夢
次に目を覚ますと、自分の寝室だろう天井が視界に入った。
マリアベルはゆっくりと体を起こすと夢で見たことを思い出した。
『あなたを次の月の女神と決めたのです』
夢の中でマリアベルは現在の月の女神にそう言われた。
「私が次の月の女神…」
そう呟くと自然に涙が流れてきた。
夢の中で女神はこうとも言っていた。
『サルーナ国は…いえ、世界は闇に覆われ、どこからか無魔達が姿を表し夜の間だけ地獄を見る事になるのです』
この国が、この世界が闇に覆われ無魔がはびこると言うことは、姉様方や父様、母様、そしてロード様や国の者達が傷つくと言うこと。
そのような事を言われてしまっては、マリアベルは「月の女神などにはなりたくない」などと言えなくなってしまう。大切な人たちが死んでいくところを、傷つくところを見たくないのだ。
「どうしたら…」
そう言いながら両手で顔を覆うようにして俯き涙を流していると、寝室の戸をノックされた。
「姫様。お起きになられましたか?」
次女の声だった。次女はいつもそう言うと、返事がないとそのまま寝室に入りマリアベルを起こしてくれるが、今日はあの夢のおかげで早くに目を覚ますことができたのでマリアベルは次女に答えた。
答えるとすぐ、膝の上にかけてあった布団で涙を拭いて、戸の方に視線を送った。ちょうどそのとき、次女の手によって戸を開けられるところだった。
「おはようございます。マリ…ア…ベル様?」
何故か疑問形の言葉をかけられたマリアベルは首を傾げ、次女に問いた。
「どうしたの?」
「い、いえ。一瞬、お元気がなさそうに見えたもので…」
次女はマリアベルの横までやってくると「失礼いたします」と声をかけ、マリアベルの額に手を添え体温をはかり始めた。元気がないように見えたのを気分が悪いと誤解したようだ。
マリアベルはすぐ、次女の手をゆっくりと払いのけた。
「熱はないわ。大丈夫よ。おかしな夢を見てしまっただけ 」
「そうですか…。それではご朝食はこちらでお召になられますか?」
「いいえ。大丈夫よ 」
そう言うと、マリアベルはベッドから降りた。そのまま次女と共に寝室を出て、部屋でドレスに着替えていると部屋の戸を誰かにノックされた。
次女が戸の方に寄り、少し開けノックした人物を確かめると戸を締めマリアベルに扉の向こうにいる人物の名を告げた。
「メルツェッタ王太子殿下のお見えです 」
「少しお待ちいただいてちょうだい」
そう言うと、「かしこまりました」と次女が言うと戸を開け戸の向こう側にいるはずのロードにそう伝えてもらった。
伝えると、すぐにマリアベルの元まで戻ってきた次女は、マリアベルに鏡台の前の椅子に座るよう促し、座ると髪を結い始めた。
今日の髪型は耳の前に垂れている髪を三つ編みにするというものだ。それが終わると、もう片方の耳の前に垂れている髪を三つ編みにし、その二つを後ろまで持ってくると頭の上から少し下のところで三つ編みと三つ編みで結び完成だ。
「ロード様をお呼びして 」
「かしこまりました 」
次女は一礼すると、戸の方に行き先ほどのように戸を少し開け戸の向こう側にいるはずのロードに声をかけた。
「御支度の準備が終わりましたので、お入りください 」
そう言うと、すぐに戸を大きく開き中にロードを促した。
「ありがとう。失礼するよ 」
「おはようございます、ロード様。お待たせして申し訳ありません 」
マリアベルは椅子から腰を上げると、ロードに笑顔で微笑みながらそう告げた。すると、ロードもつられたように笑顔を作り答えてくれた。
「おはようございます、マリア。謝らないでください。女性は支度に時間のかかるもの、それを分かっていながら早く貴方に会いたいがためにこのような早い時間に部屋に来てしまった私がいけないのです。お許しください 」
「ところで、ロード様。昨夜は良くお眠りになられましたか?この国にきて初めての夜でしょう?」
