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序 今は遠い日の約束

「お前さ、生まれ変わりって信じるか?」


 そんな脈絡の無い台詞に、少女は何とも不思議そうな顔で隣に立つ幼馴染を見返した。

 生まれ育った街並みを遠く背景にして少年は此処ではない彼方を見据えている。

 何処を観ているのだろうか。……何処も視ていなのだろうか。首を傾げ沈黙する少女をチラリと見、質問が聞き取れなかったのだと解釈した少年は繰り返した。


「生まれ変わりって、」

「聞いてたよ。信じるかどうかだろ? てゆーかさ、うまれかわるって、りんねてんしょーのことだろ? お前仏教徒だったっけ?」


 なんて、訪ね返された言葉は小学六年生の女児が使うには似つかわしくないものだった。こんな回答はまぁ当然ながら想定外だったのだろう、少年がきょとんと目を瞬く。対して、少女は何故困惑するのかが分からない、とでも言うような不思議そうな顔をして少年を見返すばかりだ。

 少年の首がわずかに傾く。


「いや……なんでそうなるんだよ?」

「りんねてんしょーのがいねんって仏教とかヒンドゥー教とかだろ」

「いや、そういうのおれ知らねぇよ」


 傾いたままの顔の上で眉尻がへにゃりと下がって大層間抜けな顔になった。対照的に少女は眉尻を上げ、その下で奥二重のぐりんと大きな瞳に不機嫌を滲ませ、何でだよ、と、唇を尖らせた。


「普通知ってるだろ」

「普通知らねぇよそんなこと」


 普通は知らないだろう。


「じゃあうちでは普通なんだよ、こういう話よくお寺とか行ったらやってるし」

「お前んちの普通とか知らねぇし」

「オレだってお前んちの普通なんて知らねぇし」


 売り言葉に買い言葉とはこのことか。つんとそっぽを向いた少女は、そのまま視軸を街並みへと移してしまった。欄干の上で組んだ腕に顎を埋めて、熱心に景色を眺めているフリをする。そうすると、少年もまた溜息を一つこぼしてから同じ方向へ顔を向けた。


 都会とも田舎とも言い難い、建物の目立つ閑静な住宅街が眼下に広がっている。日本のどこにでもありそうな、別段突出した何か見所があるわけでもない、ごく普通の平凡な顔をした場所。

 二人が生まれ育った街は、こうして見下ろすとなんだか腕を振り上げて、手の平でぺしゃんと叩いたら潰れてしまいそうだ。眼下でどこまでも続いていく小さいけど広い街を眺めながら少女はいつだってそんなことを思う。


 明確な不満があるわけではないのだけれども、見ていると切ないような憎たらしいような気持ちがこみ上げてきて、全部なぎ払ってしまいたくなるのだ。建物も、人も、全部。けれど同じくらいに、それが出来てしまいそうなくらい小さく見える街が、妙に愛おしくも感じている。

 なんにせよ、どうせこの街から逃げることなど出来やしない。

 そんなことを考えた自身を、少女はこっそりと腕の中で笑った。

 ――逃げたいのは街からじゃないし、逃げたってどうしようもないじゃないか。

 それは自嘲と諦観の笑みだった。


「なんでオレたち子供なんだろうな」


 早口の小声は、返事を期待したものではなかったのだろう。けれど少年はちらと少女を見上げてから、さぁ、となんでもなく答えた。


「子供だからだろ」


 もう冬も近いのに半袖の薄いシャツが風でめくれて変色した腹部が一瞬だけ覗いた。

 後頭部の凹凸を慎重になぞりながら少年が続ける。


「大人になったからって、大人になれるわけじゃないけどさ」

「お前の親はクズだ」

「しょうがねぇよ、それでも親だもん」


 なぞっていた手を腫れた頬へやりながら言う、その口調はまるで天気予報の話をするよりも平静で日常的だ。


「親だけどアイツらおれよりも子供なんだもん。しょうがねぇよ」

「しょうがなくねぇ」

「しょうがねぇよ。親選べねぇもん」


 少年があんまりにもいつもどおりだから、いつもどおり少女は泣きそうになった。悔しくて腹が立って、唇を噛む。

 子供じゃなかったら――

 守れるのだろうに。いろんなものを。それは例えば世界で一番大切な奴の身とか、心とか、それに自分自身の心とか、よくわからないけれど、そういう、あらゆるものを、きっと守れるんだろう。

 きっと。


「もし生まれ変わったらさ」


 不意に少年が口を開いたから少女は横目で見たけれど、少年の方は先程のように前を見つめたままだった。横顔に残光が差して、瞳がちらちらと煌めいている。日本人にしては珍しい、明るい薄茶色に濃茶が波を描く瞳。光が差し込むと角度で色合いを変える宝石みたいな眼。

