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013 襲撃その2

 それから一週間程は何事も無く経過した。

 それから、と云うのは叶と会話した日から、と云うことで、ぐるっとまわって通りすぎて翌週の金曜日、つつがなく仕事を終わらせ帰路につき、今日一日も何もなく終わりそうだなぁ、などと考えつつ朋幸が真李亜宅であるアパルトメントへの夜道を歩いていたら、


 道中に翠が立っていた。


 またも仁王立ちで、朋幸をきつく睨んで佇立していた。こうして改めて見てみるとパーツは同じだというのに叶とは似ても似つかない。

 例えるならば叶は霧で翠は氷だ。

 叶の白霧は眩ませ惑わすものだけれど、翠の氷塊は明確な意志と殺意でもって対象を貫き芯まで凍てつかせ破壊する凶器であろう。


 実際、こうして改めて対峙してみると、翠自身がそのもの一個の凶器のようではないか。氷どころか全自動型殺戮兵器だ。しかも開発者や使用者の手を離れて暴走し人類の淘汰を目論んだりするタイプのどうしようもない兵器っぽい。そして、たぶんその予想はまるっきりそのまんまだろう。喩え話にもなっちゃいない。

 朋幸はそんなことをつらつらと考えた。その考えが聞こえたわけでも視えたわけでもないだろうに翠は、


「貴様を排除する」


 なんて、そのものズバリな台詞を吐き出し、今回は隠すことなくベルトで肩から下げていた一抱えほどもある銃――朋幸には生憎銃器類の知識が無いので知らないが、それはH&K社がリリースしているXM8コンパクト・カービンという銃器で、強化プラスチックを使用した軽量の、H&K社特有の近未来的形状をしたアサルトライフルであった――それをコンマ一秒で構え銃口をまっすぐに朋幸の胴体へ向け、

 タタンッ と二発、俗にいうタップ打ち。


 朋幸はといえば翠が口を開いた時点でもう避ける挙動に入っていたので、なんとか、上体を屈め斜め前へと跳んで回避。続け、追いかけるというよりは避けた先を予測したような極めて速い動きで銃口を向けられるのを確認しきる前に、ほとんど脊髄反射で銃上部の持ち手を叩き伏せるように下向け押さえつけた。


「ちょっ待て待て待て!!」


 一瞬、ほんの刹那だけ、アイスブルーの瞳が瞠られたように視えた。が、それ以上の驚きを表すこと無く銃を手放すとその動作に便乗するような流れでもって右手で右腰のナイフを掴むと、殴りつけるような勢いで斬りつけてきた。

 躊躇なく顔を狙った一撃だった。

 仰け反った朋幸の顎から頬へ浅く赤いラインが走る。


「いっ――」


 痛ぇ、と文句を言う暇もなく靴底が地面を見失う。仰向けに倒れる途中でなんとか腕を割り込み受け身をとって、その腕をバネに横へ飛び退いた。転がり立ち上がって見てみれば朋幸の頭が、より正確に云うならば頸があった位置に振り下ろされたのだろうナイフが歩道を抉る寸前で留まっている。朋幸がぞっと背筋を冷たくしている間にそれを鞘へと収めると再びアサルトライフルを今度は片手で持つと放射線を描くようにフルオート射撃を展開した。


 上へ跳ぶには高くしゃがんで避けるには低い膝上ほどの高さの位置の、しかもほとんど振り回しているような連射は、当然後ろにだって避けようがない。走ったって間に合わない。先読みでもしなければ、避けられるわけがないのだ。格闘技をかじった程度の一般人に、殺すつもりの攻撃なんて。

 朋幸は咄嗟にその場で防御の姿勢をとった。

 それぐらいしか出来なかった。

 その行為が実を結んだわけでは絶対に無いのだろうけれど、それはまず確実に断言できるのだけれども、

 朋幸に触れる前に、弾丸は全て光の膜に弾き飛ばされた。


「……は」


 ぱちくり、瞬き。

 翠を見れば、あちらも同様に、あるいは朋幸以上の驚愕を鉄面皮に貼り付け双眸を見開いている。――が、即座に感情を立て直し、朋幸がまだ混乱の中にあるうちに翠は銃を構え直すとフルオート射撃のままで朋幸を攻撃した。


 二メートルも間のない至近距離からの連射は改まると恐怖心以上にやかましい。思わず、あるまじき事に、両手で耳をふさいだ朋幸の二十センチほど手前で、やはりというか、銃弾は全て弾き飛ばされる。弾丸が当たる度に、つまり連続して、黄昏みたいな金色をした緩い楕円が光を放ち夕焼け色の火花を散らす。

