年上は不器用で甘い。
以前、フォレストノベルに掲載した作品です。不器用で甘い年上の彼のお話です。
「んんんっ!おいしいっ!」
口の中で蕩けるような甘さに頬が緩む。だって、フルーツたっぷりの数量限定ケーキなんだから緩まずにはいられない。あいにく、目の前に座る彼は、そんな私…というかケーキを見てコーヒーを片手に軽く身を引いてるわけだけど。
――昨日、コンビニで立ち読みしていた雑誌に掲載されていた新しい喫茶店。『初登場』とか『期間限定』とかとか……、そんな言葉に弱い私は今日、年上の彼を連行しての来店を果たした。
無論、彼が甘いものが苦手なのは百も承知。でもだからって大好きなケーキは捨てられない。私を誘ったあのケーキの写真がいけないんだよ!!うんうん。
「幸隆さんこのケーキおいしいよ~」
フォークに刺さったケーキの欠片を口元にクイッ!……でもそれはすぐに押し返される。
「甘いものは嫌いだ」
……あはは。恐いな~。声がいつもより更に低いよ。不機嫌だ。超不機嫌。
日頃からあまり笑わない人だけど、なんだか今日は性格とかそういうレベルじゃなくて、ほんとに機嫌が悪そう。やっぱり無理矢理連れてくるべきではなかったのだろうか……。
つい最近三十路を迎えた彼は、ちょっとばかり大きい企業に勤める専務。私の姉と同期で、姉が家に忘れたプレゼンの資料を届けに行ったとき初めて会った。第一印象は、冷たい。その一言に尽きる。個人的に嫌いなタイプだった。会社でも冷たい雰囲気からあまり好かれてないみたいで、姉はサイボーグと言っていた。
でも、私の彼への印象はある日突然変わった。
ある日の学校帰り、突然の雨で私は近くの駅に避難した。傘もなくて、迎えに来てくれる人もいなくて、ただただ雨が止むのを待っていた。
10分、20分、30分……
雨は止む気配はなくどんどん強くなるばかり。1時間ほど経ち、これじゃあ切がないと思い、私は雨に中へ一歩踏み出した。そのとき。
『風邪をひくつもりか』
『っ!?』
聞きなれない低い声と共に腕を掴まれ、濡れる間もなく後ろにぐいっと引っ張られた。困惑して振り向けば、そこにいたのは、彼、だった。
キリッとした眉に、鋭い目つき。真っ黒な髪はきちっと整えられていて、スーツも皺ひとつない。手には彼らしい黒い傘を持っていた。突然のことで呆然と見上げる私に、彼はその黒い傘を突き付けた。
……へ?
さらに呆然とする私に彼は傘をぐいぐいと無言で押し付けてくる。痛い痛い痛い!!
あまりの強さに恐くなって思わず傘を握った。手の震えを感じながら恐る恐る口を開く。
『え、あ、あの…』
『貸す。今日はそれで帰れ。返す時にはあいつにでも持たせろ』
あいつとは、きっと姉のことで。……ただ、問答無用な言い方に固まる。だって、だって、……そんなことしたら、
『俺は折りたたみ傘があるから問題ない。明日も学校なんだから早く帰れ』
声に出す間もなく先回りされた言葉。気付いたら背中を押されていて、私は反射的に傘を開いていた。慌てて振り返ったら彼はもうそこにいなかった。
そして次の日の夜、彼が風邪で会社を休んだと姉から聞かされた。
つまりは、その日だった。彼に対する印象や感情が変わったのは。自分でもびっくりするくらいに、がらりと変わった。
彼は冷たいんじゃなくて、そう見せてるだけ。本当は優しくて、人の気持ちに敏感で、とても不器用な人。
それからというもの、何かと口実を作って会っていくうちに私の気持ちは確かなものになっていって、驚くことに、それは私だけではなかったみたいで、出会って数週間で、“恋人”という関係になった。
――今でも、思い出せる。真っ赤に顔を染めて、目を彷徨わ……、ッ!?
「い゛ぃっ!?」
痛い痛い痛い!
突然の痛みに額を押さえてテーブルの上に突っ伏す。それはまさしく、思考が飛んでいた私を強制送還させるためのデコピンだった。なにするかな!この人は!!
「幸隆さん!?」
確実にその犯人であろう、彼、幸隆さんを睨む。優雅にコーヒーを啜る彼は、喚く私を一瞥して一言。
「妙な妄想をするな」
「……」
妄想じゃなくて回想なのですが……。
「大体なんで今日なんだよ…」
重なって聞こえた、独り言のような言葉。反論しようとした口を一旦、閉じる。今日?うん?
「今日…なにかあったっけ?」
「……」
首を傾げる私に、彼は数回瞬きをし、コーヒーの香りのする息を吐き出した。え?えっ?
「……その年でそれはないだろ。まさかとは思ってたが」
「……?」
ますます混乱する私に、彼は再び息を吐く。
そして――
「誕生日おめでとう」
なぜかちっちゃい箱が目の前に現れた。
ぱちくり。
「え…、と…」
ヤバい。色々突然過ぎてヤバい。自分の誕生日が今日だったことにも、それをすっかり忘れてたことにも、この目の前にあるちっちゃい箱にも、びっくり。
もし、私の、この勝手な予想が正しければ、この箱の中身はキラリと輝く輪、のはずで……。だけど。
そんな期待をしてもいいの?自惚れてもいいの?そう考える自分もいて。
でも、でもね。期待せずにはいられない。
真っ赤に顔を染めて、目を彷徨わせて
『年上の男は好きか?』
そう聞いてきたあの日と同じ顔をされると。
ねえ、あなたは、本当に不器用だね。
「……幸隆さん、顔赤いよ」
ゆっくりと箱を開けながら言うと彼は顔を背けた。
「五月蠅い!さっさと薬指につけろっ」
「……」
ヤバい。にまにましてしまう。“薬指”幸せすぎる。
ちょっと行儀は悪いけど、テーブルに身を乗り出して、いつの間にか体ごと方向を変えていた彼の背中に触れて。ゆっくりと振り返る彼は、私の指にあるそれを見て、安堵したように笑って。
大人なあなたとまだまだ子供な私。コーヒーが好きなあなたとケーキが好きな私。あなたの言葉はコーヒーみたいだけれど、本当はケーキみたいな甘さを隠していて。いつだって私を蕩けさせてくれる。
――彼ほど甘いものはないと思う、最高の誕生日でした。
fin?
読んでいただきありがとうございました。