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01 どうやらいきなり拉致られた。

 これは一体全体どういう状況なのだろうか。

 ……などと、大沢朋幸は考えた。

 朋幸は現在、いかにも不様な体勢で車の後部座席にひっくり返り、茫然自失の体で低い天井を眺め続けている。記しておくならば、別に好き好んでこのような有り様でいるわけではない。無理矢車内へ理押し込まれたが故の体勢だ。ちなみにその蛮行を働いた相手は現在運転席にて無言で車を走らせ続けている。

 それはまったくもって見知らぬ若い男で、

 つまり大沢朋幸は現在進行形で誘拐されている最中だった。


「(同窓会、間に合いそうにないなこれは)」


 折角定時で上がれたというのに。

 胸中で零し、空中には溜め息を。この期に及んで杞憂はソレか、と彼女の知人友人がこの場にいたならば後頭部辺りを盛大に殴っているところであろう。しかしまぁこれが大沢朋幸という人物なのである――肝が据わっているのか単なる天然呆けなのかは当人にも周囲にもよくわかっていない。


 さてどうしたものか。


 仰向けに転がったまま彼女は高く足を組んだ。そうすることで視界の端に踵の高いストレッチブーツが入り込む。黒色のそれをくるくると彩るのはやかましいような色合いのネオンサインだ。と言うことは、今はまだ繁華街を走行中か。太股をずり上がってくるスカートを指先で直しつつ朋幸は考える。まぁ、まだこうして押し込められてから十分も経過してはいない……はず。あっけにとられていたので保証は出来ないが、はず、なので、まだ見知った土地を出てはいないだろう。

 それにしても、


 ひっくり返ったそのままの格好で朋幸は腕を組み、うぅん、と唸る。そうして、男かと見紛うベリーベリーショートの黒髪をパンチングレザーのシートへ擦りつけるようにして首を傾げた。

 今年で二十四歳を数える朋幸はそれなりに酸いも甘いも経験してきたつもり……だったのだが、いくら考えても現状に納得することは出来ない。


 まず、何で自分なんだ。


 そこのところが心底不思議でならない。身長が百八十を超えている大女なぞ普通攫うか? などと首を傾げる。なお、朋幸は自分が整った顔立ちであることや、細く引き締まった体が凹凸こそ少ないもののしっかりと女性的である事、すらりと伸びた細い脚などは一部嗜好を大いに刺激するものである事をまったく自覚していない。


 次に、そもそも何故自分はろくな抵抗もせず不様に無防備にこうして車内へ引きずり込まれてしまったのだろうかと疑問が湧く。大沢朋幸は「生まれた子には強く逞しく育って欲しい」という母たっての願いにより一通りの格闘技を習得させられているので腕っ節はそこそこ強いし関節技はかけるのも外すのも得意な方なのだ。だというのに、こうしてうっかりなすがまま後部座席の上に転がっていたりする。

 まったくもって謎だ……否、


「(コイツが、)」


 ちらり、と彼女は運転席のシートを胡乱な目で見つめた。


「(あの時、あんな顔をするからだ)」


 思い返す。すぐ手前に止まった車から出てきた黒衣の男。特徴という特徴の無いそれ故に作り物めいた美しい顔を紅潮させて、まるでそう生き別れた恋人とでも再会したみたいな喜びに泣き出す寸前の、そんな顔をして駆け寄って来るものだから、驚きのあまりに動きが止まってしまったのだ。


 だっていくら思い返しても脳内の隅々まで検索をかけてもあんな綺麗な顔の男なんて知らない。

 朋幸は特別他人の顔と名前を一致させることが苦手な人間というわけでは無いし、そういった記憶力にはむしろ自信があるくらいなので、あんな風に感動し駆け寄って来るほど親しかった相手を忘れるとは思えない。だからつまり朋幸は彼女を拉致し車を走らせているこの男とは初対面だという事になるのだ。

