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因習

作者: るいん

三題噺「矛盾・うめ・月光蝶」のお題で作成した短編です。

 成人式を終えたばかりの私がお見合いをすることに決まってしまったのは、つい先日のことである。曰く、相手はなんと私のはとこらしい。それほど結婚願望もなく、ましてや近親同士のお見合いなど断りたかったのは山々だが、相手方と母の間で既に話ができあがってしまっていたのだ。母は「掟だから」と意味不明な事を言い、泣きながら私を送り出した。今まで女性関係に全く縁がなかったとはいえ、泣くのは大げさすぎだろう。罠に嵌められたとしか思えなかったが、泣かれては断ることもできない。私は田舎の山中奥深くにあるという、はとこの実家を目指した。 



 はとこの実家は、想像以上に古かった。大河ドラマに出てくるような武家屋敷であり、今にもちょんまげをつけた侍が歩いてきそうな雰囲気である。はとこの家とはいえこんな立派な屋敷があるとは、私の先祖達はけっこうな身分だったのかもしれない。立派なだけでなく、相当に広そうだったが、今は夜なので全体を見渡すには至らず、この屋敷の正確な広さは掴めなかった。屋敷に入る前から既に威圧されている気分で気は進まなかったが、このまま引き返すわけにもいかず、私は屋敷門の中に足を踏み入れた。

 敷地内は灯りの類が少なく、まるで無人のように暗く静まっていた。それでも玄関と思わしき扉までたどり着けたのは、所々にぽつ、ぽつと浮かび上がる提灯のおかげである。いくら山奥でも電気くらい通っているとは思うのだが、もう少し明るくできないものだろうか。

 と、突然。

 何の音もなく、何の予兆もなく。

 暗闇から、人間が現れた。

 うおぅ、と素っ頓狂な声を発したのが自分であることに気づいたのは、数秒遅れてのことだった。

「まあ、そう驚くなよ。ここに来る奴は大抵今のお前のような反応をするが、俺はずっとここに座っていたんだ。俺が見えなかったってんなら、お前が鳥目なだけだ」

 突然出現した男はそう言うと、すっくと立ち上がった。余りの驚きに全く男の格好を見ていなかったが、背丈は百九十はありそうなほどの長身であり、紋のついた和服を着こなしていて、大層威厳のありそうな風貌である。が、なにより目を引くのは、その顔につけてある、額に大きく「陰」と書かれた能面だった。

 ……この人がここの家主なのだろうか?

「お前が明里あかりさんの息子で、間違いないな?」

 能面がしゃべる。明里とは、母の名前だった。私は反射的にうなずく。

「よし、ついてこい。案内してやる」

 能面の男はそう言うやいなや、玄関の引き戸を開け、中に入っていった。なにぶん暗いので男を見失わないようにと、私の足は勝手に男を追いかけていた。

 なんだかよく分からないうちに、私は屋敷内に招かれた。



「色々聞きたいことはあるだろうが、まあ入れよ」

 そう言われて通されたのは、二十畳はあろうかという大広間だった。部屋中央に蝋燭台が二本、シンメトリー状に立てられており、台の上では火が弱々しく揺れている。向かって左の床の間には掛け軸も壺も兜も刀も飾られておらず、この部屋に蝋燭台以外の調度は一切無いようである。勿論他に灯りになるようなものもないので、部屋は外と同じく暗澹としていた。立方体に区切られた仄暗い空間があるだけ、といった感じで、とても見合い相手をもてなそうという雰囲気ではない。

 広間へ入った瞬間、足に妙な感覚を覚えた。よくよく見れば、粉のようなものが畳一面に散らばっている。一歩進むごとにざらざらする感触が少し不快だったが、能面の男はそれを気にする様子もなく上座側に歩いていき座ったので、私は何も言えず、とりえあず下座の適当な所に正座した。

 二本の蝋燭台を隔て、仮面の男と向き合うような形になる。

「まあ、そうだな……とりあえず、質問に答えようか。なんでも聞いていいぞ」

 と、能面の男は言った。余裕ぶった態度で、こちらからの返答を待っている。そんな能面男を正面に据え、言われたとおり質問をあれこれ模索しているうちに、さきほどまでの驚きと緊張は徐々に失われていった。代わりに私の心に浮かび上がってきたのは、蟠る疑問の数々と、この矛盾した状況に対する憤りである。