ロードはマリアベルの部屋に入るとソファに腰かけ、次女の入れてくれた紅茶を一口口にすると、マリアベルの質問に答えた。
「えぇ。おかげさまで、良い夢を見ることができました。特に昨日はマリアのような姫に会えた日だからいつもよりもグッスリ眠ることができましたよ 」
ロードはそう言うと、マリアベルにそっと微笑みかけた。
すると、そこでロードは「ところで…」と話を続けた。
「マリア。ご気分でもお悪いのですか?あまり元気がないように思えるのですが… 」
マリアベルは慌てるように両手を顔の前で横にブンブン振り、ロードの言葉に答えた。
「そ、そんなことありませんよ!?私はいつもどおりでございます。ロード様。今日はどこに行きましょうか?」
「そうですか…。ですが!もし、気分がお悪くなったら遠慮せず言ってくださいね?」
心配そうにそう言われ、マリアベルは頑張って微笑みを作り「はい!」と返事を返した。
「では…。今日はサルーナ国の町を見せていただいてもよろしいですか?」
「それではご朝食後。町に降りましょう 」
二人は午後の予定を決めると、その後すぐマリアベルを迎えに来たカナリアとルルベルと共に広間に向かい朝食を取りに行った。
マリアベルはカナリアやロード達と楽しそうに会話していたが、心の中では夢のことでいっぱいだった。
―――――姉様達に相談…してみたほうがいいのかな…―――――
そこで、マリアベルは夜カナリアの部屋に行きルルベルも呼んで夢の事を話してみようと考えついたのだった。
それまでは、ロードと楽しく一日を過ごそうと決めた。
朝食を終えた後、マリアベルとロードは町に降りた。
「おぅ!月の姫様!ま~た遊びに来たのかい!」
魚屋のいかつそうで笑顔の素晴らしい男性がマリアベルにそう叫ぶと、他の店に立つ店番達もマリアベルの方に視線を向けた。
「姫様。甘くて美味しい林檎が手に入ったんですよ。1個どうぞ。お代はいりませんからね 」
今度は果物屋の心優しそうな見た目、50代前半だろう女性がそう言いながらマリアベルに林檎を渡してきた。
「ありがとう。とても綺麗な色ね 」
「そうだろう、そうだろう。さっき入ったばかりだからね!その林檎を食べる人は今日は姫様が最初の人だよ!…おや?姫様お客人かい?これはいけないねぇ。どうぞ!あんたにもこれをあげようじゃないか!」
そう言うと、女性はマリアベルの横にいるロードに林檎を投げ渡してくれた。
「ありがとうございます 」
ロードが微笑みながらそう言うと、女性は虚をついたように目を見開き頬を染めてしまった。
「あらやだよぉ。良く見たらいい男じゃないか!なんだい?姫様、もしかして…これかい?これ。」
そう言うと、女性はニヤニヤ顔で小指を立てて見せた。
「もう!女将さん!違うわよ!」
マリアベルが頬を染め、そう否定すると今度は町の子どもたちがマリアベルの元までやってきた。
「ひめさま~!またおうたきかせて~?わたし、ひめさまのおうただーいすき!!」
「なんだ、姫様ま~たきたのかよー!仕方ねぇな~。俺らの遊びにいれてやんよ!」
「わぁ~…。姫さま~こっちのかっこいい人だぁれ~?」
一人はマリアベルのドレスの裾を掴み、町の中央にある噴水広場まで促そうとし、一人は頭の後ろに両手を当て頬には怪我をしたのかカットバンをつけたまま「イヒヒ」と笑っている。少し悪戯好きっぽそうな男の子だ。
そして、もう一人の、この中で一番年上で見た目10代前半と思える少女はロードを見つめポーッと頬を染めていた。
「こちらはロード様。お客様だから、皆失礼のないようによろしくね 」
マリアベルがそう言うと、子ども達は声を揃えて「はーい!!」と元気よく答えてくれた。
一人、まだ一番年下と思える少女がマリアベルの裾をつかんだまま話しかけてきた。
「ひめさまぁ…おうた…」
マリアベルは裾を掴んでいる、小さな手に自分のそれを重ねしゃがみこみ微笑みながら少女に話しかけた。