 なる、のだが……


「(なぁんか、危機感が沸かないんだよなぁ)」


 再三溜め息。男勝りでも腕っ節が強くても男口調であってもこんな名前でも貧相な胸をしていても大沢朋幸が生物学上女であることは歴然とした事実なので、見知らぬ男に車内へ連れ込まれどこぞへかに運ばれているのだから、普通はもっと色々と危惧して慌てるべきであろう。というか彼女が男だとしてもこれは大いに慌てるべき事態である。何せ拉致などされているのだから。

 ……とは、朋幸も一応考えてはいるのである。のだけれども、どうにも危機感が湧いてこない。逃げ出せる自信があるとかそういう事でもなく、

 ただ、そう、”逃げないと”という気持ちになれないのだ。


「(ストックホルム症候群……じゃあねぇよなぁ? やっぱあの顔か? いや、でも普通見ず知らずの相手にあんな顔で駆け寄られたら気持ち悪いだろうたぶん)」


 悩むものの答えは出ない。いい加減にうだうだと考える事に飽いた彼女は、えいやと起き上がり後部座席へ座りなおした。足を高々と組んで手櫛で頭髪を整えてから深く背凭れへ身を沈める。そして、珍妙なマスコットのぶら下がるバックミラーに映るやっぱり特徴の無い作り物めいた端整な顔を睨みつけた。


「なぁ。お前さ、誰」

「…………」


 返答は沈黙。ちらり、と真っ黒い瞳がバックミラー越しに朋幸を見ただけである。


「俺さ、お前のこと覚え無いんだけど。人違いとかじゃねぇの?」

「…………」

「……オイ、コラ、無視すんな」

「無視はしていない」

「あ?」


 漸く発せられた男の声に違和感を覚え朋幸は眉根を寄せた。聞き覚えがあったとかそういう違和感ではなくて、男の声は何だか奇妙に”歪んで”いたのだ。

 発声は正しい。音そのものが歪曲している。まるでよくある古いSF映画に登場する宇宙人が地球の言葉を話すときに演出でかけられるエコーのような、そんなおよそ人間に出せそうもない音。


「お前……?」

「自分でもよくわからない。ただ、お前でなければならないことはわかる」

「はぁ?」


 まったくもって意味がわからない。明後日の返答に朋幸の語尾が跳ね上がった。


「お前頭大丈夫か」

「……正直あまり自信は無い」


 ずっこけた。


「ぅオイ、コラふざけろよテメェ泣かすぞ」

「それは困る」

「困ってるのは俺の方だよ。これから同窓会だってのに拉致とか洒落にもならねぇよ」

「ごめん」

「謝るなら降ろせ……ああいや、むしろ運転代われ。この辺りならまだ道わかるし」

「それは困る」

「だから困ってるのは俺の方だよ。友達と約束してんだよ、用事があるんなら今言ってくれよ」

「それは――」


 答えかけた男の口が途中で閉じた。どうしたのかと前方を見やれば並ぶ車と複数の警察官の姿。――検問だ。こんな場所で珍しいなと朋幸は目を瞬く。それから男へ視線をやれば忌々しそうに舌打ちを零したところで、

 Uターン出来るほどの道幅は無い。既に後ろは車が並んでいるのでバックして引き返すことも出来ない。つまり選択肢はないわけだ。仕方なく車は列に加わり停止した。


 そう待たせず歩み寄ってきた警官に窓を軽く叩いて催促され、男はしぶしぶといった様子で窓を降ろす。ゆるく、冷えた外気が男の髪と朋幸の頬を撫ぜた。昼間はまだあんなに暑いのに、日が暮れればもうすっかり秋の風だなぁ。などとこの状況下で朋幸は考えた。呑気である。

 警官が僅かに屈んで覗きこむとにこやかに口を開いた。


「申し訳ありませんね、実はこの付近で車の盗難がありまして」

「はぁ」


 なるほど、だから普段とは違う場所で検問などしているのか。


「車種は黒のセダンで、持ち主曰くバックミラーのところに娘さんが作ったマスコットが吊り下げてあるそうなんですが」

「はぁ、…………ん?」


 黒のセダンでバックミラーのところにマスコット?

