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ニッポン昔話、桃姫の出発記

作者: ミチバケ
掲載日:2026/10/04

 昔々のこと、都から離れた小さな里に、狩りの得意な猟師のお爺さんと、働き者のお婆さんが住んでいました。

 ある日、お爺さんは山へ獣を狩りに。お婆さんは川へ小魚を釣りに行きました。

 お婆さんが釣りを始めようとした時です、川の辺(ほとり)で倒れている女性を見付けました。

 驚いたお婆さんが女性を助け起こしたところ、体中に深い傷があり酷く血まみれで、もう長くないだろうと一目で分かるほどでした。

 そして女性は小さな赤ちゃんを抱いていたのです。

 お婆さんが声をかけると、女性はうっすらと目を開けて、細く弱々しい声で話し始めました。


「私の住んでいた所は、恐ろしい鬼に襲われました。みんな惨(むご)い仕打ちをうけ、殺されていきました。私は隙を見て、この子を連れ逃げたのですが、傷は重く、力尽きてしまい……」

「赤ん坊は無事だよ、お嬢さん。よく眠っている。アンタは赤ん坊を助けられたのさ」

「ああ、よかった。何処のどなたか存じませんが、今(いま)わの際(きわ)に出会えたこの縁(えにし)、どうかどうか、頼らせてくださいませ。私に代わり、この子を、桃姫(ももひめ)を、お願い致します」


 最後にそう言い残して、女性は息を引き取りました。

 お婆さんは悲しそうに頷くと、赤ちゃんをゆっくりと抱き上げます。

 すると女性の傷口から次々に黒い炎が噴き出して、その体を覆っていきました。

 咄嗟(とっさ)に跳(と)び退(すさ)ったお婆さんの見ている前で、女性はすぐに燃え上がり、なにもかも消えてしまったのです。

 後には灰さえ残りません。逆らう者を許さない、鬼が施(ほどこ)す|残忍な呪いでした。


 お婆さんは赤ちゃんを抱えて急いで家に戻りました。

 山へ向けて狼煙(のろし)で報せを送ると、狩りを終えたお爺さんがすぐに帰ってきました。

 お婆さんが事の次第を伝えると、お爺さんは驚きながらも優しく赤ちゃんを抱きしめます。

 お爺さんとお婆さんがまだ若かった頃、二人には自慢の息子がおりました。

 心優しく誰からも好かれる息子でしたが、若くして業病を患(わずら)い、此(こ)の世を去ってしまったのです。

 以来、夫婦は子供に恵まれませんでした。

 ずっと忘れられなかった寂しさや悔しさ、無念の想いがあるからこそ、お爺さんは赤ちゃんを自分達の娘として、大切に育てようと決めました。

 それはお婆さんも同じ気持ちでした。

 こうしてお爺さんとお婆さんは、亡き女性に託された桃姫という名の赤ちゃんを、愛情深く育てていきます。


 あれから幾度も四季が巡り、長い時間が経ちました。

 お爺さんとお婆さんの元で、桃姫は病気らしい病気に罹(かか)ることもなく、すくすくと成長していきました。

 里の者にも可愛がられ大きくなった桃姫は、心根優しく、真っ直ぐで、固い信念を持つ、たいそう美しい娘となりました。

 なにより皆を驚かせたのは、女性らしくしなやかで可憐な細身ながら、大男にも勝る剛力無双の武威(ぶい)を誇ることでした。

 拳の一撃は強固な岩塊を砕き貫いて、激しく転がり落ちる大木を正面から受け止め踏みとどまり、荒々しく暴れ狂う羆(ひぐま)を単身で屈服させてみせるという、他に比類なき女傑(じょけつ)となったのです。

 艶やかな黒髪に、道行く者が振り返る美麗な容貌の持ち主で、朗(ほが)らかに笑う両親想いの娘。そんな桃姫はお爺さんとお婆さんの宝物でした。

 悩ましいことといえば、あまりに強く逞しいため里の男達は一同に委縮(いしゅく)してしまい、縁談の話がまったく来ないこと。

 気さくで爽やかな凛々しさが里の娘達を虜(とりこ)にし、黄色い声援と貢ぎ物《おくりもの》が絶えず家が手狭になっていくこと。

 義侠心と溢れる正義感から、自ら山賊退治へ駆け出していき、降(くだ)した悪漢達を舎弟に据(す)えて、気付けば武装集団の頭目めいていることでした。

 健康で元気に育ち、人々に愛され、負かした者が忠義を尽くす武功の誉(ほま)れ。これほど立派に育ったことが、お爺さんとお婆さんには嬉しくもあり、同時に心配でもありました。

 いつの日か、とんでもない戦いに飛び込んでいってしまうのではないかと。

 育ての親である二人は、愛娘の人となりをよく知っています。だからその危惧(きぐ)が遠からず現実になるという、悲しい予感を抱いていました。

 そして里周辺の悪党を軒並み平伏(へいふく)させた頃、桃姫はお爺さんとお婆さんに切り出します。


「お父様、お母様。今まで私を育ててくださり、ありがとうございました。桃姫はこれより、巷(ちまた)に蔓延(はびこ)る悪鬼羅刹(あっきらせつ)、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の討伐を期して、旅立ちたいと思います」

