性じゃない。

 どこか不穏な予感を引き起こす絵だ。


 智香の絵を目にするたびに、賞賛すべき九十九パーセントよりも、否定すべき一パーセントを他人に触れ回って同意を得たくなる。


 むろん、そんなことをしても負け惜しみになるだけだから、実行したことはない。

 ただ、胸中でいつもそんな衝動に駆られるのだ。


 蒼白い蛍光灯の下、かっつり結われたポニーテールの黒髪が小刻みに揺れながら、絹じみた艶やかな光を返す。


 ――あなたに気に入ってもらう必要はありません。


 振り返らない黒髪の光も、不吉な画面を完璧に近づけていく絵筆のどこか機械的な動きも、そう告げているかに見えた。


 ――実香ちゃんは明るくていい子だけど、智香ちゃんは暗いし変わってるから。


 これはこの双子の姉妹について良く聞かれる評だ。


 本人たちの耳にも多かれ少なかれ伝わっているはずだが、外見は瓜二つの彼女らはまるで役割分担するように言動の上で互いに似せようとはしていない。


 何よりも、描く絵が圧倒的に違うのだ。


 揺れる智香の髪の先から微かに花に似た香りが漂ってきた。

 恐らく姉妹でシャンプーやリンスは同じものを使っているのだろう。


 ちなみに、一卵性双生児で本来上下はないはずの二人だが、書類の上では「暗くて変わっている」智香が姉、「明るくて可愛い」実香が妹なのだそうだ。


「俺も頑張ってリベンジするよ」


 振り向かない双子の姉の背に声を掛ける。

 晴れやかに宣言するつもりだったのに、何だかいじけた調子になった。


圭吾けいご君なら大丈夫だよ」


 双子の妹は笑って僕の顔を覗き込むと、ポンと肩を叩く。

 この子の掌は柔らかく温かい。


 だが、何となくその手が重く圧し掛かってくる感じを覚えて、僕は自分でもわざとらしく思える笑顔を作って頷くと、早足で自分のキャンバスに戻った。


 さっきまで自信を持って眺めていた画面が実に凡庸で貧弱に映る。

 同時に、そんな作品にプライドを持っていた自分が惨めに思えた。


 多分、次のコンクールも続けて大賞は取れなくても特選以上の賞に入るのが智香で、僕はまた入選に引っ掛かれば御の字だ。

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