 警官の言葉に朋幸と男は揃って視線をずらす。

 ――バックミラーの下で、明らかに素人の手作りだとわかる珍妙なマスコットが揺れていた。


「…………オイ、コラ、まさかお前」

「ナンバーも報告された物と一致していますね。少しお話を伺いたいので降りてい」

「盗難車で俺のこと誘拐したのか!!」

「え、誘拐!?」


 朋幸の怒声に――というかその内容に――驚いた警官が声を上げ、それを聞いたらしい他の警官達が目に見えて色めき立つ。

 そんな渦中で男は、


「…………」


 ただ無言で、扉を開いた。


「動くな!」


 警官の怒声など聞こえていないように悠然と、落ち着きはらった動作で車を降りてその前に立つ。そして、


「俺の邪魔をするな」


 あの歪んだ声で告げた刹那に、一陣の風が巻き上がった。


「なっ」

「何だ!? 急に風が……」


 男の機嫌でも取るように、風はゆっくりと一度だけその周囲を巡る。「やれ」短い号令に応じ風は地面を奔って消えそして、

 瞬間、何もかもが吹き飛んだ。


「………………え?」


 警官が、車が、標識が、おもちゃのように吹き飛び両端の歩道へ乗り上げ壁にぶつかりあるいは並ぶ商店の窓を割る。一瞬の間の出来事に朋幸の思考は停止した。どういうことだ。何が起きた。何をした。ぐるぐる回る疑問を扉の閉まる音が絶つ。見れば男が何食わぬ顔で車を発進させるところで、


「オイ、オイお前オイコラ何だよオイコレ何やったんだよオイッ!!」

「邪魔だったから退けた」

「はぁ!?」


 怒りの濃い声が出た。そんな朋幸を無視して車は走り出す。まるで何事もなかったような態度で、けれど振り返れば何人かの警官が起き上がり、呆然と立ち竦んだり他の警官を起こそうとしたりしていて―――音が鳴るほどに奥歯を噛んだ。


「あの人達は仕事してただけだぞ!? しかも車に乗ってたやつらに関しては完全にとばっちりじゃねぇか!!! 店の窓もあれガラスが一面で幾らすると思ってんだ馬鹿かお前!! つか、死人とか」

「死なない程度に加減はした。他は……悪いとは思っている」

「悪いと思うなら最初からやるなよ」

「他にどうしようもなかった」

「そんなこと無ぇだろ諦めんな!」


 なんだか論点がずれている。


「……というか、突っ込むところはソコじゃないと思うぞ言っておくが」

「は? 何でだよ」


 疑問符を浮かべる朋幸に、男は小さく溜め息を零した。


「この”力”について、思う事は無いのか」

「はぁ? だからああいう迷惑行為は止め……」


 途中で言葉を飲み込んだ。

 そうだ、確かに聞くべきことは別にある。


「……お前、何なの」

「魔王だ」


 即答だった。


「…………………………はい?」


 マオウ?


「……えー、あー、波旬とか、サタンとか、イブリースとか、そういう魔王?」

「いや、そういうのは知らないが」

「何でだよ、魔王とか名乗るなら知ってろよそこは」

「知らないものは知らないんだからしょうがないだろ」

「魔王ってもっとこー何か賢い感じだろカリスマ溢れてて一人称が我とかで色々小難しい言い回し使う感じだろ何かイメージ的に」

「偏見だ」

「万とか億とか生きてたり」

「肉体を持ったのは三日くらい前だったと思う」

「生まれたてかよ!?」


 生まれて最初にやらかすことが誘拐とは中々やるじゃねぇかこいつ。などとずれた感心の仕方をしつつ仰け反った朋幸に、魔王を名乗る男は気まずげに視線を逸らした。そのままぶつぶつと「生まれる日とかそんなの俺の都合でどうこうできることじゃないし」などと呟きだしたので、朋幸はとりあえず座席の背を蹴飛ばして前見て運転しろバカと注意しておいた。事故られても困るので。