 そもそもこの見合い話を母から聞いたとき、相手方の情報ははとこという以外、ほとんどなかった。それだけでも十分に奇天烈な話であるというのに、話を承諾した当の母はここに来なかったし、こんな陰気な屋敷で正体不明の能面男に招かれ、掃除もしていない部屋に通され、一体何がしたいというのだ。こいつらは見合いをする気があるのか。私は怒りに震えた。

「……とりあえず聞きましょう。あなたは誰ですか? あと見合いの相手について、私は何も知らされていないんですが」

「お? ……おお」

 能面の男は今更気づいたのか大げさな声をあげながら、すまん、と手を合わせた。薄々感づいていたが、風貌の割に軽い男だ。

「そういえば自己紹介その他諸々がまだだったな。俺は弥七やしち。ここの当主で、お前が見合いする予定の娘、陰矢(かげりや)うめの父だ」

 弥七と名乗った男は、顎をなでながら話を続けた。

「お前とうめがはとこ同士なら、俺と明里さんはいとこ同士だ。今回は俺が頼み込んで、明里さんに見合いの話をしてもらった。情報を与えなかったのは、全部話したらお前は来ないんじゃないかっていう危惧があったからだ」

「危惧……? それは私と、陰矢うめさん、でしたっけ? その方との見合いになにか問題があるってことですか?」

「いやいや、問題なんてねぇ。ねぇんだが、見たとおり俺らは辺鄙な山奥の、時代錯誤も甚だしい屋敷に住まう古臭い人間だ。こんな場所でこんな人達だと知ってたら、お前も来る気分じゃなくなるだろ。だからそういう情報は一切伏せてもらったんだ」

 ……まあ、それらの情報を事前に得ていたとしたら、絶対に来なかっただろう。罠に嵌められたというのは間違いではなかった。

「情報をくれなかった理由は一応分かりました。でも、それほどにまで私と見合いをしたいってのはどういうことですか? 納得のいく説明が聞きたい」

「おお、聞いてくれるか。いくらでも話そうじゃないか」

 弥七は顎をなでるのをやめ、身を乗り出してきた。その表情は能面で伺えないが、随分嬉しそうに見える。蝋燭台の境界付近まで近づいてくると、能面が影を帯びていっそう不気味になった。

「この屋敷を見たら分かるだろうが、俺ら陰矢は昔から続いてきた由緒ある家柄だ。こういう家系にはよくある話だが、昔の……今考えたら本当に馬鹿馬鹿しいような風習が色濃く残っている場合が、多々ある。例えばこの屋敷の灯りの少なさ、俺の被っている面。数えればキリはあるだろうが数えたくもねえ。そんな因習の数々から明里さんを解き放ったのが、お前の父さんだ」

 私の、父……? 意外な登場人物に、私はすっかり弥七の話に魅入っていた。先ほどの怒りは既にどこかへいってしまった。

「明里さんも昔この屋敷に住んでいた。俺の妹分みたいな存在だったからよく覚えてる。律儀に家訓を守る、健気な人だったよ。だがそれに重圧を感じていたし、何より外の世界に憧れていた。そこで、お前の父さんと見合いをしたわけだ」

「……なるほど、そういうことですか」

「ここまで言えばわかるな。見合い、駆け落ち、結婚は、陰矢の家系から離脱する唯一の手段だ。なら陰矢の家系、因習なんてなくなればいいと思うだろうが、そういうわけにもいかない。どの家系にだってそれを存続させるための本能がある。あるときは政略結婚、子供がいなけりゃ養子で補い、養子もいなけりゃ赤子を攫う……こんなのは極端な例だが、そういう類のものは、陰矢の血にも流れている。例えその血がどれだけ薄くなろうとも、名を守る本能は確かに存在する。それは俺も同じだろう。でも……それでも、俺は血の存続より娘の幸せを願うんだ」

「……」

 言葉が、出ない。

 こんな展開、誰が予想できるだろうか。陰矢に囚われた娘、その逃亡の手助けをしろというのだ。しかもそれは私の父が既にやっているのだと。私とうめの関係は、そのまま父と母の関係に当てはまるのだと。

会ったこともないのに。

今し方、名前を聞いただけなのに。

「どう考えても俺が理不尽なのは分かる。それでもお前はここに来てくれた。俺がいうのも何だが、うめは本当にいい娘だ。お前だって絶対気に入る。だから……これから、うめと見合いをして、外へ出る約束をしてくれ。頼む」

 弥七は身を乗り出したまま、深々と頭を下げた。能面の下、顎の方からなにやらしたたり落ちている。弥七の涙だった。

「……分かりました。見合いはしましょう。その後どうなるかは分かりませんが」

 私は右手を差し出した。弥七はそれに気づくと、呻き声をあげながら左手を出してきた。握手。

 その時の弥七の手は、畳にあった粉と涙が混ざってなんだかねばねばしていた。

 

