年上の言い訳は見苦しい。
お互いの気持ちに自信のないカップルが朝からバタバタしてるお話。
みなさんはどうするだろう。もし彼氏が自分ではない女の子と楽しげに道を歩いていたら。辛うじて手は繋いでいない。しかし甘ったるい雰囲気がある。そんな2人が向こうから来たら。
駆け寄って殴る?蹴る?暴言を吐く?言い訳を聞く?無理矢理取り戻す?証拠写真を撮る?さりげなく電話する?
彼氏の疑わしい行動にどう思い、どう行動するかは、彼女の自由。
――真琴の場合は、他人の如く無言ですれ違う。例え、あちら側が気付いていても。
毎週月曜日の朝は、弁明の日。
「真琴ちゃん?あれには色々と事情が……」
疑わしい行動をとっていた仁が、真琴の教室にやって来てつらつらと代わり映えのない言葉を並べる。真琴はそれをただ聞くだけ。黙って何も言わずに。この光景はいつの間にか学校全体の習慣のようになっていて、今ではそのやり取りを気にする者は誰もいない。最終的には、真琴が仁を許すから。
だから。
「別れましょうか、先輩」
真琴のその一言は、仁だけでなくその場にいたクラスメイトにも衝撃を与えた。
「高井のやつ今……」
「別れる……て言った、よな?」
「ついに、マジな修羅場、か?」
「おいおい、マジかよ……」
「ま、真琴ちゃん……」
日常を覆す展開に教室はざわめき出す。騒がしくなった教室の中で、仁は固まる。
仁の方をちらりとも見ない真琴に、ますます周囲は混乱する。冷静なのは本人のみ。バックから教科書や筆記用具を取り出しながら、隣の席の子に真琴は話しかける。
「1限って、コンピューター室だよね?」
「え、あ、う、うん」
相手の戸惑う様子を気にもせず、真琴は必要なものを持って席を立った。教室を出る瞬間、仁が縋るように、真琴の腕を掴む。今までにも見たことのある図ではあるが雰囲気が全く違いすぎて、周囲もそわそわと落ち着かない。
「離してください」
「ごめん、ほんとにごめん」
拒絶するような真琴の背中に必死に謝る姿は、実に情けなく、でも仁はどうでも良かった。やりすぎた、と後悔に襲われる。こんなはずではなかったのに。
「怒ってるよね、ごめん」
「怒ってません、呆れてるんです」
返ってきた言葉にますます仁は小さくなる。それはそうだ。こんな男呆れられて当然……
「自分に」
「……え?」
付け加えるように聞こえた単語に仁は首を傾げる。どういう、意味なのか。そして、ゆっくりと仁の方へ振り返った真琴の顔に、仁は言葉をなくす。完璧すぎる笑顔。作った笑顔。見たことのない、顔。
「そんなに面白かった?」
「……ま、真琴ちゃ」
「私で遊んで、楽しかった?」
「ち、ちが…!」
こんな顔をさせたかったわけじゃない。こんなはずじゃなかった。ただ、ただ。
「急ぐから」
「あ…!」
言葉に詰まった隙をついて、突き放される。勢いよく教室を飛び出した真琴と、すぐさま体勢を整えてそれに続く仁。振り返らなくても分かる足音に、真琴の足も速くなる。あっという間に、廊下で追いかけっこが繰り広げられることとなった。
「真琴ちゃん、待って!」
「廊下は走っちゃダメなんですよ!」
「真琴ちゃんだって走ってるよ!」
「それは先輩が追いかけるから!」
さっきまでの殺伐とした雰囲気はどこへやら。十代もあと数年で終わる男女がまさかの廊下で追いかけっこ。今は、子どもの喧嘩にしか見えないこの状況に、周囲は呆れた。
――結局、このふたりは、こうなのだ。
陸上部でもある真琴の脚は侮れないが、そこは仁も男の意地で追いかける。怒鳴る教師の声も無視だ。汗で額に張り付く髪を掻き上げ、縮まってきた距離に、仁はラストスパートをかける。捕まえる、逃がさない、頭には、ただそれだけ。