「はー……それで? 俺拉致ってどーすんの。お前魔王なんだろ? だったら攫うのってこーゆー場合あれじゃん、どっかのお姫様とか何かそんな感じの子だろ」


 自分など攫っていったい魔王に何の得があるというのか。叙述詩にするにしてもこんな男みたいなのが攫われるんじゃ絵面的に大問題だろうが。などとやはりずれた思考を展開する朋幸。

 バックミラー越しに、魔王が胡乱に双眸を細めた。 


「……というか、重ね重ね突っ込むところはソコじゃないと思うぞ言っておくが」

「は? 何でだよ合ってるだろ俺みたいな一般市民攫ってどーすんだよ魔王だろお前」

「俺が魔王だという事に疑問は無いのか?」


 沈黙。

 微かな振動と車の走行音と開けたままの窓から吹き込む都会の騒音とエンジン音と切るような風の音と、そんな物が空白を埋める。

 バックミラー越しに此方を見つめる真っ黒な双玉に、こてん、と朋幸は首を傾けた。


「なんだ、嘘なのか?」

「いや、流石にこんな嘘を吐くほど可笑しな頭はしてない」

「なんだよだったら俺の突っ込み間違ってねぇじゃねぇかよ」

「いやおかしいだろう色々と。よくわからないが」

「よくわからないんだったら間違ってねぇんだよ気のせいだって。それで、なんで俺のこと攫ったのお前」


 あと目的地無いなら車止めろよガソリンもったいないだろ俺逃げないからさ。割とどうでもよさそうな声音で紡げば呆れたような薄っぺらい沈黙が返ってきたけれど、朋幸はそ知らぬ顔で見返すばかりだった。


「…………お前、今がどういう状況なのか本当にわかっているのか?」

「同窓会に行く筈だったのに魔王に拉致られてる。俺としてはさっさと用事終わらせて同窓会に参加したい」

「どんだけ同窓会に行きたいんだお前は。そうじゃなくて、もっとこう……色々と心配したらどうなんだ」

「はぁ? 色々? ……二次会あるのかなとか?」

「違う。同窓会から離れろ」


 溜め息混じりに言われ唇を尖らせる。何だよ誰のせいで同窓会に遅れてると思ってるんだコノヤロウ。

 睨む視線の端で車は人気の無いわき道へ入り、やがてもったりと停止した。深く運転席へ身を沈めた魔王が深々と息を吐き出し沈む黒髪をがしがしと掻いてから、口を開く。


「わけのわからない能力を持った魔王を名乗る見ず知らずの男に車で誘拐されているんだぞ。そのことについて、もっと考えることは無いのかお前は」

「無いよ。だって考えられるようなこと無いじゃん」


 即答にまた沈黙が落ちる。呆れたような、そう言われてみればその通りだと妙に納得したような、否それにしてももっと何かあるんじゃないかと熟考するような、そんな奇妙に雄弁な沈黙だった。

 朋幸から言わせればどの口がほざきやがるってなものである。この理不尽な状況を作っているのは男の方なのだから。


 あぁ、いい加減にして欲しい。会話は一向に堂々巡りだし理解できないことばかりだし同窓会には行けないし、誰でもいいから現状を打破してくれる者はいないだろうか。などと腕を組み軽く息を吐き出した時、だった。

 車全体を重い衝撃が襲ったのは。

 驚き目を剥いた視界の端に何かが落ちる。


「?」

「え、何、え?」

「まおうさまああぁあああ!!!」


 つんざいたのは子供のように舌っ足らずで甲高い声だった。開きっぱなしだった窓に飛び乗った黒い影は仰け反った魔王へ鼻先を接近させ満月のような金色の瞳を怒りに燃やし黒衣を膨らませる。よく見たらそれは艶やかな毛並みで、


「やぁっと見つけやしたよ魔王様ッ!! よくもまぁ勝手に居なくなってくれやがりやしたねこン畜生め!! あァ!? あっしがどれっだけ探し回ったとお思いでさァ!? えェ!?」


 次の瞬間まくし立てられた年季の入った江戸っ子口調にさしもの朋幸も後部座席でのけぞった。幼い声音だというのに、どすのきかせ具合がそこらの筋者よりもなんというか、怖い。

