ニッポン昔話、桃姫の出発記
昔々のこと、都から離れた小さな里に、狩りの得意な猟師のお爺さんと、働き者のお婆さんが住んでいました。
ある日、お爺さんは山へ獣を狩りに。お婆さんは川へ小魚を釣りに行きました。
お婆さんが釣りを始めようとした時です、川の辺で倒れている女性を見付けました。
驚いたお婆さんが女性を助け起こしたところ、体中に深い傷があり酷く血まみれで、もう長くないだろうと一目で分かるほどでした。
そして女性は小さな赤ちゃんを抱いていたのです。
お婆さんが声をかけると、女性はうっすらと目を開けて、細く弱々しい声で話し始めました。
「私の住んでいた所は、恐ろしい鬼に襲われました。みんな惨い仕打ちをうけ、殺されていきました。私は隙を見て、この子を連れ逃げたのですが、傷は重く、力尽きてしまい……」
「赤ん坊は無事だよ、お嬢さん。よく眠っている。アンタは赤ん坊を助けられたのさ」
「ああ、よかった。何処のどなたか存じませんが、今わの際に出会えたこの縁、どうかどうか、頼らせてくださいませ。私に代わり、この子を、桃姫を、お願い致します」
最後にそう言い残して、女性は息を引き取りました。
お婆さんは悲しそうに頷くと、赤ちゃんをゆっくりと抱き上げます。
すると女性の傷口から次々に黒い炎が噴き出して、その体を覆っていきました。
咄嗟に跳び退ったお婆さんの見ている前で、女性はすぐに燃え上がり、なにもかも消えてしまったのです。
後には灰さえ残りません。逆らう者を許さない、鬼が施す|残忍な呪いでした。
お婆さんは赤ちゃんを抱えて急いで家に戻りました。
山へ向けて狼煙で報せを送ると、狩りを終えたお爺さんがすぐに帰ってきました。
お婆さんが事の次第を伝えると、お爺さんは驚きながらも優しく赤ちゃんを抱きしめます。
お爺さんとお婆さんがまだ若かった頃、二人には自慢の息子がおりました。
心優しく誰からも好かれる息子でしたが、若くして業病を患い、此の世を去ってしまったのです。
以来、夫婦は子供に恵まれませんでした。
ずっと忘れられなかった寂しさや悔しさ、無念の想いがあるからこそ、お爺さんは赤ちゃんを自分達の娘として、大切に育てようと決めました。
それはお婆さんも同じ気持ちでした。
こうしてお爺さんとお婆さんは、亡き女性に託された桃姫という名の赤ちゃんを、愛情深く育てていきます。
あれから幾度も四季が巡り、長い時間が経ちました。
お爺さんとお婆さんの元で、桃姫は病気らしい病気に罹ることもなく、すくすくと成長していきました。
里の者にも可愛がられ大きくなった桃姫は、心根優しく、真っ直ぐで、固い信念を持つ、たいそう美しい娘となりました。
なにより皆を驚かせたのは、女性らしくしなやかで可憐な細身ながら、大男にも勝る剛力無双の武威を誇ることでした。
拳の一撃は強固な岩塊を砕き貫いて、激しく転がり落ちる大木を正面から受け止め踏みとどまり、荒々しく暴れ狂う羆を単身で屈服させてみせるという、他に比類なき女傑となったのです。
艶やかな黒髪に、道行く者が振り返る美麗な容貌の持ち主で、朗らかに笑う両親想いの娘。そんな桃姫はお爺さんとお婆さんの宝物でした。
悩ましいことといえば、あまりに強く逞しいため里の男達は一同に委縮してしまい、縁談の話がまったく来ないこと。
気さくで爽やかな凛々しさが里の娘達を虜にし、黄色い声援と貢ぎ物が絶えず家が手狭になっていくこと。
義侠心と溢れる正義感から、自ら山賊退治へ駆け出していき、降した悪漢達を舎弟に据えて、気付けば武装集団の頭目めいていることでした。
健康で元気に育ち、人々に愛され、負かした者が忠義を尽くす武功の誉れ。これほど立派に育ったことが、お爺さんとお婆さんには嬉しくもあり、同時に心配でもありました。
いつの日か、とんでもない戦いに飛び込んでいってしまうのではないかと。
育ての親である二人は、愛娘の人となりをよく知っています。だからその危惧が遠からず現実になるという、悲しい予感を抱いていました。
そして里周辺の悪党を軒並み平伏させた頃、桃姫はお爺さんとお婆さんに切り出します。