 きっと、これより綺麗なものなんて何処にも存在しない。

 横顔のまま、少し硬い声が言う。


「それでもおれは絶対にお前に惚れるんだろうなって、そう思ったんだよ」


 ごう、と風が二人を叩くように吹き上げて、吹き荒れて、薄闇の空に抜けていった。

 もう、夕飯時だ。風が運んできたどこかの家の煮物の匂いにそんなことを思う。少年の瞳の中でちらちらと燃えていた斜光が、見つめている間に消えてしまった。

 少年が、ちらりと不安げな視線を少女へよこした。そこで漸く、口を開く。


「……”絶対”なのに”だろうな”で終わるのはおかしくねぇか?」

「いや、おい、突っ込むところそこじゃないぞ言っとくけど」

「なんでだよ、合ってるだろ」

「合ってねぇよ。おれ今、お前に告白したんだぞ」

「あぁ」


 そういえばそういう話だったか。といった意味合いの感動詞に少年の頬がひきりと引き攣って、唇が物言いたげに戦慄いたけれど、結局肩を落とすと諦めたように欄干へと突っ伏した。そんな少年の反応に頬を掻いて少女は、「あー……」……だなんて、およそ告白に応えるには相応しくない間延びした声で沈黙を埋めてから、はたと目を瞬く。


「……え? ってことはお前……え? お前オレのこと女として見てたのか。びっくりした」

「驚くところもそこじゃねぇよ」


 突っ伏したままげんなりと呻く少年。


「だってびっくりしたもんはびっくりしたんだもんよ」


 自分でさえあんまり自分のことを女だと思っていないのに。そうのたまってから、そうか、お前はオレが好きなのか。そう口中で事実を噛み砕くように呟くと、少女はううんと首を捻った。


「つか、今のお前がオレに、あー、惚れてたとしても、来世で惚れるのはありえないんじゃねぇか」

「何でだよ」

「だって生まれ変わりって、同じ魂使ってるってだけで結局は他人なんだぞ。オレみたいな男女に惚れるすいきょうなのがお前以外にいると思えねぇよ」

「すいきょうって何」

「変人ってことだよ」

「変人じゃねぇよ。つかお前女子だけじゃなくって、けっこー男子にもちゃんとモテてるんだからな気づいてねぇだろうけど」


 少年のそんな主張に、少女はきょとんと瞬いた眼を次には胡乱に細めた。


「いや……流石にそんな与太話誰も信じねぇだろ」

「よたばなしって何」

「嘘とか冗談とか作り話のことだよ」

「本当だっつの」


 はぁ、と少年が盛大に溜め息を吐き出して、それがあまりに疲労感漂うものだったから少女はなんだかよくわかんないけど大変そうだなーとぼんやり思った。完全に他人事である。


「それで、返事は」

「返事って?」


 考える様子すらなく問い返した。今度は少年の眼が胡乱に細められる。


「……俺お前に告白したんだけど」

「? ……あー、そっか」


 告白されたのだから、好きとか嫌いだとか答えなければなるまい。

 そう思い至って少女は、


「うん、オレもお前が好きだよ」


 考えもせずにそう答えた。

 考えるまでもない事だった。


「……それさ、友達としてじゃねぇのお前」

「え、どうなの?」

「いやそれはさすがにおれに聞くなよ」

「だってオレのこと一番知ってるのってお前じゃん」


 あんまりにも当たり前に少女が言うものだから、絶句した少年は、けれど小さく吹き出した。


「あぁ、うん、そうだな」

「そうだろ?」

「そうだった」


 なんだかよくわからないけれどなんとなく可笑しくなって、それからしばらくのあいだ二人で笑った。笑っている間に辺りはもうすっかり暗くなってしまって、だから互いを見失わないように手をつないだ。寒かったけれど、身を寄せあえばそうでもなかった。

 きっと、もうあと何時間も経たないうちに親が探しに来るんだろう。

 子供だから、子供は、夜は家に帰らないといけないものだから。

 それでも、互いの手を強く握り続けた。


「大人になったらさ」


 少年が言う。横顔はもう暗くてよく見えない。けれどきっと、あのきらきらした瞳でまっすぐに前を見ているのだろう。

 強く、握った手に力がこもる。


「けっこんしような」

「うん」


 考えもせずに頷いた。

 考えるまでもない事だった。

 それから、くっつけるだけの不器用なキスをした。

 どんな教会で行われるものよりもきっとずっと、それは厳かで絶対な、誓い、だった。


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