 ほとんど背中から倒れこむようにして仰け反っている魔王はといえば、腹の上に陣取られての怒声に、しどろもどろと視線を彷徨わせて


「…………えっと、その……ごめんなさい」


 謝った。普通に謝った。フン、と影が鼻を鳴らす。


「悪いと思ってくださるンでしたらね、今後はせめてやつがれを連れて御出でになってくだせぇまし。物質界と魔界の二界を三日三晩も探し回るのはもう御免ですぜ」

「ごめん、悪かった」

「素直で宜しい」


 こっくり、頷いたそれは、魔王の子供みたいな謝罪で勘弁してやることにしたらしく、剣幕の割にはあっさりと怒気を収めると、ぴょんと身軽に車内へ入り込み、助手席へ腰を下ろすと一度長い尾を揺らした。そこまで至ってから朋幸は漸く気がつく。

 ――猫だ。

 黒毛に金色の瞳を持つ猫が人間の言葉を話し魔王を叱っていたのだ。

 流石の非常識人間大沢朋幸も目を剥いたまま動けない。目の前で、猫が、喋っている。


「ね……ねこまたっ」

「おや博識で。てっきり化け猫とでもおっしゃられるかと思いやしたが」


 くつり、口を歪ませくりんと大きな双眸を細めて猫が笑う。かぁああっと朋幸の頬が紅潮した。


「すげっ、しゃべっ、わらっ、うわああ本物の猫又だ!? さ、ささ、触っていいか!?」

「…………随分とまぁ珍しい反応でございやすねぇ」


 昔はおのれ化け猫と斬り付けられたものでございやしたが、いやはや時代は変わるものでございますなぁ。遠い目をして猫又が呟く横で魔王が、いや、時代とか多分関係ないと思うぞとぼそぼそ突っ込んだ。まったくもってその通りである。


「さて、まァ、あっしは見ての通り猫又の、又吉と申しますケチな野郎でございやすが、そちらさまは何者でござんすかね? 魔王様とは如何なご関係で?」

「あ、えと、俺はあの今そこの魔王にちょっと誘拐されてる一般市民の人間です」

「は?」


 沈黙が降りた。この一時間足らずの間に一体何度この車の中に沈黙が訪れただろう。とにかく幾度目かの沈黙は、しかし今までにない程にそれはそれは冷ややかなものだった。

 ゆぅらり、猫又の又吉は金目で魔王を睨めあげる。

 魔王はそっと気まずそうに視線を外した。


「何を目ェ逸らしてやがるんですかい魔王様、あんた産まれて最初にやるのが娘ッ子の誘拐たぁ何考えてやがんでいこのド阿呆が!! (あやかし)どもへの顔見せも済んでねぇってぇのに女にうつつをぬかすなんて、あああ世話役として恥ずかしい! 顔から火が出そうでさァ!!」

「…………別に、魔王なんだから誘拐ぐらいしてもいいじゃないか」

「魔王だからってなぁどういう了見だい、えぇ!?」


 喧々囂々怒鳴られて、運転席で魔王が小さくなっていく。立場が随分とはっきりした主人と従者だなぁと、又吉の剣幕に少しだけ慣れた朋幸は他人事にそう思った。その間にも巻き舌江戸弁で怒鳴り続けていた又吉は、ひとしきり捲し立て終わるとドアにへばりつくみたいにして縮こまっている魔王を一睨みしてから深々と溜め息を吐き出した。そうしてから後部座席へ滑り込むと慌てて場所を開けた朋幸の隣へ座り、まぁるい目で見上げ、


「娘さんには大変失礼をば致しやした。何分魔王様はまだお生まれになられて三日と経っておりやせんもので、物の道理というものを存じていないんでございやすよ。いや本当に申し訳ない。世話役として、あっしが代わって陳謝させていただきやす」

「これはご丁寧にどうも」


 ぺこり、猫と人が向き合って頭を下げあう。奇妙を通り越していっそ微笑ましい絵面である。しかし又吉のなんと艶やかな毛並みだろうか。薄闇でも判る濡れたような黒に朋幸はほうと溜め息を吐き出した。ああ撫でたい。