 

 ひとしきり泣いて落ち着きを取り戻した弥七は、すまん、と一言謝ってから元いた上座に戻り、着崩れを直して正座した。

「……それではこれから見合いを始める。言っておくが、これも陰矢の風習の一部だ。見合いは当人同士のみで行い、双方が同意した意向について撤回は許されない。陰矢もそれについて一切口を出さない。単純明快な仕組みだ」

 色々言った割には随分と簡単な話だ。拍子抜け、というのだろう。

「それだけ……ですか?」

「ああ、それだけ……なんだが」

 そこまで言って弥七は言葉を切った。なにか言うべきことを躊躇しているように見える。あちらにも色々事情はあるのだろう。だがこの特異な状況、こちらもなにかあるのなら知っておきたい。

「弥七さん。私も、できることであればうめさんを助けたい。話せることなら話してください」

 弥七はしばらく私を見つめて黙っていたが、後押しが効いたのか、重々しく口を開いた。

「……再度言うが俺も陰矢の人間だ。おおっぴらに逃亡の手助けはできないし、言うべきでないことを言ってしまえばこの見合い自体が無意味になってしまう。だから、お前には二つだけ、忠告しておく」

「一つ、うめには近づくな」

「二つ、できるだけ呼吸は我慢しろ」

 ……近づくな? 呼吸? 私は耳を疑った。何を言っているんだろうか。見合いとは到底縁のない二つの忠告。

「多分言っても分からんだろうが、これ以上は聞くな。とにかくその二つは守れ。いいな」

 そう言うと弥七は立ち上がった。これで話は終わりのようである。数々の疑問を残して弥七は広間を去っていった。

 と、向かい側の襖がいきなり開いた。それはタイミングを見計らっていたかのように弥七が出ていったと同時のことで、私は驚く暇すらなかった。

 襖の奥の闇に浮かぶのは、真っ赤な着物を着た、黒髪の乙女。

「失礼します」

 小さいが、何故かよく聞こえる、透き通るような声。……この少女が、弥七の娘。

「わたし、陰矢うめといいます」

 蝋燭台の火が、にわかに大きく揺らいだ。



 うめと名乗った少女は、先ほど弥七が座っていた場所と同じ所まで静々と移動し、正座した。またもや蝋燭台を隔て、相対する格好になる。

 蝋燭の灯りでうめの容姿が先ほどよりはっきり見える。歳は十五、六かと思われるほどの幼い顔立ち。肩まで垂れているつややかな黒髪はよく手入れされているのだろうと思う反面、頭頂部には二本の癖毛が天に向かって伸びていて、蝶の触覚のようになっている。真っ赤な着物は彼女には少し大きいらしく、背中にある蝶結びの帯が前からも丸見えである。美しいというよりは可愛いといったほうが似合うだろう。弥七がこの娘を自慢するのも分かる気がした。

 忠告通り、私は呼吸をできるだけ小さくしていた。うめにも近づきはしない。この行動の意味するところは分からないが、弥七の言葉である。少なくともうめを助けるための忠告であることには間違いない。

 うめは座ったまま固まっていて、なにも話そうとはしなかった。いかにも純情そうな娘である。恥ずかしいのかもしれない。呼吸を小さくしているのでこちらから話しかけることはしたくなかったのだが、このままでは見合いがはじまらないので私が口火を切ることにした。

「あの、本当に失礼なことだとは思うのですが……あなたのことははとこだということ以外、何も聞いていないのです。私はあなたについて、何も知らない……陰矢という家系についても」

 陰矢という名前を出したとき、彼女はぴくりと反応した。恐る恐る、というように顔を上げるうめ。

「陰矢……父から、話を聞いたのですか」

「ええ、多少はね。でも私は、あなたから直接聞きたい。それに勿論、あなた自身のことも知りたい。だってそうでしょう? これは、見合いなんですから」

 ここまでいうと、うめはやっとはにかんだ笑みを見せた。頬には少し朱がさしている。

「そうですね……これは、お見合いなんですものね……ふふっ」

 私は内心興奮していた。うめが笑ってくれた、というものあるが、それよりなにより、自分はこんな可愛い娘を陰矢という檻から解放できる唯一の人間だという実感が、沸いてきたからである。