「えぇ。わかったわ。後で噴水のところまで行くわね 」
マリアベルがそう伝えると、少女は裾から手を放し「わーい!!ひめさま、待ってるねー!」と言いながら噴水広場の方までかけていってしまった。
マリアベルはそれを見つめていると、ゆっくりと腰を上げた。
「この町の人々はとても仲も良く幸せそうですね 」
マリアベルの隣でロードがそう呟いた。
「えぇ…。10歳になってからはほぼ毎日のように町に降りては、子ども達と遊んでいるのです。たまに、ああやって歌を歌ってほしいと言われると、町の中央にある噴水広場で歌を披露するんです 」
「なるほど、それで月の姫という名をつけられたのですね 」
普段、城の中で大切に育てられるはずの末姫である、マリアベル。そんなマリアベルの美しい歌姫を金のない町の人が聞くことなどできるはずがない。だからこそ、ロードは不思議に思っていたのだ。どうして、彼女が『町の人』から月の姫と呼ばれているのかを。だが、それも、今ようやくわかった。
「月の姫… 」
そう呟き、表情から元気がなくなってしまったマリアベルを見て、心配したロードはマリアベルの顔を覗きこんだ。
「どうかなさいましたか?」
我にかえったマリアベルは視線を戻し、ロードの視線に気付きアタフタと答えた。
「だ、大丈夫です!さ、さぁ!まいりましょう?皆広場で待ってます 」
そう言うと、マリアベルはロードの手を取り噴水広場の方まで連れて行った。
「お!月の姫様がいらっしゃったぞ!」
「姫さまー!こっちこっち!!」
マリアベルとロードが広場に到着すると、そこにはたくさんの人で賑わっていた。先ほどの少女がマリアベルの傍までやってくると、手を繋ぎ噴水のあるところまで連れて行った。
「さぁ兄ちゃん!あんたはお客様なんだから一番傍で見てくれよ!」
痩せた気の良さそうな青年に背を押されるようにしてロードはマリアベルに一番近い場所まで連れていかれ、今度は両肩に手を置かれ、その場で座るように促された。
「今日はどんな曲が良い??またキラキラ星?」
マリアベルは手をつないでいる小さな少女に問いかけた。
「ん~っとねぇ…。姫さまの好きなお歌がいい!!」
好きな歌というと1曲しか思いつかなかった。『女神の悲愛』だけだ。
「わかったわ。じゃあ歌うわね 」
マリアベルがそう言うと、少女は自分の母親らしき女性の元まで行き女性の膝に座りながら目を輝かせてマリアベルを見つめていた。
周りからはヒュー!!っと口笛を吹く人がいたが、マリアベルが歌う姿勢を作ると、いっきに当たりは静まり返った。
「心~のこ~えを~あなた~にき~かせ~」
マリアベルは歌いながらに思った。
――――私は…私はこの町の人たちが好き…姉様や父様、母様が大好き、ロード様が…――――――――
そこでやっと自分の気持ちに気付いたマリアベルは涙を流してしまった。マリアベルは涙を流したまま目を瞑り歌い続けた。
「あぁ…月の姫様…」
マリアベルを見ている観客の中、一番前で椅子に腰かけ歌に聞き入っている老人がそう呟いた。瞳にはいっぱいの涙をためていた。
マリアベルが歌っている最中、後ろの噴水が決められた時間がきたのか上に吹き出し水の傘を作った。その水の雫が下に落ちる様を見ていると、マリアベルの体が青銀色に輝いているように見えていた。
歌を聞き入っている者の中には両手を胸の前で組み、目を閉じ祈っている者までいた。
ロードはそんなマリアベルを見つめていた。愛おしそうに。
――――私は、彼女を愛している。5年前、初めて会ったあの日から。だからミルヴィン王とある約束をした『もし、マリアベルがあなたを好きになるようでしたら結婚を認めましょう』と――――
ロードはマリアベルをサンメリア国の妃であり、自分の妻にしたいと考えていた。やっと会えた小さな女神、やっと出逢えた初恋の人。もう、手放したくないと強く願っていた。