「すぐに元居られた場所までお送りいたしやすので……」

「待て、それはダメだ」


 狼狽した声が割り込んで来た。くるりと同時に顔を向ければ、表情の変化に乏しい顔で魔王が運転席に隠れるみたいにして此方を見ている。相当又吉が怖いらしい。その又吉がじっとりと魔王を睨めつけた。


「何がダメなんでさァ、魔王様?」

「かっ、帰すのはダメだ。やっと見つけたのに帰すなんてダメだ」

「「はぁ?」」


 又吉と朋幸の疑問符が重なる。

 やっと見つけたとかお前じゃないとダメだとか、どちらも初対面の相手に言うような台詞では無い。だけれどやっぱり朋幸には魔王などと面識は無かったし、そもそも産まれたのが三日前ならば会っている筈が無いではないか。

 ……なのに、何でこの男はこんなにも必死になって自分を繋ぎとめようとするのか。


「訳の分からない駄々はよしてくだせぇ、魔王様」


 噛んで含めるようにして又吉が嗜める。


「魔王として生まれたからには守って頂かなくてはならねえ道理や面子、体裁や威厳ってェもんがございやす、手前勝手な振る舞いは困りやすよ」

「…………」


 ぐぅ、と魔王が呻いたようだった。それから真っ黒な瞳の視軸が横にずれて、様子を眺めていた朋幸のそれとぶつかった。感情の吐露など無いガラスか鏡のような瞳。だというのに、そこに悲しげな色を見つけてしまうのは朋幸の錯覚なのだろうか。

 ……それは飼い主と引き離されそうになっている犬のような目だった。透明で濡れた目。縋られているように思うのは、その瞳を見る自分の中に罪悪感があるからだ。なんだってそんなものを感じないといけないんだか、理不尽に思ったが思ってしまうものはどうしようもない。

 朋幸はがしがしと頭を掻いた。


「あー……めんっどくせぇ」


 自分は同窓会に行きたくて、でも男は自分を捕まえていたくて、猫又は自分を帰そうとしてくれている。堂々巡りだ。男が主張を曲げない限りは延々同じやり取りを繰り返さなくてはならないだろう。そういう不毛なのは、短気な性質の朋幸に合わない。


「めんどくせぇからもうさ、あれだ、三人で同窓会行こうぜ。とりあえず同窓会行こう」

「「……は?」」

「そんでその後どうするか決めようぜ。俺あれだ明日休みだし」


 明日一日で決まらなければしばらく泊めてやっても構わない。幸いマンションの一室はそう散らかってもいないし客間もある。食事はどうしようか。こいつら何食うんだろうか。なんて一気に思考を飛躍させる。


「えっ、でも、いいのか? 俺魔王だぞ?」

「悪かったらそもそも提案しねぇだろ」

「あ、そ、そうか」


 そういう問題では無いんじゃあ、と又吉は思ったが思うだけにしておいた。


「……流石に猫は連れて入れねぇんじゃあねぇですかい?」

「何とかなるだろ。ぬいぐるみのフリするとかさ。とりあえず運転代われよお前どうせあれだろ免許とか持ってないだろ。つかなんで運転の仕方知ってんの?」

「見て覚えた」

「魔王様は凡百生物の頭の中をスキャンして能力や技術を模倣する事が出来るんですよ」

「へぇ、じゃあ元の奴が運転上手かったんだな。下手糞コピーしなくてよかったなー」


 などと、もはや何かが決定的にずれてしまっているやり取りを何の疑問も無く交わしながら朋幸は車外へ出た。タイミングよく夜風が吹いて、どこか近くの家の植木をざぁっと揺らす。うんと伸びをしながら見上げた空は星も見えず黒々としていたけれど、へこんだ月の光だけはやけに煌々と明るい。

 満月か新月ならばよかったのに。伸ばした先、月明かりに淡く白銀に光るリングとその先にある居待月を眺めながら朋幸は考えた。

 こんな非日常には、きっとそのどちらかの方がよほど似合っただろうに。


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