「お父様、お母様。今まで私を育ててくださり、ありがとうございました。桃姫はこれより、巷に蔓延る悪鬼羅刹、魑魅魍魎の討伐を期して、旅立ちたいと思います」
「そうか。やはり、そうするのだね」
「はい、お父様。各地で破った山賊達も、元は都で暮らす武士でした。しかし恐ろしい鬼や妖怪変化が暴れ回り、立ち向かうも敗北し、住まいや家族を奪われた。心折れて落ち延び、光明もなく、されど死にきれず、食うに困って凶徒へ堕したと。今も方々では魔性が幅を利かせ、多くの民を苦しめていると聞きます。悪しき災禍の根源を討たない限り、平穏な世は訪れない。そう知りました」
「お前は一度こうと決めたら、絶対に自分の意志を曲げない子さ。婆たちがどう言い聞かせても、辞める気はないのだろう?」
「はい、お母様。私のこの力は世を正し、人々を助けるためにこそあると、そう思うのです。人並外れた武を以って、悪逆非道の化生共を討ち滅ぼす。それが私の天命ではないでしょうか。なにより魔を捨て置けば、いずれこの里にも忌まわしい毒牙が迫るやもしれません。お父様やお母様、里の皆を護るためにも、災いの根を断つべきと思い立った次第です」
「愛しい娘を危地になど向かわせたくないが。だからといって、お前の生きる道を縛ってよい筈もない。心の様へ従って、悔いなきように進みなさい」
「ありがとうございます、お父様」
「こんな日が来るだろうと恐れきたが、その時にはせめて手向けをしようと準備してきたのさ。数多犇めく悪鬼邪妖、一筋縄ではいくまいて」
「ああ、お母様。感謝します」
目尻に涙を浮かべる桃姫の前に、お婆さんは奥の間から持ってきた品物を置きました。
一つは桃姫の背丈近くもある立派な大弓です。
長年使い込まれた年季を宿し、不思議な清澄さを伴う希代の逸品。
「これはワシが愛用してきた強弓でな。霊山の中腹に聳えた仙樹の幹から削り出し、龍の髯を弦に使った退魔の弓よ。番えた矢はたちまちに破邪の霊力を漲らせ、あらゆる魔性を射抜く一矢となる」
もう一つは蒼と銀の色彩を内包した、静かな威圧感を秘める刀でした。
雪の結晶とも映る独特な刃紋を広げ、吸い込まれそうな煌沢と冷たさを湛えるもの。
「婆がお前ぐらいの頃、妖退治に使っていた業物だよ。天から降った燃え盛る火石の欠片を鍛え、龍の血で洗い、龍鱗で磨き、名匠が死力を尽くして重ね打った、大蛇殺しさ。どんなに硬いものを斬っても刃毀れせず、けして穢れない」
「お父様、お母様、このような素晴らしい武具を私のために。桃姫は嬉しく思います」
桃姫は大弓と刀を胸に抱き、深々と頭を下げました。
お爺さんとお婆さんは穏やかに微笑むと、娘の肩に手を置きます。
「お前がいかに強くとも、一人で化け物共に挑むのは辛かろう。手下の山賊達を連れて行っても、妖怪変化が相手では役に立つまい」
「いいかい桃姫、よくお聞き。この里を離れた先、彼方東の果て黍の地に、それぞれが国領を統べる三体の妖魔がいる。強大な力を持ちながら暴虐に耽るを良しとせず、人の子の営みに興味を示し、自分達の理を重んじる一風変わった化生達さ」
「善き物の怪というわけではないが、他の連中よりは格段に話が分かる手合いでね。気高き志と力を示して納得させ、ワシと婆さまの名前を出せば、きっとお前の助けになってくれるだろう」
「お父様とお母様の名前を伝えると、妖魔が人の味方をするというのですか?」
「もう随分と昔、黍で暴れ回っていた大百足を一緒に退治したことがあるのさ。奴等は自国の安堵を得て、婆と爺に貸しがある」
「犬傀国の捲簾大将。雉芭国の天蓬元帥。猿眞国の斉天大聖。奴等を旅の供にすれば、きっとお前は目的を遂げられるとも」
「だから全部終わったら、婆たちにまた元気な姿を見せておくれ」
「お父様お母様、桃姫は必ず二人の元へ帰ってきます」
こうして歴戦の武具と有益な情報を譲り受け、桃姫は鬼退治のため立ち上がりました。
舎弟に治めた元山賊たちに里の守りを任せ、共に育った皆に見送られながら出発します。
桃姫の長く苦しい、けれど何物にも代えがたい旅が始まるのです。