「――真琴!!」
「……っ!」
わずかにぶれた脚に、仁はぐっとつめ、再び、細い腕を掴んだ。
掴んだと同時に真琴の手から教科書らがバサバサと落ちる。気付いたら階段の踊り場で、他の生徒も教師もいなかった。乱れたふたりの息遣いが静かな空間に響く。
「ま、真琴ちゃ、ん…さすが、速い、ね…」
息絶え絶えに紡がれる言葉に、真琴は答えない。ひたすら逃れようとして。
「……やっ!」
「自信がなかったんだ」
自由だった左手も掴まれ、懇願するように仁は言う。真琴は何も言えず、仁のつむじを見つめる。自信、て、なに。
「真琴ちゃんは、物も時間も何も欲しがらないから、俺のことそうでもないのかなって。告白したのだって俺だったし、真琴ちゃんに好かれてる自信が欲しかったんだ」
なに、それ…と掠れた声が真琴から零れる。
「面白がってたわけじゃない、遊んでたわけじゃない。でも…真琴ちゃんの気持ちを試してたのは事実。ごめん」
さらに低くなる仁の頭を呆然と真琴は見つめる。……先輩、ひどいよ、ずるいよ、卑怯だよ。
「私が、先輩のこと好きじゃないと思ってたんですか?」
「…うん」
くぐもった返事に真琴は顔をしかめる。
「だから、私を試した?」
「…うん、ごめん」
「馬鹿ですね」
「ごめん」
「自分を作ってた自分が馬鹿みたい」
「……え?」
引っかかる言葉に仁は顔を上げる。目の前にいるのは、自嘲気味に笑う真琴だった。
「嫉妬くらい私だってします、好きな人なら尚更」
「え」
目を見開いた仁に真琴は続ける。
「私だって、先輩に嫌われたくなくて、自信なくて」
「真琴、ちゃん…」
「あーもう、こんなんならもっと早く殴ってればよかった!」
「へ!?」
真琴の頬にふれようとしていた仁の手は止まった。
「今から大人しく殴られてくれます?」
「え!?いや、え、その」
「浮気紛いなことしてたのは事実でしょう?」
「うぐ……」
手をひらひらと掲げる真琴に仁はたじたじだ。確かに真琴の言う通り、仁に非が多い。というか完全に仁が悪い。…俺が、悪い、よな。
「…好きなだけ、いいよ。俺が全面的に悪いから」
仁は覚悟を決め、背を正し目を閉じた。
「では、遠慮なく」
スッと空気が動くのが分かった。痛みを覚悟して、こぶしを握り締める。刹那、制服のネクタイが引っ張られ、首が前に傾き、唇に柔らかいものが触れた。離れていく温もりを感じながら、仁は目を開ける。
「痛かったですか?」
無邪気に笑う真琴に、くらりと眩暈がする。……やられた。
「…すごく痛かったよ」
「それは良かったです」
ふふ、と笑みを浮かべる真琴に仁は頭が痛くなりつつも、戻ってきた時間にほっとする。真琴が笑ってる、それが大事だった。それが嬉しかった。
「あ、予鈴だ」
絶妙なタイミングで聞こえてきた音に、真琴は慌てて床に落ちた教科書たちを拾い、乱れた髪を整えて、仁に向き直る。
「じゃ、授業行きますね」
余韻に浸らせることのない言葉に、少し傷つく仁だが、そこは笑顔で耐え抜いた。
「じゃあ、また」
手を振って見送りつつ、背を向けて歩きだした真琴に仁は慌てて声をかけた。
「あのっ!今までの女の子とは、何もしてはないからね?ほんとに!」
ぴたりと足を止め、なかなか振り返らない、真琴に仁は嫌な汗を感じる、……また、やらかした、か?
「先輩」
「は、はい」
笑顔をこちらに向けた真琴に仁は背が伸びる。そして、続く言葉に仁は一生、苦しめられることになる。
「――年上の言い訳は見苦しいですよ?」
fin
読んでいただきありがとうございました。仁、私はお前が嫌いだ!へたれ!