 コンタクトレンズみたいな形だ。

 異様な光景を前に朋幸はそんなことを思った。

 それから、綺麗、だとも。


「障壁か」


 翠が言う。銃声はいつの間にか止んでいた。


「貴様の魔法……では無いな。魔王の加護か」

「へ……?」

「その指輪だな」


 指輪。息を呑んで眼前で手を開く。翠の言葉を裏付けるように、左薬指の根本に座すプラチナリングが宵闇の中で黄昏を蓄えたみたいな光を纏っていた。

 どこか懐かしいような光だ。けれど、

 朋幸の胸を突き上げたのは、明確な、憤怒、だった。


「あ、のっやろう……ッッ」


 何もするなって言ったのに。

 大切な指輪だから、何もするなって言ったのに。

 何もしないって、言ったのに。


「……やはり、貴様は危険だな」


 朋幸の激情になど気づきもせずに翠は呟く。


「魔女でなかろうが、今は何も企んでいなかろうが、魔王を意のままに使役出来る存在など、あってはならない。いつか脅威となりうる者を、何故見逃すことが出来る」


 それは朋幸に言うのでも、自身へ向けた言葉でも無く、この場にはいない者達への、叱責のようだった。


「いずれ脅威となるかもしれない存在ならば、存在を許すべきでは無い」


 暴論だ。可能性だけを云うのならば、それは全ての生命が対象となるロジックである。翠自身さえ対象となる論拠だろう。だと云うのに殺戮兵器は凶器を翳す。一片の疑問も躊躇も無く、

 杖を、構える。


「貴様を排除する」


 一振りで杖は刃と化す。飾りっけの無いグラディウス。凶刃を構えて、踏み込んだ。高く、高く、鉄を打ったような音が響く。火花が散る。朋幸の眼前で光が刃を食い留めている。

 否、喰らい付いた。


「なっ」


 三度目の今度こそ、翠の口から驚嘆の声が漏れた。

 光が刃にまとわりつく。その様を見せつけられて数歩を後退する。その僅かの間に光は翠の腕にまで達し、輝きを一層強く

 翠が猛く吠えた。


「いっ」


 反射的に耳を塞ぐほどの、それは音による攻撃だ。言葉にすらなっていない獣のような咆哮に、光が瞬間はじけ飛んだ。

 勢い余ったのか、翠が数歩蹈鞴を踏んで距離を置く。杖を握る方の腕を支えるように反対の手で握りしめ、アイスブルーの双眸が焼け付くような憤怒で朋幸を――朋幸の指輪を、睨みつけた。


「魔力を吸収するか……成る程、上手い事を考えたものだな……忌々しい」


 ――これでは手が出せない。

 吐き捨てる息が上がっている。


「お……おい、大丈夫か……?」

「敵の心配とは、余裕だな」


 くつり、凄惨に笑って、

 翠は朋幸に背を向けた。


「お、おい?」

「物理的攻撃は障壁により防御され、魔力を使った攻撃は全て吸収される。これでは今の俺に貴様を殺す術がない。よって撤退する」

「撤退……って」


 魔王相手にはあんなにも食い下がったというのに、あっさりしたものだ。

 否、そうではないのか。

 食い下がった結果、退くしか無いと判断したのか。


「……あ、歩いて帰んのか?」


 桜花も叶も魔法で瞬きの間に消えて行ったのに。

 朋幸の場違いな疑問に、翠は首だけで振り向くと嘲笑った。


「飛翔や目眩ましの魔法を使えるだけの魔力も残っていない。見ていただろう。その指輪に根こそぎ食われた」


 指輪に。

 朋幸の顔が強張る。


「大体、飛翔も転移もかなりの魔力を食うし俺が使う分には詠唱も必要だ。目眩ましは、あれは俺には出来ん。よって、俺は惨めに歩いて撤退する他に無い。背後から襲いたければ好きにしろ。二度目は無い。これが貴様にとって唯一の好機だ」


 俺なら殺す。

 なんでも無い事のように翠は言う。敗れたというのに、足元がふらついてさえいるのに、それはあまりにも堂々とした態度だった。殺されるかもしれないというのに、まるでそれが日常の事みたいな平静さだ。

 朋幸はそんな翠の事を、初めて、怖いと思った。


「殺せるわけねぇだろ」


 硬い声が言う。


「殺すとか、殺されるとか、馬鹿じゃねぇの。どこの世界の話だよ。ここは日本だぞ」

「世界中のどこでだって誰かが殺し合っている。別に特筆するべき事でさえ無い、ごく当たり前の話だ」


 億劫そうにそう答えて、翠は宣言通り無防備に歩き出した。その背中に、殺されるかもしれないという緊張感など微塵も見当たらない。

 朋幸には殺せやしないと判断したのだろうか。

 それとも、


「……お前、おかしいよ」


 思わず言葉が零れ出ていた。朋幸の顔が戸惑いを映して苦く軋む。


「意味わかんねぇ」

「魔女だからな」


 対する翠は振り向きもせず、ただ少しの間だけ立ち止まって、


「魔女とは、狂っていなければならない」


 答えた声は力強く誇らしげで、

 朋幸にはやはり、まったく理解出来なかった。


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