「そうか。やはり、そうするのだね」

「はい、お父様。各地で破った山賊達も、元は都で暮らす武士でした。しかし恐ろしい鬼や妖怪変化が暴れ回り、立ち向かうも敗北し、住まいや家族を奪われた。心折れて落ち延び、光明もなく、されど死にきれず、食うに困って凶徒(きょうと)へ堕(だ)したと。今も方々では魔性が幅を利かせ、多くの民を苦しめていると聞きます。悪しき災禍(さいか)の根源を討たない限り、平穏な世は訪れない。そう知りました」

「お前は一度こうと決めたら、絶対に自分の意志を曲げない子さ。婆たちがどう言い聞かせても、辞める気はないのだろう?」

「はい、お母様。私のこの力は世を正し、人々を助けるためにこそあると、そう思うのです。人並外れた武を以(も)って、悪逆非道の化生(けしょう)共を討ち滅ぼす。それが私の天命ではないでしょうか。なにより魔を捨て置けば、いずれこの里にも忌まわしい毒牙が迫るやもしれません。お父様やお母様、里の皆を護るためにも、災いの根を断つべきと思い立った次第です」

「愛しい娘を危地(きち)になど向かわせたくないが。だからといって、お前の生きる道を縛ってよい筈もない。心の様へ従って、悔いなきように進みなさい」

「ありがとうございます、お父様」

「こんな日が来るだろうと恐れきたが、その時にはせめて手向(たむ)けをしようと準備してきたのさ。数多(あまた)犇(ひし)めく悪鬼邪妖(あっきじゃよう)、一筋縄ではいくまいて」

「ああ、お母様。感謝します」


 目尻に涙を浮かべる桃姫の前に、お婆さんは奥の間から持ってきた品物を置きました。

 一つは桃姫の背丈近くもある立派な大弓です。

 長年使い込まれた年季(ねんき)を宿し、不思議な清澄(せいちょう)さを伴う希代の逸品(いっぴん)。


「これはワシが愛用してきた強弓(ごうきゅう)でな。霊山の中腹に聳(そび)えた仙樹(せんじゅ)の幹から削り出し、龍の髯(ひげ)を弦に使った退魔(たいま)の弓よ。番(つが)えた矢はたちまちに破邪の霊力を漲(みなぎ)らせ、あらゆる魔性を射抜く一矢となる」


 もう一つは蒼と銀の色彩を内包した、静かな威圧感を秘める刀でした。

 雪の結晶とも映る独特な刃紋(はもん)を広げ、吸い込まれそうな煌沢(こうたく)と冷たさを湛(たた)えるもの。


「婆がお前ぐらいの頃、妖(あやかし)退治に使っていた業物(わざもの)だよ。天から降った燃え盛る火石の欠片を鍛え、龍の血で洗い、龍鱗で磨き、名匠(めいしょう)が死力を尽くして重ね打った、大蛇(おろち)殺しさ。どんなに硬いものを斬っても刃毀(はこぼ)れせず、けして穢(けが)れない」

「お父様、お母様、このような素晴らしい武具を私のために。桃姫は嬉しく思います」


 桃姫は大弓と刀を胸に抱き、深々と頭を下げました。

 お爺さんとお婆さんは穏やかに微笑むと、娘の肩に手を置きます。


「お前がいかに強くとも、一人で化け物共に挑むのは辛かろう。手下の山賊達を連れて行っても、妖怪変化が相手では役に立つまい」

「いいかい桃姫、よくお聞き。この里を離れた先、彼方東の果て黍(きび)の地に、それぞれが国領を統(す)べる三体の妖魔(ようま)がいる。強大な力を持ちながら暴虐に耽(ふけ)るを良しとせず、人の子の営みに興味を示し、自分達の理(ことわり)を重んじる一風変わった化生(けしょう)達さ」

「善(よ)き物の怪(もののけ)というわけではないが、他の連中よりは格段に話が分かる手合いでね。気高き志と力を示して納得させ、ワシと婆さまの名前を出せば、きっとお前の助けになってくれるだろう」

「お父様とお母様の名前を伝えると、妖魔が人の味方をするというのですか?」

「もう随分と昔、黍(きび)で暴れ回っていた大百足(おおむかで)を一緒に退治したことがあるのさ。奴等は自国の安堵を得て、婆と爺に貸しがある」

「犬傀(いぬかい)国の捲簾大将(けんれんたいしょう)。雉芭(きじば)国の天蓬元帥(てんぽうげんすい)。猿眞(ましらま)国の斉天大聖(せいてんたいせい)。奴等を旅の供にすれば、きっとお前は目的を遂げられるとも」

「だから全部終わったら、婆たちにまた元気な姿を見せておくれ」

「お父様お母様、桃姫は必ず二人の元へ帰ってきます」


 こうして歴戦の武具と有益な情報を譲り受け、桃姫は鬼退治のため立ち上がりました。

 舎弟に治めた元山賊たちに里の守りを任せ、共に育った皆に見送られながら出発します。

 桃姫の長く苦しい、けれど何物にも代えがたい旅が始まるのです。

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