 私はそれから、ぽつぽつとしゃべるうめの話を、真剣に聞いてやった。見れば見るほど、聞けば聞くほどうめのことが愛おしくなってくる。私は弥七の忠告のことなどすっかり忘れ、呼吸は荒くなり、蝋燭台の境界などとうに越えていた。うめもはじめは恥ずかしがっていたが、徐々に話も饒舌になり、私達は大層盛り上がった。相変わらず畳の上がざらざらしていたが、そんなことはどうでもよかった。多分私は狂っていた。だが狂っていたっていいではないか。うめと仲良くして、うめの話を真剣に聞いてやって何が悪い。これは見合いだ。そうだ、もっと親密になれ。もっと肌を寄せろ。私達はこの屋敷を逃亡し結ばれる身なのだ。

「あなたは聞き上手、というものですね。わたしはこの屋敷で厳しく育てられてきた故、人に頼るということを知らないのです。わたし、あなたに……甘えてしまいそうです」

「そうか、そうか。甘えてくれていい。うめの頼みならなんでも聞いてやれる気がする」

「嬉しいですわ。では……一つ質問したいのです」

 うめは顔を寄せ、私の耳元で甘く囁いた。

「あなたは、わたしのためならなんでもしてくださいますか……」

「ああ、何でもするさ。何をして欲しいのだ」

 うめは耳元から離れ、私をじっと見つめた。その目には涙が滲んでいる。

 ……涙?

 と、いきなりガシャンという音がして、蝋燭台が倒れた。火はかき消えてしまい、何も見えなくなる。同時に自分の胴体になにかが巻き付いてきた。いや、巻き付くなんてレベルではない。締め付けられる。内蔵が出てきそうな圧倒的な力に思わず呻き声が漏れた。

「は……なん、だこれ」

 自分の体は宙に浮いていた。そして体を締め付けるもの……なにかグロテスクな、そう、これは……触手?

「おい、うめ!」 

突然襖が開け放たれる音。この声は、弥七か。

「うめ……ダメ、だったのか」

弥七が部屋に入ってくる。そうだ、うめは? うめはどこにいったのだ。

「お父さん、ごめんね……やっぱり、無理だよ」

うめの声。私の真下から聞こえる。得体の知れないものに巻き付かれているこの状況、うめだけでも逃がしたい。そう思って私はありったけの力で触手に抵抗し、うめのほうを向いた。

 そこで見てしまった。

 うめの着物の裾から、何本も何本も何本も生えている、蠢く触手を。

「お前もお前だ。うめには近づくな、呼吸は我慢しろと言っただろう……うめの鱗粉には催眠作用があるんだ」

「り……鱗粉?」

 なんだ、それは……蝶とか蛾にある、あれか?

「……見えねえのかよ。うめの背中についてる、アレが」

 弥七が指差す先、うめの背中の、大きな蝶結びがあった場所に、蝶の羽が二枚、輝いていた。それは月光蝶のような神々しさをみせながらも、うめという人間に生えている体の一部だった。羽と触手を生やしたうめは、こぼれる涙をぬぐいながらひたすら私に謝っている。

「ごめんなさい、ごめんなさい……わたしは本当に、本当に外の世界にいきたかった。あなたがわたしを連れて行ってくれるんだって、確信してました。でも、やっぱり陰矢の血には逆らえない。この醜悪な姿……これが陰矢の本性、本能なんです。鱗粉で男を誘って、力でねじ伏せ、後継とする……この方法で陰矢は存続してきたんです」

 ……床に散らばっていたのは、うめの鱗粉。そして先ほど陥っていた異様なまでのうめへの執着は、この粉の催眠作用。

 なるほど、私は徹頭徹尾、罠に嵌められていたのか……

「……分かったところでもう遅い。お前はうめのためならなんでもすると、そう言った。もう撤回はできない。一生、陰矢という名を背負って生きることになるだろう。皮肉にも、一度母の代で離脱した家系に戻ってきたんだ。お前には失望した」

 だが、と弥七は続けた。

「それ以上にお前には同情する。なんたって、お前と俺は全く同じ立場になっちまったんだからな」

  


 この後うめは触手を解き、私を解放してくれた。弥七の話によればうめの鱗粉を十分に吸った私は、もう陰矢としての血が流れ、うめに逆らうこともできないらしい。今ならば、母が言っていたことが理解できる。掟とは、陰矢の掟。泣いていたのは、見合いの嬉しさではなく、息子を陰矢に送り出す悲しさ。……だが、理解できたところで意味はない。だって、私の人生はもう、陰矢に捧げることに決まったのだから。



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